今日は僕がALS(筋萎縮性側索硬化症)を診断されてからの道の中で、特に難しかった時期について話します。この病気との格闘はただの医学的な戦いではありません。これは、自分の信念、価値観、そして生き方について深く考える道でもありました。

背景
当時、体重計に乗ったところ、体重が31キロまで落ちていることに気づきました。この数字を見た時、多くの人がショックを受けるかもしれませんが、当時の僕はこれが"普通"だと思っていました。しかし、これは僕がALSとの戦いの中で直面した最も厳しい時期の始まりに過ぎませんでした。


胃ろうを拒否した決断
治療の選択肢として胃ろうが提案された時、多くのALS患者がこれを選択します。しかし、僕は違いました。大学病院で、僕は胃ろうを行わないという強い意志を持ち、"絶対にしない!"と宣言しました。この決断は、一般的なガイドラインには反していましたが、僕の人生計画と価値観にとっては正しい選択でした。

例え話
この決断をするにあたり、僕は将来をシミュレーションしました。まるで、川を下るカヌーに乗っているようなものです。胃ろうは、急流を安全に下るための強力なモーターを取り付けることに似ています。多くの人にとっては、これが最善の選択かもしれません。しかし、僕にとっては、そのモーターが僕のカヌーを望まない方向に導くことになると感じました。僕は自分のペースで、自分の力だけでこの川を下りたいと思ったのです。

周囲の反応と僕の確信
僕の決断に対し、周囲の人々は驚きました。多くの人が胃ろうを受け入れていると聞き、幸せに生活しているか尋ねたこともあります。しかし、その答えはいつも明確ではありませんでした。僕は、自分の選択に自信を持ち、独自の道を歩むことに決めました。

息をするために上を向く
ALSの進行により、僕は手足の自由を失い、声を出す力さえも奪われました。息をするためには、常に顎を上げ、気道を確保する必要がありました。少しでも下を向くと、舌が喉を塞ぎ、呼吸ができなくなっていました。

希望と適応
この難しい時期にもかかわらず、僕は新しい食べ方を見つけ、食べられる手術(喉頭全摘術)を受け、コミュニケーション法を確立して、生活の質を維持する方法を見つけました。当時、ヘルパーさんたちは僕の毎日の食事をキザミ食にしてくれました。これは、僕が自分らしい生活を送るための小さな勝利でした。

20年後の現在
あれから20年が経ちました。今では、毎日イベントのような食事を楽しんでいます。僕は家族と共に幸せに生活しており、15年前から仕事にも復帰しました。そして、不明ですがALSの進行は完全に止まっています。医師も「止まっている」と言います。周りの人たちは今、僕の意志を貫いたことを称賛してくれます。

結論
僕の体験を通して、皆さんに伝えたいのは、幸せとは自分らしい生活の中にしか存在しないということです。ALSは僕に多くのことを教えてくれました。最も重要なことは、自分自身の価値観に基づいて意思決定をする勇気を持つことです。

これについて様々な意見があると思いますが、皆さんも自分らしい生活を大切にし、自分の信じる道を歩んでください。

おわりに
医学的な処置や治療法は、命を延ばすためや生活の質を向上させるために非常に重要ですが、それだけが全てではありません。患者一人ひとりが何を価値あるものと感じ、どのような生き方を望むかは大きく異なります。