私は、一つ宿業をやっつけたのかどうかわからない。
次男は四月、てんかんの大きな発作を起こした。
お花見🌸の帰り道、電車の中で起こった。
今までの発作が可愛く思えるほどの大発作。
白目をむき、口から泡を吹き、ほほはピクピクふるえ、それはそれは見たことがなかった。
久々の大きな発作。
乗り合わせた人たちが皆びっくりし、非常ベルを鳴らして車掌を呼ぶ、電車は緊急停止する、急病人発生というアナウンス、、、
それは大変であった。
それまでの頻発していた10秒ほどの意識消失の発作がかわいく思えた。
あきらめないでそれまでやってきたが、もう打つ手がないように思えた。
すると翌5月、主治医からひょこっと、治験やってみませんか、という提案が。
次男の場合、その治験薬を試す💊条件に全て当てはまるのでどうか、という。
アメリカではすでに保険の対象となっているが、日本では動物実験が終わり、健康体の方の実験が終わり、てんかん患者の最終実験の段階なのだそう。
よく考えて返事くださいということであったが、やりますとも❗️
もうここまで来たら、何でもやります。
30年以上、苦しめられてきたのです。
治るためなら何でもやります。
ヤクルトがいいと言われれば、飲ませました。
竹の足踏みがいいと言われれば、それもやらせました。
浄水器がいいと言われれば、すぐ取り付けました。
難治性のてんかんだから、もうお母さん諦めてくださいと言われても、はいわかりました、と誰が言えるでしょう。
これだけは、私が死ぬまでの自分の課題だと思って、踏ん張ってきました。
魔は私を試すように、これでもか、これでもかと攻めてきました。
おい、攻めすぎやろ、というくらい。
ひどいときで一日数回、三日連続もざら。
少し間が空いて1ヶ月、、、
どれだけお題目をあげてもあげても、魔が私をあざ笑うかのようにやってくるのです。
もう、どれだけ寿命が縮んだかわかりません。
御書と、歴代先生の指導をむさぼるように毎日読みました。
するとどれを読んでも、どこを読んでも、絶対大丈夫としか書いてありません。
万に一つも、1%でもそればかりは無理かも、、、という指導があれば、ああ私はこれに当てはまるのだ、と不安感に襲われていたのか、逆に納得したのかわからないが、ないのだ、それが。
どこを読んでもないのだ。
大丈夫、大丈夫、あきらめるな、頑張れと、どこを読んでもそう書いてあるのだ。
太陽の仏法と呼ばれるように、ポカポカと暖かい陽射しががこぼれてくるような、ああ大丈夫なんだ、と安心できるものばかりであった。
歴代会長が三人ともそう言うのだから、信じよう。
確信は深まってきた。
起きている限りの胸中題目。
100万べんの題目も、既に25回目。
最後の大きな電車内での発作が起こった頃には、てんかんなんかもうどうでもいいや、自分は発作なんか起ころうが起こるまいが、この信心をしていくことに変わりはないのだ、という心境にまでなっていた。
そんな時にひょこっと出た、主治医の治験薬の提案。
主治医は、諸天善神だったのでしょうか。
いや、第六天の魔王が根負けして諸天善神の働きをしてくれたのかもしれません。
治験薬を試して5ヶ月、発作がないのです。
こんなこと、ここ10年で一度もなかったのです。
さらに実験台になってくれているからと、次男には病院までの往復の交通費の他に、協力費として通院のたびに7000円も出ているのです。
ささ、どうぞこちらへと治験室に通され、病院ではVIP待遇なのです。
なんか、とても不思議な感じです。
次男のてんかんという病魔との戦いの中で、私の信心は確実にダイヤモンドのように固く固くなっていった。
ありがたくてありがたくて、自分の信心が固くなったのがありがたくて、ご本尊様の中の第六天の魔王にもやっほー、ありがとう❗️と言いたくなる毎日です。
私は、魔王と友だちになれたのでしょうか?