ザ・ドリフターズのメンバーとして、

日本中の人気者だった仲本工事さんが亡くなった。

 

10月19日、交通事故による急性硬膜下血腫。

享年81。

 

アントニオ猪木さん逝去に続いての悲報。

かなりショックだった。

というのも、私なりに仲本さんの人柄を知っていたから。

 

 

 

探してみたら、こんな記念写真が出てきた。

仲本さんがオーナーを務める渋谷センター街にあった

居酒屋『名なし』で、2003年ごろに撮ったものだと思う。

 

最前列の左から2番目で笑顔を見せているのが仲本さん。

永田裕志、吉江豊、三田佐代子さん、高木圭介記者(当時・東スポ)、

さらに昨年8月、新型コロナウィルスにより急逝した海谷善之さんもいる。

当時の私はといえば、ご覧のように恥ずかしながらロン毛だった。

 

仲本さんのお店『名なし』は2005年に閉店してしまったが、

それこそ何度どころか何十回も足を運んでいる。

 

1990年代前半、まだヤングライオンだった永田、中西学、ケンドー・カシン、

大谷晋二郎らとプライベートでも飲みに行くことが結構多かった。

 

そして、1998年頃に永田と私の共通の友人であるSさんが、

「渋谷に面白そうな居酒屋があるから行ってみましょう」と発案。

そこが、『名なし』だった。

 

世代こそ違っても、ドリフターズ大好き人間はいっぱいいる。

というわけで、飲み会の名称は『チームドリフ』の飲み会と決定。

 

そのオリジナルメンバーが、会長=永田裕志をはじめとして、

吉江豊、三沢威トレーナー、海谷善之さん、高木記者、私といった面々で、

ときにはケンドー・カシンや藤田和之が飛び入り参加することもあった。

 

さらに、三田さん、福田雅一(故人)と、

チームドリフのメンバーは増える一方だった。

また来るものは拒まずで、特別参加は誰でもOKだから

ウルティモ・ドラゴンやWJ時代の石井智宏も参加したことがある。

 

いつの間にか、常連となった私たちは店で歓迎されるようになり、

厨房でお手伝いしている仲本さんのお母さんが、

自分で漬けた漬物をサービスで持ってきてくれたり、

店長が仲本さん本人に電話を入れてくれたりもした。

 

そういうとき、仕事帰りの仲本さんが自ら店に顔を出し、

私たちのテーブルに座って一緒に飲んでくれたりもした。

 

仲本さんの人柄をひとことで言うなら、優しい。

あれほどの有名人なのに気取ったところなど皆無で、

一緒にプロレスの話をしたり、コントの話なども聞かせてくれた。

 

そのうち、チームドリフと『名なし』は切っても切れない関係となった。

吉江豊の海外遠征壮行会、同じく真壁刀義の壮行会、竹村豪氏の壮行会と、

三度も『名なし』を貸し切りにして、開催されたのだ。

 

そういうときには、第三世代以下の新日本プロレス全選手、

各マスコミ、新日本社員、スポンサー系の人たちが大集合。

 

我々がどんなにバカ騒ぎしようと、

お店のマスター、仲本さんのお母さんは笑顔で接してくれた。

 

さらに仕事帰りの仲本さんも駆けつけてくれて、

海外遠征に出る選手に必ず花束と餞別を渡してくれた。

また、吉江の結婚披露宴にも出席してくれたと記憶している。

 

こんな言いかたは失礼かもしれないが、

無口で心優しく気配りのできる普通のオジサン。

それが、仲本工事さんの印象だった。

 

ザ・ドリフターズは超個性的なメンバーが集結したグループ。

そのなかで、常識派である仲本さんの存在が

潤滑剤のような役目を担っていたのだろう。

 

 

この稿を書いている最中、もう一枚の写真を発見した。

これは、『チームドリフ』結成当初の記念写真。

おおよその日付まで判明した。

 

ヒントとなったのは、左端の友人女子が持っている

『週刊ゴング』の表紙なのだ。

 

上が、髙田延彦と船木誠勝が握手している絵柄で、

下に三沢光晴と蝶野正洋が握手している写真。

 

ということは、1998年8月26日発売号である。

永田は米国WCW遠征から帰国したばかりで、

8・8大阪ドーム大会で凱旋帰国マッチを行なっている。

 

本格的シリーズ参戦は、9・10大宮大会からスタートする

『‘98G1 CLIMAX SPECIAL』となり、

その最終戦の9・23横浜アリーナでは

スコット・ノートンとIWGPヘビー級王座決定戦を行なっている。

 

敗れはしたものの、超竜ノートン相手に大健闘した永田株は急上昇。

この一戦によってトップの一角に食い込んでみせた。

 

まさに、永田のブレーク直前に開催された飲み会。

『名なし』での前夜祭となったわけである。

 

永田が若い、吉江も若い。

私は36歳で、まだ『週刊ゴング』副編集長だった。

他のメンバーを見れば、業界関係者ならニヤリとする人も多いだろう。

 

そして、やっぱり仲本さんは笑顔。

いつだって素敵な笑顔。

 

小学生のころから、テレビを通じて大爆笑させてくれた仲本さん。

単なる常連客だった私たちにいつも優しく接してくれた仲本さん。

 

仲本工事さん、楽しい思い出をたくさんいただいて感謝しています。

チームドリフはコロナ禍によりこの3年活動休止状態ですが、

いずれきっと復活すると思いますので。

 

どうぞ、安らかに。

合掌。