私は、こんな無慈悲な自分を乗り越えなければいけない。

 

うちのホームを利用してくれている利用者さんをも愛せぬ人間が、信心してます、はない。

 

まして学会員である利用者さんは、同時に同志でもある。

 

その同志を毛嫌いし、軽蔑しては、これは十四誹謗と言って一番してはいけないことなのである。

 

もちろん人間であるから好き嫌いは当然あるが、それと軽蔑することは別である。

 

ここは障がい者グループホームなのである。

 

知的障がい者が多い。

 

毎日ありえないような事件が起こって当たり前である。

 

彼らは健常者の価値観や世界とは、かけ離れた世界で生きている。

 

親も障がい者であった場合などは、生育歴もそれに輪をかけてすごいことになっている。

 

それは別に特別なことではなく、そういう仕事なのだ、きれいごとではないのだという自覚や覚悟が、私には足りませんでした。

 

嫌悪感が、もろに顔に出てしまいました。

 

 

Aくんは学会員なのである。

 

学会員が学会員を謗ったり、軽蔑したりすることは、仏を軽蔑することと同じであり、厳に戒められているのである。

 

もちろん、ここに書き尽くせないほどの実害があったからではありますが、それでもそこは仕事として冷静に処理、対応すべきでした。

 

一つ一つを聞いたら、多分腰を抜かされるほどの不潔、不衛生な問題行動の数々は、私にとっては衝撃でありました。

 

しかし、衝撃であること自体がこの業界では慣れていないんだね、ということなのです。

 

まだまだホームの代表兼世話人として、未熟でございました。

 

障がい者グループホームなのですから、一人暮らしが到底無理な障がい者たちが暮らしているわけです。

 

腰を抜かすようなことは、あって当たり前くらいの覚悟でなければいけなかったわけです。

 

わかっていたつもりでいながら、一番やってはいけない十四誹謗をやってしまっていました。

 

 

結果、かなりはっきりとした罰を受けました。

 

ホーム内で、新型コロナのクラスターを起こしてしまいました。

 

それも代表である私から皆さんに、あっという間に移っていってしまったのです。

 

何という不注意、対応の悪さ、危機管理のなさでしょう。

 

本当に、ご迷惑をかけてしまいました。

 

       

 

 

今、ようやく少し落ち着いてしみじみ思い返すに、ああ罰であるなと、思います。

 

 

「十四誹謗も不信を持って体となせり」とあるように、その根本原因は不信である、と先生は言われている。

 

皆が仏の遣いであり、地涌の菩薩であることを信じ切ることができないところにその根本原因があるそうだ。

 

妙法を信じ切ることができないと、世間の法に陥っていく。

 

仏法の法理を確信した人間の振る舞いの手本は、あの不軽菩薩の生き方にある、らしい。

 

彼の生き方が示すものは、相手の地位や立場に関係なく、等しく皆に最大の敬意を表して法を説くということである。

 

これが学会員の姿勢でなければいけない、と新・人間革命でも書かれています。

 

 

わかっていたつもりでありながら、自分も知的障害者の子供を育てた経験を持ちながら、Aくんの起こす問題行動の数々に振り回され、嫌悪感がもろに顔に出てしまいました。

 

もういや、顔を見るのもいや、出て行ってほしい、と好き嫌いの感情でしか考えられなくなっていました。

 

お題目をあげながら、Aくんが出て行ってくれますように、と祈っていました。

 

何という無慈悲でしょう。

 

罰を受けて、改めて長男の孤軍奮闘を見つめたとき、出て行ってほしいなんて簡単に祈っていた自分が恥ずかしく、成長しなければと思いました。

 

私は、Aくんのことを顔も見たくない、声も聞きたくない、存在も感じたくないという心的外傷後ストレスという、いわゆるPTSDというものになったと思っていましたが、同じように心的外傷を受けながら、そのあと成長するという、心的外傷後成長という言葉があるのを知りました。

 

人間は、傷を負ってもいつまでも立ち上がれないような、そんな弱いだけの存在ではない、ということです。

 

 

そこから、祈り方が変わりました。

 

Aくんが変わりますように、自分もこれを機に成長できますように、どんな方が入居しても、受け入れられる自分になりますように、と祈るようになりました。

 

そしたらAくん、今では朝起きたら窓を開けて布団を干し、休みの日はシーツを洗い、掃除機までかけているのです。

 

トイレでは、便座拭きシートを使っているのです。

 

トイレの後、手も洗えるのです。

 

だいぶん、人間になってきたな、と長男が言います。

 

支援員の方が、劇的によくなっています、と言ってくれました。

 

ここに来るまでの一人暮らしだったAくんの部屋は、支援員の方たちの間では、ゴミ屋敷を通り越して通称「うん○部屋」と呼ばれていたそのAくんが、です。

 

うちに引っ越してくる時に荷物の中に、ゴキブリの死体とともにやってきたAくんが、です。

 

一時は気持ち悪いとしか思えなかった私ですが、そのAくんのおかげで、少し世話人として成長できました。

 

「おかんが、最近Aくん頑張ってるな、て言うてたで」と、長男が伝えたら、「ありがとうございます」と言ったそうな。

 

長男に間を取り持ってもらわなければいけないような、情けないおかんですが、心的外傷後成長をしていきたいと思います。