8日、大谷晋二郎が帰ってきた!

 

SNSでの発信というカタチではあるけれど、

プロレス界に帰ってきた。

 

4・10両国国技館の世界ヘビー級選手権の試合中、

コーナーマット際でダウンしたまま動くことができず、

そのまま救急車で搬送された大谷。

 

頸髄損傷という大怪我でそのまま入院し、

リハビリ生活に入っていた。

 

  

■大谷晋二郎公式Twitterより。

 

まだ、首から下は麻痺した状態とも聞いている。

それでも8日、自身の今の姿を撮影した写真とともに、

半年ぶりにツイッターを更新したのだ。

 

同時に、師であったアントニオ猪木さんへの

追悼文もリリースしている。

 

じつは同じ8日の午後6時過ぎ、

私のラインにも大谷からの返信がとどいている。

4月3日以来の返信を見つけたときには本当に驚いた。

 

まさか、こんなに早く返信があるとは思ってもみなかったからだ。

 

あの4月10日の当日もそれ以降も、

私は何度か大谷にラインでメッセージを送ってきた。

いつかきっと返信が来るだろうと信じて、

送り続けてきた。

 

べつに、励ましたり、容態を訊ねたりとか、

そんな内容ではない。

 

いつものように、プロレス界の近況であったり、

ZERO1の若い選手の活躍ぶりであるとか、

『火祭り』の優勝戦の感想であるとか、

そういう話をラインを通じて知らせてきた。

 

彼とは昔から、メール、ラインでずっとつながっていた。

携帯電話が普及しはじめた1990年代半ばごろから、

現在に至るまでずっとつながってきた。

 

他愛のない内容の会話もあれば、

真面目な会話もしてきた。

 

彼が怪我を負ったり、私が病気をしたり、

私の母が亡くなったときなど、そういうときは一転して、

互いを励ますようなやり取りもしてきた。

 

大谷晋二郎……いや、晋ちゃんが30年前にデビューして以来の関係。

おそらく私たちの関係は選手とマスコミをとっくに超えていたと思う。

 

信頼できる友人同士。

晋ちゃんとは、そういう関係なのである。

 

半年ぶりの返信の冒頭には、こう記されていた。

 

「金沢さん、何度も熱いメッセージをいただいていたのに

返信が遅れてしまい申し訳ありません!」

 

おそらく、これだけの文章量でもスマホを操作するにあたり、

そうとうな労力を要したのだろうなと思う。

その後は、私の体調面などを気遣う言葉が並んでいた。

 

ただただ、いつもの晋ちゃんだった。

泣きごとなんて、ひとっつもない。

いつもの大谷晋二郎の言葉が並んでいた。

 

キミの人間性と負けじ魂は、

30年前からまったく変わっていない。

 

よーし、大丈夫だ。

みなさん、大谷晋二郎は大丈夫ですよ!

 

そりゃあ、そうだ。

世界一熱いプロレスラーは、

アントニオ猪木の闘魂を受け継いでいる。

 

まだ彼がヤングライオンの時代からマスコミ間では、

「大谷がもっとも猪木イズムを感じさせる男」と呼ばれていたのだ。

 

晋ちゃん、返信ありがとうな。

これからもラインでときどきメッセージを送るけど、

俺への返信はスタンプで充分だからね(笑)。

 

みなさん、

大谷晋二郎は元気です!