7月4日、5日に後楽園ホールで開催された新日本プロレス

『NJPW STRONG』は、観客大熱狂の異次元空間と化した。

 

2020年8月、コロナ禍のなか新日本が米国で立ち上げ、

現在では月1回のペースで通常興行を開催し、

新日本プロレスワールドで配信されているSTRONG。

 

新日本ファンはもとより、マニアックなファンからの支持を得て

今回、逆輸入というカタチで新日本のリングでの開催が決定した。

 

その両日ともメインイベントで対戦したのが、

エル・デスペラードとジョン・モクスリー。

 

とくに、初日のタッグマッチは戦前から話題沸騰となった。

モクスリーがタッグパートナーに指名したのがホミサイド。

ROH、TNAなどでシングル、タッグともにトップとして活躍し、

日本では大日本プロレス、ZEROーONEなどに参戦経験がある実力派。

 

対するデスペラードは、他団体ながらライバル関係にある

葛西純(FREEDOMS)を口説き落としてタッグ結成を承諾させた。

 

これにて初日のメインカードは、

エル・デスペラード&葛西純vsジョン・モクスリー&ホミサイドと決定。

 

 

              ©新日本プロレス

 

日本を代表するハードコアレスラーであり、

デスマッチのカリスマとしてカルト的な人気を誇る葛西。

 

あの狂猿(クレイジーモンキー)がついに新日本マット初登場。

6・17八王子大会でそれが正式決定すると、チケットは即完売となった。

 

ワタクシ金沢もかなり驚いたし、ひさしぶりに心を揺さぶられた。

あの葛西が……いや「純クン」が新日本のリングに上がるのだから。

葛西はカリスマ的存在でありながら、純粋なプロレスファンでもある。

 

彼の愛息も大のプロレスファンだから、

一般客としてチケットを買い息子さんと並んで新日本の

後楽園ホール大会の客席に座っているところを何度か見たことがある。

 

それにしても、48歳になった葛西を未だに私は「純クン」と呼ぶ。

というのも、彼とは特別な因果関係というか思い出が多いからだ。

 

話は、21年以上も前の2001年の年末にまでさかのぼる。

同年12月28日、後楽園ホールでオールスター戦のイベントが開催された。

サムライTVが開局5周年を記念して『サムライ特別興行』を行なったのだ。

 

トークショーなども交えて、試合そのものは全7戦。

新日本プロレス、パンクラス、火祭り実行委員会(ZEROーONE)、

DDT、みちのくプロレス、大日本プロレス、アルシオンの7団体が協力し、

それぞれに提供試合を行なっている。

 

試合はサムライTVによる生中継。

当時、週刊ゴング編集長だった私は、

パンクラスを除く6試合の解説を担当している。

 

そのとき、ちょっとしたハプニングというか面白い出来事があった。

セミの第6試合で大日本プロレス提供によるデスマッチが行なわれた。

カードは葛西純vsアブドーラ小林で、パールハーバースプラッシュで葛西の勝利。

 

キャリア3年余ながら、すでに彼は大日本のトップ戦線で活躍していた。

私はといえば大日本の解説をするのは初めてだし、

そもそも会場取材に行った記憶さえない。

ただ、葛西の名前は知っている……その程度の知識。

ともかく、観たままを話しなんとか解説を終えた。

 

試合後、葛西がマイクを手にした。

何をアピールするのかと思ったら、

彼は放送席のほうを睨みながらこう口を開いた。

 

「おい、GK! 

オメェー、俺たちがインディーだと思ってバカにしてんだろ!?

舐めんじゃねえぞー!!」

 

突然、矛先を向けられたのだから驚いた。

それでも咄嗟に、「そんなことはない!」という意味合いを込め、

葛西に向かって手を横に数回振ってみせた。

 

面識がないのに噛みついてきたか?

でも、こういうのは嫌いじゃない。

なんか、おもしろいやつだな。

それが率直な感想であり彼との最初の接点だった。

 

その半年後の2002年5月、葛西は試合中に膝の靭帯を断裂する怪我を負った。

手術は成功したが、全治1年と診断されるほどの大怪我だった。

 

当時、大日本の経営は行き詰っておりギャラの遅配が続き、

さらに大怪我による欠場で葛西の気持ちが揺れ始めた。

大日本退団……そこにオファーをしてきたのがZEROーONEだった。

 

2003年1月、葛西は新天地で復帰。

以降、ZEROーONE所属となり、ホームのZEROーONEや

ハッスルのリングで活動するようになった。

 

ただ、コミカルなモンキーキャラを演じること、

サラリーマンレスラーになりつつあることに

葛西自身は違和感を憶えており、約2年で退団。

 

その後、フリー、アパッチプロレス軍、大日本復帰、

FREEDOMS旗揚げと渡り歩いて現在に至っている。

 

葛西にとって、ZEROーONE時代に関しては

あまりいい思い出は残っていないのかもしれない。

ただし、葛西と私の間に初めて交流が生まれた。

 

2001年3月の旗揚げ戦から現在に至るまで、

スカパー!PPV、サムライTVでの

ZERO-ONE(現ZERO1)中継のレギュラー解説を、

なんと私は22年以上も担当している。

 

必然的に、会場で葛西と顔を合わせる機会も増えた。

そこで彼が私と同郷(北海道帯広市出身)であること知り、

より親近感を覚えた。

 

また、葛西は似顔絵、イラストの腕前がプロ級であることから、

週刊ゴング誌上で『葛西画伯の似顔絵コーナー』を連載していたこともある。

 

当時、ZEROーONEファンで顔見知りの女の子たちが、

葛西のことを「純クン」と呼んでいた。

それに倣って私も彼のことを「純クン」と呼ぶようになった。

 

まあ、思いで話はこの程度にしておこう。

とにかく、メインの盛り上がりは試合前から凄まじかった。

 

凶器持ち込みOKのノーDQマッチ。

一番手で入場したのはホミサイド。

 

こちらも葛西にとっては因縁浅からぬ相手。

過去の対戦で葛西がバルコニーからのテーブルクラッシュを狙ったとき、

いち早くカムバックしたホミサイドがあとを追いかけてきて、

後楽園ホールのバルコニーから葛西を突き落としたことがあるのだ。

 

二番手がデスペラード、三番手がモクスリー。

こうなると、もう分かっていながらホールは出来がった。

 

STRONGの興行ながら新日本マット初登場の葛西が、

メインイベントのトリで入場という歴史的シーン。

入場テーマ『DEVIL』が鳴り響くと、ホールは大爆発。

 

葛西が姿を現すと、地鳴りのような「カサイコール」の大合唱。

まるで、FREEDOMSの後楽園ホール大会そのものだ。

 

新日本サイドもVIP待遇を用意したわけだが、

葛西が自力で禁断の扉を開けたといってもいいだろう。

 

ゴングと当時にいきなり4選手が、

リング内外で大乱闘を始める。

 

ありとあらゆる凶器、アイテムが持ち込まれる。

パイプ椅子、竹刀、チェーンなどはまだカワイイもので、アルミバケツ、

ホークボード、ノコギリ、十字架カミソリボード、竹串……。

 

さすがに、新日本ではご法度だろうと思っていた

カミソリボードが出てきたときには、私も驚いた。

 

              ©新日本プロレス

 

さあ、どうですか?

閲覧注意のヤバイ攻防の数々。

 

              ©新日本プロレス

 

最後は、ホミサイドを捕えたデスぺラードが

アルミバケツへのピンチェ・ロコを決め3カウント奪取。

4選手流血の死闘を制した。

 

デスぺがマイクを握って、葛西とホミサイドへ感謝の弁。

そこで引き揚げようとする葛西に締めのマイクをリクエスト。

葛西が、これに応えた。

 

             

  

                    ©新日本プロレス

 

「やっちまってから言うけどよ、キング・オブ・スポーツ、

新日本プロレスのリングでこんなことしてあり?

しかしだ、賛否はあると思うけど、今のお客さんの歓声を聞いて、

オレっちは新日本プロレスのリングでこの試合アリだと思ってる。

デスぺよ、最高に超刺激的で気持ちのいい夜だったよ」

 

もちろん、観客は大歓声、大歓迎の声援で応えた。

そして、互いに中指を突き立てて次回も共闘を誓った。

 

翌日、デスぺはモクスリーとの一騎打ちを控えている。

それを考慮したのか、葛西はノーコメントで引き揚げた。

 

試合後、しばらくして控室から出てきた葛西に話しかけたみた。

 

「新日本のメインのトリで入場して、最後も締めちゃったね?」

 

「ってことは、オレっちの大勝利ですかね」

 

「2001年のサムライTV興行で、

『GK、インディーをバカにしてんのか?』って言った純クンが

日本最大メジャーの新日本のトリを獲ったんだからねえ」

 

「ああ、ちゃんと憶えてますよ(笑)。

今日は出てよかったなあって」

 

顔面血塗れに前歯の欠けた顔で、

葛西純が笑った。

 

純が起こした奇跡、狂猿の大勝利である。

 

初日の大熱狂を受けた2日目、

5日の後楽園ホール『NJPW STRONG』。

 

当初、私は初日だけ取材に出向くつもりだった。

葛西の新日本マット登場がすべてと思っていたからだ。

 

ところが、5日にSTRONG女子選手権として、

ウィロー・ナイチンゲールvsジュリアのカードが組まれた。

これは見逃せない、ということで2日目も取材に訪れたのだ。

 

メインカードは、デスペラードvsモクスリーの一騎打ち。

こちらも前日につづき、凶器使用OKのノーDQマッチとなった。

リングの対角線には有刺鉄線ボードが設置された。

 

試合前、大歓声を浴び放送席に特別ゲストとして座ったのが葛西。

棚橋弘至と葛西純が放送席で並ぶというレアすぎるツーショット。

 

場内マイクONとなる状態で葛西はこう言った。

 

「ここに来ているお客さんは全員モクスリーが勝つと思ってるだろ?

だけど、オレっちはデスぺラードが勝つと信じてる。

デスぺにはデスマッチ愛があるからな」

 

このひとことに、またもホールは沸き返った。

 

試合、いや喧嘩が始まった。

前日以上のハードコアな闘いが展開される。

 

「やっぱり来てよかった!」

 

すぐにそう感じた。

互いに、相手を有刺鉄線ボードに叩きつける。

有刺鉄線を拳に巻いての殴り合い。

 

次々と机が持ちだされ、モクスリーがテーブルクラッシュを連発。

かと思えば、有刺鉄線ボードを敷いたテーブルに両者が同体で落下。

 

竹串を取り出したデスぺは、その半分をモクスリーに渡す。

互いに頭部へ竹串を突き刺して、ボコボコとめり込ませる。

 

              ©新日本プロレス

 

なるほど、こういう闘い方があるのか?

邪道であっても、邪道のなかに垣間見えるもの。

それは魂であり、スポーツマンシップなのかもしれない。

 

精根尽き果てるまで死闘を展開し、

20分過ぎ、デスライダーを決めたモクスリーが勝利。

 

いやはや、凄まじかった。

インパクト満点、K点超えの闘い。

 

今年、現場取材した試合のなかでもっともインパクトを感じたのは、

1・1の元日に日本武道館で実現した中邑真輔vsグレート・ムタの一騎打ち。

 

まったくスタイルの違うものでありながら、

あの試合に次ぐインパクトで胸に響いてきた。

 

              ©新日本プロレス

 

試合後、モクスリーが大会を締めた。

長い長いマイクパフォ―マンス。

 

その言葉に日本のプロレスへのリスペクト、新日本LOVEの気持ち、

聖地・後楽園ホールとファンへの特別な思いが溢れ出ていた。

 

そういえば、試合前のモクスリーはレアなTシャツを着用していた。

1990年代に行なわれたFMWの真夏のビッグマッチTシャツ。

 

プロレスおたくにもほどがある(笑)。

いやいや、これほどのビッグネームが

日本のプロレスそのものを愛してくれているのだ。

 

プロレスファンは胸を張ってほしい。

 

大会終了後、『NJPW STRONG』フロントの主要人物である

新日本プロレスアメリカ法人の手塚要COOと話す機会があった。

元・新日本プロレス社長でもある、やり手のジェントルマンである。

 

「この『NJPW STRONG』は映画やドラマに例えるならスピンオフなんです。

新日本プロレスの本流ではできないことをやってみる。

今回の2連戦は冒険でもあったし、大きな器なんて考えはなかった。

コケたら終わりだし……やはり後楽園ホールなんですよ。

当初はアメリカでやっているものの直輸入も頭にあったのですが、

日本のファンにとって刺激のあるもの、本流では絶対やれないものに拘りました。

賛否両論あるのは承知で、葛西さんに出ていただいたし、

女子STRONGではジュリアさんにも出ていただいた。

つねにトライ&エラーでチャレンジできるのがプロレスの強みです。

結果的に、葛西さん、ジュリアさんもあれだけの支持を受けたわけで。

今回のスピンオフが成功して、『G1』の本流に入っていく。

それこそ、新日本プロレスにとって理想形なのかなあと思いましたね」

 

手塚さんの話を聞いて、ますます納得。

お世辞抜きに、今回の『NJPW STRONG』2連戦は大成功。

私もひさしぶりに我を忘れるほど、

ファンの気持ちに戻って観戦・取材することができた。

 

結論は……NJPW STRONGの大勝利。

勝利の要因は、ファンのニーズに

みごとにマッチしたからこそだろう。

 

【追伸】

STRONG女子選手権として行なわれた

ウィロー・ナイチンゲールvsジュリアの熱戦に関しては、

また後日レポートしますので。

 

すこしばかり、お待ちを!