はるか昔のデマを、未だにあたかも本当であるかのように書いたブログ記事もある。

 

葬式の香典泥棒は、私も子どもの頃、父親によく聞かされた。

 

子ども心にもほんまかいな、と思ったものだが、父は見てきたかのように言っていた。

 

創価学会は、香典を持っていく、と。

 

当時一般紙が報じたので、世間の噂になっていた。

 

しかし、これは昭和の30年代にその新聞社がちゃんと非を認めて、謝罪文を載せて終わっている。

 

折伏が進む中で、檀家が減るのを恐れた寺とマスコミが結託して流したデマである。

 

60年以上前の話である。

 

さすがに半世紀以上前のデマを今どき信じる人もいないだろうと思っていたが、

何と令和の今、最近葬式で実際にあったこととして書かれた記事があってびっくりしたことがある。

 

持っていかれました〜と書かれている。

 

やっぱり噂は本当だったのですね、なんていうコメントまである。

 

怒りに震えました。

 

60年前に終わっているデマですよ。

 

ブログて、何を書いてもいいの?

 

ウソ八百書いていいの?

 

ブログは無法地帯。

 

60年前の新聞の比ではない拡散の仕方。

 

本当に香典持っていかれたなら、ブログなんか書いてないで警察行きましょう。

 

窃盗罪ですから。

 

それが本当であるならば。

 

大変卑怯です。

 

 

 

 

財務をして、無年金になりました〜❗️なんてバカなことを書いているのもある。

 

何も考えずに読んだなら、無年金という悲惨な老後と、学会の財務とを結びつけてしまうではないか。

 

こういうのを印象操作と言うんじゃないの?

 

少し考えれば、無年金て、何が原因?てわかるものなのに。

 

 

無年金とは、納めるべきものを納めてこなかったからです、はい。

 

全て自分の責任です。

 

財務と一切関係がありません。

 

 

財務のことを、むしり取られた、と表現しているものまである。

 

むしり取るとは、引きちぎるようにして取ることである。

 

お金を引きちぎられたの?

 

それならこれも、警察行きましょう。

 

犯罪ですから。

 

なぜ警察に行かないのでしょうね。

 

行かないのなら、もう少し言葉には気をつけて書きましょう。

 

 

 

いつの時代も、学会を引きずり落とそうとする魔は、どこからでも襲いかかろうとする。

 

学会を悪く言えば、興味を引くことができ、聴衆の足は止まり、ブログのアクセスは増える。

 

長井秀和もひどいもんである。

 

25年前の転落事件を、学会が関与したかのように、よりによって選挙演説という公の場で、マイクを握って発言したのである。

 

学会に名誉毀損で訴えられると、他殺とは言っていない、と。

 

じゃ、なんて言ったのか。

 

動画を見ると、何と人殺し〜と言っているのである。

  

警察と検察が事件性なしとしたものを、人殺し〜とは、一体何という男だろう。

 

25年前を覚えている人は、ああやっぱり、と思うか、知らない人はへぇーそんなことがあったのかーと改めて学会をそういう目で見るのか、、、

 

彼のしていることは大悪である。

 

他殺と人殺しの違いを是非、次の演説で教えてほしいものである。

 

心なしか、顔も悪相になってきている。

 

彼は財務に対しても、収入の一割が目安などとして、トイチなどという聞いたこともない下品な言葉を使って揶揄している。

 

こんな男、許してはいけない。

 

 

学会員よ、もっと怒ろう。

 

「瞋恚は善悪に通ずるものなり」

 

悪に怒りを燃やすのは、善なのである。

 

燃え上がる怒りがなくなったら、もはや正義の心はない、と。

 

死んだ心に功徳はない、喜びもない、幸福もない、と先生は言われている。

 

言われなき誹謗中傷を浴びたなら、黙っていてはいけない。

 

叫ぶべき時には叫ばなければいけない。

 

どうしようもない悪人には怒りをぶつけよ、かのプラトンもそう言っているのである。

 

黙っていては、自分も同罪である。

 

これが学会精神である。