再び、以下の質問がありました。
玄三さんと主治医との間で、互いに理解を深め合うために行った具体的な行動は何でしたか?

はい、これについては、実際15年前に書いた「主治医とのエピソード」があります。もちろん、これは15年前に主治医に渡しました。

    【人工呼吸器をつけて、いま思うこと】
 あの時、喉頭を摘出して呼吸器を付けると決断したことに、まったく迷いはなかった。そして、今も後悔してない。いや、むしろ喉頭を摘出して、凄く良かったと思います。

息苦しさが日増しに強くなっていく中、あの日の朝、我慢が限界を超え恐怖心に襲われながら「もう仕方ない、呼吸器を付けよう」心の中で、つぶやきながら、敗北感に似た気持ちを味わっていました。いつか、こんな日が来るだろうと覚悟していたので、気持は落ち込んでいたけど、冷静だった。

「呼吸器を付ける」と心の中で決めて、救急車を呼んでもらったけど、病院に運び込まれる車中、少しずつ複雑な気持ちに支配されていました。それは、これでやっと恐怖心から逃れられると言う安堵と、今後、口からの食事は出来なくなるのでは…、もしかしたら胃に穴を…、という不安が交錯していたのです。

つまり、呼吸器を付ける覚悟をして、救急車に乗ったけど、大学病院に着いた時には、色々な事が頭をよぎり、逃げ出したいくらい弱気になっていました。色々な事とは、呼吸器について、それまで聞いた事や、インターネットで調べた事が、鮮明に浮かんできたのです。           

その内容とは、「呼吸器を付けて、口からの食事は出来ると言っても、現実は難しい」 「一度、呼吸器を付けたら、二度と外すことが出来なくなる」 「呼吸器に慣れるまでは時間が掛かる」 「呼吸器を付けると、今までより確実に我慢を強いられる」 「生活が制限される」など、呼吸器を付けたら大変な事になるぞ、とでも言いたげに、否定的な事ばかり頭に浮かんでいたのです。

自分でも気持の整理がつかず混乱していました。その中でも、特に食事のことが気掛かりでした…。でも、そんな不安を当直の先生が打ち消してくれたのです。

それまで、気管を切開して呼吸器を付けるつもりだったが、いや、それが唯一の方法と思っていたのに、なんと、喉頭を摘出して呼吸器を付ける方法があることを、先生の説明で初めて知る事になったのです。その最大のメリットというのは、誤燕による肺炎の心配が無ないので、食事は口から食べられると言うことだった。

その説明を聞いた時、「これだ!」と思いました。いま思うと、その時、選択肢を与えてもらって、心底よかったと思います。喉頭を摘出する手術が無事に終わり、麻酔から覚めたときは、人工呼吸器が付けてありました。不思議なくらい違和感はありませんでした、もちろん今も違和感はなく、日常の生活では、呼吸器を付けていることを忘れてしまうくらい一体化しています。

手術が終わり、2週間位経ってから飲み込みの練習を始めましたが、それまでの期間が凄く長く感じました。早くしないと飲み込み方を忘れてしまうのではないかと言う不安がありました。食事(きざみ食)は最初から上手に飲み込めたわけではありません。

喉頭を摘出しているので、せき込むことはなかったが、一口ずつ、ゴクッと飲み込んだことを確認しながら、そして、自分を励ましながら食事の時間を過ごしていました。もちろん、努力するのは誰の為でもなく、自分の為なので続けるしかありませんでした。

ところが、水分だけは以前のように摂ることが難しくなっていて、少しの量を飲むのにも相当時間が掛かっていたのです。水分補給は、鼻から胃に送管していた管に頼っていました。これから先も、飲ませる人に負担が掛かるに違いない「仕方ない、水分は退院してからも鼻から入れよう」心の中で、勝手に決め付けいました。

しかし、そんな僕の気持ちを無視するかのように、鼻から入れてる管が、主治医の先生の手によって、スルスルと抜き取られていったのです。僕が、それまでしがみついていた命綱が、わずか3秒位で目の前から消えてしまいました。

言葉が喋れないので、その辺の意思が通じなくて、歯痒い感情が込み上げていました。

でも、そんな気持も次の日からの先生の行働によって「よし、頑張ろう!」と言う気持に変化していました。それは、先生が僕の為に、朝と晩の2回に分けて、高カロリーの飲み物を飲ませに来るのです。

わずか200CCを飲むのに、1時間も掛かるのに、一生懸命に努力されてる姿を目の当たりにして、本当に頭が下がる思いをしました。

いま思えば、あの時あのタイミングで管を外して良かったと思います。今では、200CCを飲むのに5分位で飲めるようになりました。呼吸も楽になり、食欲も以前より増して、見るに耐えない位ガリガリにやせ細っていた体が最近、太ってきました。

また、喉頭を摘出しているので、唾液が喉へ流れることもないから吸引の回数も少ないと思います。特に夜間は寝返りする時に、1回吸引すれば大丈夫です。

呼吸器を付けて、初めて分かった事があります、それは、それまで呼吸器を付けた人達をテレビなどで見て、「気の毒」「可哀相だ」「痛々しい」などと、自分勝手に想像していました。

でも、自分が同じ立場に立たされた今は、そういう目で見られると、ぶっ飛ばしてやりたくなります。人間って勝手ですね。

病気になったのは仕方がないけど、心まで病気に支配されない為には、病気という逃げ場を、心の中に作らないで生活するのが、この病気の一番の薬だと考えています。

僕は、少し能天気かも知れませんが、普段は自分が病気だと言うことを忘れています。
でも、そんな僕が病気を意識するイヤな瞬間があります。それは病人を見る様な目で見られた時や、変に気を使われた時です。できれば、肩の力を抜いて、普通に接して欲しいと思います。そうすれば、お互いが楽になれます。

最後に、わがままな僕が、今、何不自由なく、快適な環境の下で幸せな毎日を過ごせるのも、妻と娘、そして、多くの方々の、言葉で表現できない位の大きな支えがあるからです。感謝しています。
人工呼吸器をつけて、いま思うことでした。

中 野 玄 三

この後、お互いの距離がグッと縮まって、お互い何でも話すようになりました。
ちなみに、あの時、1時間掛かっていた飲水は、現在では30秒で飲めるほど進化させました。これも、主治医と一緒に乗り越えてきた「いい思い出」になっています。