1ヵ月前、武藤敬司の引退ロードが決まってから、

『NOAH the note』で短期集中連載のようなカタチで書いてきた

武藤コラムの第4回目(最終回)が本日アップされた。

 

なんせ武藤と出会ってからの36年を振り返るわけだから、

資料確認などの作業がけっこうしんどかった。

 

それに資料に残っていないエピソードもある。

これに関しては、記憶の糸を手繰っていくしかない。

 

その場面や場所、そのときの会話などは鮮明に憶えているのだが、

当時の誌(紙)面に掲載されていない事項もある。

 

そういうときは、他の選手やマスコミ仲間に確認したりもした。

 

とくに、最終回では、リング外の武藤に関して触れている。

素顔の武藤は、どんな人物で、どういった特長の持ち主なのか?

 

天真爛漫でアバウトな性格に見えるのだが、

じつは時間厳守で絶対に遅刻をしない、

掛かってきた電話にはかならず出る……

そういった律儀な男であることはあまり知られていないと思う。

 

今回は、そういった意外性の部分に関して、

具体的なエピソードも入れながら綴ってみた。

 

また、ある日を境として武藤と飲み友達になったこと、

初めてプライベートで一緒に飲みにいったときのオモシロなど話も。

 

では、ここで問題です!

 

1989年、米国メジャー団体NWA(WCW)マット席巻し、

フレアー、スティング、ルガーと並ぶNWA四天王とまで称された

超人気レスラーのグレート・ムタ。

 

そのグレート・ムタが日本で初めてベールを脱いだのは

いつ、どこで、でしょうか?

 

その答えは、1990年9月7日、大阪府立体育会館で、

対戦相手はサムライ・シロー(越中詩郎)だとみなさん思うでしょう?

 

惜しいなあ。

 

本当は、その8日前…1990年8月30日、

新日本プロレス道場に初降臨しているのだよ。

 

 

              ■週刊ゴング(第325号)より。

 

ほら、これが証拠写真だ。

取材したのはワタクシ金沢。

 

それにしても、本番前によく取材を受けてくれたものだ。

本人もそうだし、新日本もよくOKしてくれたものだなあ。

誌面を確認してみると、ムタではなくて武藤がこう言っている。

 

「カッコよく言えば、ムタは時代への挑戦だよね。

アメリカでも日本でもオーバーする選手って、

いま世界に1人もいないでしょ?

俺は2つの顔を持ったトップレスラーになりたい。

こういうレスラーが1人いたっていいと思うんだ。

新時代のレスラーとして、

歴史を変えてみたいんだよ」

 

そして、ムタも大ブレークした。

つまり、ベビーフェイス=武藤、

ヒール=ムタの二刀流だ。

 

大谷翔平よりはるか前にプロレス界での

二刀流にチャレンジして成功したわけである。

 

 

 

これは、取材を終えての記念写真。

本棚の奥に挟まっていた古いアルバムの中から発見。

ムタでかいなあ、オイラの眼鏡もでかいなあ(笑)。

 

だけど、こちらのエピソードに関してはいっさい触れていない。

もっともっと、楽しい話、おもしろエピソード満載なので、

どうぞ、『NOAH tre note』に目を通してみてね!

 

プロレスリング・ノア |PROWRESTLING NOAH

 

さあ今晩、武藤敬司引退ロード第1弾・

武藤敬司vs清宮海斗、日本武道館でゴ~ング!