安倍晋三・元総理が凶弾に倒れた。

警護が手薄なのは明らかだった。

 

一般聴衆の方たちがスマホなどで撮影した動画によって、

その現場その瞬間が、事実として伝えられたのだ。

 

隠ぺいや情報操作など絶対にできない事実が、

世界中に映像として流された。

 

民主主義の危機だと叫ぶ声は多い。

ただし、今回の悲劇を正しく伝えたのは民衆なのである。

 

意外にもプロレス好きだった安倍元総理は、

IWGPタッグ王座にもついた後藤達俊&小原道由のヒールコンビ、

『狂犬隊』の下関後援会・名誉会長を務めていたこともある。

 

その人柄のよさが顔に出ている政治家だった。

 

合掌。

 

昨日は母の命日。

一周忌だった。

 

母が亡くなった時刻に、

仏壇の遺影を見つめて線香をあげた。

 

正直、まだ実感がわかないほど、

あっという間の1年だった。

 

7月6日、誠心会館館長の青柳政司さんが亡くなった。

享年65。

 

本当に驚いた。

館長とは親しくさせてもらった。

この方も人柄がよくて、誰からも好かれていた。

 

最後に直接お会いしたのは、2017年10月31日。

大仁田厚が7度目の引退試合(大仁田厚ファイナル)を行なった

後楽園ホールの会場でのこと。

 

大仁田の引退セレモニーにゲストとして招かれた

館長が花束を贈呈すると、会場は大歓声につつまれた。

 

 

滅多に選手とは記念撮影などしない私だが、

懐かしくて思わずツーショットをお願いしてしまった。

 

館長と最後に会話を交わしたのは、

2019年12月23日のこと。

 

翌2020年の1・4&5東京ドーム大会で

獣神サンダー・ライガーが引退試合を行なっているが、

その直前企画として2019年12月25日に渋谷でトークイベントを行なった。

 

そのときのMCを担当していたのが村田晴郎アナと私だった。

ライガーにマニアックな質問をぶつけるために、

ライガーvs青柳政司の抗争に関して調べていたのだが、

どうしてもハッキリとしない部分があったのだ。

 

そこで直接、館長に電話を入れて確認させてもらった。

思わぬ男からの電話だったせいか、

館長はとても喜んでくれた。

 

いろいろと昔話もして大いに盛り上がった。

で、肝心の私からの質問に対して、

館長はすぐさま回答をくれた。

 

25年以上も前の話なのに館長は日付、場所まで正確に憶えていた。

これには、私のほうが驚いてしまった。

 

8日、愛知県・豊田市内で営まれた館長の通夜には、

大仁田厚、越中詩郎も参列したという。

 

大仁田にとって、館長は一番の恩人である。

1989年に行なわれた大仁田vs青柳の3度にわたる異種格闘技戦。

当時タブー視されていた日本人同士による異種格闘技戦は大反響を呼んだ。

 

とくに、FMW旗揚げシリーズ中の10・10後楽園ホールで

実現した3度目の一騎打ちは凄まじかった。

 

この青柳戦こそ〝涙のカリスマ”誕生の瞬間でもあった。

私個人の取材歴を遡ってみても、あの10・10異種格闘技戦は、

実際に取材した試合のなかでベスト5に入る名勝負だったと思う。

 

越中にとっても、館長は恩人のひとりだろう。

1992年に突如勃発した新日本vs誠心会館の抗争。

小林邦昭vs齋藤彰俊戦からスタートしたプロレスvs空手闘争に、

越中、青柳が参入し火種は大きく広がった。

 

さらに、越中、小林、木村健悟と誠心会館が合体し、

新日本隊を敵にまわすという意外な方向へ。

 

そこから反選手会同盟結成→平成維震軍へ改名と、

新日本マットで一大ムーブメントを作り上げたのだ。

 

当時、ジュニアからヘビー級へ転向し、くすぶっていた越中。

窓際に置かれていた越中にとって再ブレークのキッカケとなったのが、

誠心会館との抗争であり、電撃合体であった。

 

越中とも館長とも、私は良好な関係を築いてきたが、

イチバン楽しかった事といえば、すぐにあの日を思い出す。

 

2004年12月4日、サイパンのマリアナスタジアムで開催された

長州力デビュー30周年記念興行の打ち上げパーティー。

 

参加した全選手、観戦ツアーに参加した一般ファンも交えての食事会。

その席で、たまたま越中、館長、私の3人が同じテーブルを囲んでいた。

 

じつは、館長が平成維震軍を途中脱退したのは越中との不仲が原因だった。

あくまで空手家であろうとする館長の姿勢をリーダーの越中が認めなかったのだ。

だから、当時みんなが「館長」と呼んでいるなか、

越中だけは意地でも「青柳」と呼んでいた。

 

そんな過去も、時間が解決してくれた。

10年の歳月がすべてを水に流してくれたのだ。

 

越中はなんのてらいもなく、「館長!」と呼んでいたし、

館長も笑顔で「越中さん!」と呼んでいた。

 

突然、越中がグラスを持って大声を出した。

 

「じゃあ平成維震軍、3人の再会を祝してカンパーイ!」

 

そうか……平成維震軍の名付け親となったのは私だから、

私も維震軍のメンバーということになるらしい(笑)。

 

3人で酔っ払いながら、大いに盛り上がった。

あのサイパンの夜は、本当に楽しかったなあ。

 

青柳政司さん……いや、やっぱり館長と呼ばなきゃ!

公私ともに、いい思い出をいっぱいいただき有難うございました。

 

合掌。