僕も最初はそうでした
ALSと診断されると、周りは一斉に「命を守る」動きに入ります。医療も家族も支援も、まずは延命。これが普通の流れです。僕も最初はそうでした。確定診断が出てから、「まだ死にたくない」という思いでいっぱいでした。治る薬があるなら、地球の裏側だって行く覚悟もありました。当時は、まだ若かったし、欲もあったので。実際、日本で初めてカナダから取り寄せてもらった薬を、入院中は医師に鼠径部から5分かけて注射してもらい、退院後は妻と中学生の息子に打ってもらっていました。治療費は100万円を超えていました。でも、結果としてその薬は僕には効きませんでした。そこで、ひとつの区切りがついたんです。ALSは、今の医療では「治らない」。だけど、「治らなくても、生きられる」と知った瞬間、僕の優先順位は変わりました。※ここから、ちょっと人と違うルートに入っていきます。それまでは「とにかく生きる」が一番。それが全てでした。そこから「これまで通りの生活を続ける」が一番上に来たのです。「命が一番じゃないの?」と言われそうですが、命だけトップにしてしまうと、「とにかく生きてさえいればいい」が暴走して、生活が置いてけぼりになります。なので、僕の中の優先順位は、こうなりました。1番は、会社も生活も、これまで通り続ける2番は、もちろん、命もちゃんと守るこの順番が、僕が「32年、不自由なく暮らし続けている理由」の一つです。命だけを守るのではなく、「生活を守る」ことを先頭に置いた。※ここが、たぶん多くの人と違うところです。生活が守れたら、命も守られる。生活が崩れたら、命は守れても心が折れる。心が折れたら、結局つらい。結果として、さまざまな問題が起こる。じゃあ、どうやって生活を守るのか。2000年、要介護5だった僕は、ALSを「4つの問題」に分けました。・手足が動かない問題・喋れない問題・舌が動かなくて食べにくい問題・今後、呼吸苦が出てくる問題ここで僕は、気がつきました。最初の3つは、誰も治せない。医師も、リハビリも。だから、考え方を変えました。「治す」のではなく、「生活を続ける仕組みを作る」。・手足が動かない問題に対して、僕はこう決めました。僕の手足は、人にやってもらおう。ただし、ただの「善意」や「お願いヘルパーさん」では続かない。だから、食事介助を入り口にして、ヘルパーさんが僕の手となり足となって動いてくれるような信頼関係を育てることにしました。食事介助を甘く見てはいけません。あれは「ただ食べさせる作業」ではなくて、その人の優しさも雑さもセンスも全部出る、性格丸見えケアです。僕自身も食べるときは、性格が出ます。わがままも出ます。そこを一緒に経験していくうちに、「この人に任せておけば大丈夫」という土台ができていきます。この土台があるから、32年経っても、僕は「困らない生活」を続けられる。体は不自由でも、暮らしは不自由じゃない。そこがポイントです。ヘルパーさんも「命を守るケア」ではなく、ヘルパーさんの得意な「生活を続けるケア」ですから、モチベーションが高く、定着率も高いですね。・喋れない問題は、眉文字と口文字で回しました。道具を使わずに、眉と表情で会話する。最初は怪しい暗号みたいですが、PA兼ヘルパーさんたちは、ちゃんとマスターしてくれました。会話ができるようになると何がいいか。はい・いいえが伝わるだけじゃなく、冗談も言えるし、ツッコミも入れられるし、「今のは違う!」と文句も言える。ケンカもできるし、仲直りもできる。つまり、介助が「お世話される人とお世話する人」から、「同じテーブルで暮らす仲間」に変わるんです。ここまでいくと、ケアは一気にラクになります。お互いにわがままも言えるし、笑いも増えるし、多少の失敗も冗談に変わる。これが、長く続くチームの秘訣です。・舌が動かなくて食べにくい問題は、根性論で「頑張って飲み込め」ではなく、どうしたら頑張らなくても食べられるかを、妻と一緒に実験しました。姿勢、スプーンの角度、ひと口の量、食材の刻み方。これを僕と妻で散々試して、「これならいける」という形を見つけて、それをPA兼ヘルパーさんに伝える。そうすると、誰が担当しても、僕は安心して食べられる。安心して食べられるから、食は継続できる。食が継続できるから、生活のエンジンが回り続ける。32年食べ続けているのは、気合いではなく仕組みのおかげです。技術と工夫。方法さえ作れれば、一生の財産になります。そして最後の呼吸の問題。ここだけは、正直に言うと反省点が多いです。想定していたけれど、現実はもっと早く厳しかった。結果、救急車で大学病院に運ばれました。普通なら「人生最大のピンチ」です。でも耳鼻科の先生が「呼吸器をつけるなら、食べられる手術がありますよ」と言ってくれた瞬間、僕の頭の中ではやった。食べ続けられる。ラッキー。でした。そのとき妻があとでこう言いました。「あなた、あのとき目がキラッと光ってたよ」と。たぶんあのときも、僕は命の問題を「どう生きるか」の話に勝手に変換していたんだと思います。よく「なんで32年も不自由なく暮らせているんですか?」と聞かれます。答えはシンプルです。ALSを「不幸な病気」として眺め続けるんじゃなくて、「重い障害」にしてしまい、困らない生活を実現するために、チームで工夫を重ねたからです。治らないところを眺めて嘆くより、代わりのやり方を、工夫して組み立てる。・手足の代わりに動いてくれるPA兼ヘルパーさんを育てる・口の代わりに、眉や表情で通じ合う会話法を作る・飲み込みに合わせて、料理と食べ方をチームで工夫する・呼吸器を、生活のためのパートナーにしてしまうやっていることは、人とちょっと違うかもしれません。でも、そのおかげで「なるほど、だから32年も不自由なく暮らせるのか」と言ってもらえるなら、このちょっとズラした考え方も、結果オーライだったなと思っています。追伸:ALS歴32年:気管切開・呼吸器って怖い?…設定ミスのほうがよっぽど怖い。YouTube▼▼▼- YouTubeYouTube でお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtu.be追伸文字では伝えきれない部分を、動画にしています。ALSという言葉から想像される姿と、現実の暮らしは、きっと違って見えると思います。よかったら、実際の空気感を感じてみてください。▶ YouTube↓↓ALS患者の呼吸器は生きるか死ぬかじゃない。呼吸器で「自分らしさ」を守る話。- YouTubeYouTube でお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtu.be◆自己紹介ALS生活31年の会社経営者です。皆さんからゲンゾウさんと呼ばれています。ALS患者の在宅の楽しさや、困らない生き方など書いています。書籍は下のURLをクリック。フォロー、お待ちしています!https://books.rakuten.co.jp/search?g=101&maker=%E4%B8%ADALS患者の呼吸器は生きるか死ぬかじゃない。呼吸器で「自分らしさ」を守る話。%E9%87%8E%E7%8E%84%E4%B8%89&x=33&y=5◆ALS生活約31年! 中野玄三のYoutube情報チャンネルALS生活約31年! 中野玄三のYoutube情報チャンネルALS患者。ALS生活31年の経験を持つ会社経営者です。 皆さんからゲンゾウさんと呼ばれています。 ALS患者の在宅生活の楽しさや ALSでも困らない生き方について書いています。 フォロー、お待ちしています! もし大切な人がALSになったら、この乗り越え方を教えます。ALS患者の様々な問題の解決方法については、僕の体験を通して電子書籍に書いています。 電子書…www.youtube.com