年末から公私共に忙しく、ブログのことはしばらく忘れておりました。

 

久しぶりにのぞいてみると、強烈創価アンチだった元学会員の方のブログがなくなっていました。

 

残すわけでもなく、退会?されたようなので、それはそれで潔いのではないでしょうか。

 

お仲間が残念がっておられるでしょうが、中途半端に残されるよりはいいと思います。

 

しかし、コメントが少し残念です。

 

 

活動家としての真実の姿を示された、、、、、

 

ん?、、、、、、退転者としての真実の姿、の間違いじゃないの?

 

真実の活動家は、もっと御書を知っています。

 

もっと御書を身で読んでいます。

 

彼女は、御書にも教学にも全く興味はないということだったので、それこそ退転者の真実の姿でしょう。

 

逆に、御書にも教学にも全く興味がなくて、第一線の長が勤まっていたということにびっくりです。

 

道理で、えっこんなことも知らないの?ということが度々あったのもうなずけます。

 

人事はもっと慎重にしてもらいたいものです。

 

地区のみんなが不幸になる。

 

 

彼女は役職を降りるときに、会合で一言挨拶させろと幹部にお願いしたという記事を書いていて、さらにびっくりしたことがあった。

 

誰が、組織から離れようとして、最後のあいさつをする人間がいるか。

 

会社に反旗を翻した人間に、最後のあいさつをさせる会社があるだろうか。

 

幹部が断ったら、辞める人間は裏からコソコソ出ていけということか、と息巻いていたが、少し常識のピントがずれておられるようだ。

 

会社勤めをしたことがないのかと思うが、、、

 

 

惜しむ声もあるようだが、書きたいだけ書いたのだから、替え歌も作りたいだけ作ったのだから、もういいでしょう。

 

 

宿業てなんですか、という記事はアメンバー限定になっていたと思うので読んでいないが、読んでいなくとも内容くらい大体わかる。

 

桜梅桃李なのに、なぜ人間革命が必要かもわからないくらいなので、宿業なんて難しいことがわかるわけがない。

 

死んだ後のことより、生きている今が大事という、どこかの歌詞にあったようなふんふんそうそうと誰でも賛同しそうな、浅い知恵で退転したわけだから、そもそも深い仏法の哲理など理解できなかったわけでしょう。

 

 

水すめば月うつる

 

今月のグループ学習会の御書です。

 

水とは信心、月は仏界、功徳のことです。

 

濁った水に月が映るわけがありません。

 

月を映すことなく去っていく人が多いのは、いかにも残念です。

 

月のせいではありません。

 

濁った水のせいです。

 

このグループ学習会では、役職もない部員さんだが、学会大嫌いのご主人がくも膜下に倒れ、寝たきりを宣告されたが、奥さんの必死の唱題の結果、今やご主人は奥さんと一緒に勤行され、仕事にも復帰され、夫婦揃って大歓喜の毎日を送っているという話をされた。

 

新年早々、感動の学習会であった。

 

役職など、本当に関係ないのである。

 

ぜひ今度体験発表してもらいたいものである。

 

どうせするなら、このようにくっきりと大きなお月さまが映るような信心をしようではありませんか。