新日本プロレス・オフィシャルスマホサイトで恒例の
『号外!‟GK”金沢克彦のプロレス通信』。
今回は、12・10グランメッセ熊本大会で最終戦を迎えた
『WORLD TAG LEAGUE 2023』を総括しすでにアップされている。
優勝決定戦に駒を進めたのは、
現IWGPタッグ王者の毘沙門(後藤洋央紀&YOSHI‐HASHI)と
現STRONG無差別級タッグ王者のG.o.D(ヒクレオ&エル・ファンタズモ)。
これが40分超えの大勝負となり、
リーグ戦の初戦で敗れている毘沙門がリベンジに成功。
IWGPタッグ王者として初制覇、さらに初の3連覇を達成している。
■写真提供/新日本プロレス
試合に関しては、この写真がすべてを物語っているだろう。
真っ向勝負の末に、完全決着の闘いを終えてノーサイド。
4選手が横並びになり手をあげて観客にアピール。
ところが、首筋から右肩に大ダメージを被った
ファンタズモだけは、右手を上げることができない。
ここに、プロレスの真実がつまっている。
■写真提供/新日本プロレス
両軍のクリーンな握手からスタートした優勝戦。
一進一退の攻防のなか、シングルであれば決着というシーンが何度かあった。
それをパートナーが必死にカットする。
またパートナーがダメージを被っている間には、
回復するまで孤軍奮闘して相手チームの攻撃に耐え抜く。
ひさびさに見る、タッグマッチらしいタッグマッチ。
これがタッグという試合形式の原点なのかもしれない。
試合を観ていて、ふと思い出した。
20年以上も前のこと。
新日本プロレスの名古屋大会に馳浩(現・石川県知事)が突如乱入。
ピンチに陥っていた武藤敬司を救出した。
これにて、馳のBATT入りも決定。
その日の夜。
武藤、馳先生と取材で合流。
いつの間にか取材を忘れて、
ワインバーで飲み明かしていた。
武藤がこんなことを言った。
「キャリアを重ねると、シングルよりタッグのほうが面白くなるんだよね。
自分を犠牲にしてもパートナーを助ける。
タッグマッチっていうのは愛情のかたまりなんだよ!」
あの言葉が頭をよぎった。
■写真提供/新日本プロレス
終盤、エプロンからの消灯でテーブルクラッシュ。
この一撃でヒクレオが戦闘不能状態に陥った。
その後、10分近く孤軍奮闘したファンタズモだったが、
合体技3連発を食らってついに力尽きた。
優勝したのは、毘沙門。
■写真提供/新日本プロレス
ただし、1勝1敗。
両チームは互いのベルトを懸けて
1・4東京ドームで決着戦に臨むことが決定。
この両チームの闘いであれば、何度でも見てみたい。
さて、リーグ戦開催中にはとんでもない事件が勃発。
こちらのほうもクローズアップしている。
Ⅴ戦線に絡んでくるだろうと予想されていた令和闘魂三銃士の
海野翔太&成田蓮の同期コンビが空中分解したのである。
■写真提供/新日本プロレス
Aブロックの最終公式戦となったH.O.T(EVIL&高橋裕二郎)戦で、
まさかのダブルクロスにより、成田が電撃的にH.O.Tへ加入。
ストロングスタイルという自身の象徴的フレーズも捨て去り、
最悪最凶のヒールユニットへと寝返ったのだ。
今シリーズ着用してきた海野とのコラボTシャッツを破り捨て、
12・6唐津大会から事あるごとに海野をメッタ打ちにしてKOしている。
■写真提供/新日本プロレス
この事件を見て、オールドファンであればアレを思い出したことだろう。
2008年2月、ヒールユニットのG.B.Hから追放された天山広吉。
連日にわたりG.B.Hによるリンチを受けていた孤立無援の
天山を体を張って救出したのが飯塚高史だった。
その飯塚の男気に打たれた天山は、
新たに飯塚との友情タッグを結成。
4月シリーズから新作の友情タッグTシャツを着用して、
4・27大阪大会では真壁刀義&矢野通のIWGPタッグ王座へ挑んだ。
■写真提供/新日本プロレス
ところが、飯塚がまさかのダブルクロス。
試合中に天山を裏切ってのG.B.H入り。
それを機に、あの怨念坊主・飯塚のキャラが生まれた。
Tシャッツの件といい、試合中の裏切りといい、
まさにオマージュといっていいほど似通っていた。
それにしても、成田蓮の変貌ぶりには驚くばかり。
リング上、バックヤードで浮かべる薄ら笑い。
海野に対する憎悪の言葉の数々……。
ついに覚悟を決めた感がある。
令和闘魂三銃士プラス上村優也のZ世代のなかで、
もっとも地味なキャラに徹していた男による
突然のヒールターン。
一躍、時の人となった成田蓮の行く道は?
いずれにしろZ世代による闘争はますます激化することだろう。
というわけで、さらに詳細を知りたいかたは、
新日本プロレス・オフィシャルスマホサイトを覗いてみてね。
「“タッグマッチの原点”を目撃した『WORLD TAG』優勝決定戦!
友情タッグ分裂がオーバーラップ!衝撃の成田“裏切り”事件!!」
12.10熊本大会を総括!【“GK”金沢克彦の新日本プロレス通信】
【追伸】
12月11日、木戸修さんが亡くなった。
享年73。
寡黙、堅実、実直な人だった。
いぶし銀と称されたテクニシャン。
あのカール・ゴッチさんから「マイ・サン」と呼ばれ、
もっとも可愛がられたことからも人柄がわかろうというもの。
どんなに厳しい練習にも音をあげなかったのだろう。
木戸さんには2~3回、単独インタビューをさせてもらったことがある。
真っ先に思い出すのが、用賀のUWF道場での風景。
木戸さんは、炎天下にいつもトランクス一枚で日光浴していた。
真っ黒に日焼けした体で、ポツリポツリと語ってくれる。
旧UWF軍が業務提携により新日本マットに舞い戻ったとき。
Uの選手たちはロープワークを拒絶した。
そんななか、一番先にロープへ飛んだのが木戸さんだった。
「木戸さんは、なぜロープワークを拒否しなかったんですか?」
「それは大きな問題じゃないでしょ。
必要と思ったらロープへ飛びますよ。
それもプロレスの一部なんだから」
私の質問に対して、平然と回答した木戸さん。
藤原組長だって、前田日明だって、
木戸さんには頭が上がらなかった。
また、日焼け仲間だからではないのだろうが、
なぜか木戸さんは長州力とウマが合うようで、
2人が楽し気に談笑している姿を何度か見たことがある。
長州も木戸さんをリスペクトしていたのだ。
そして、今を時めく中邑真輔に
プロレスのイロハを指導したのも木戸さん。
プロレス界随一のジェントルマン。
それが木戸さんだった。
合掌。