14日、後楽園ホールで日本プロレス殿堂会が主催する初興行、

日本プロレス史70周年記念大会~LEGACYが開催された。

 

各団体から選抜選手が超党派で集結し全6試合が行なわれ、

ラストには殿堂入りセレモニーが用意された。

 

以下、普通でいくと、現役選手は呼び捨て、

引退した選手はさん付け、あるいは氏付けとなるのだが、

面倒なので敬称略とさせてもらう。

 

というか、やはり引退しても猪木は猪木だし、

天龍は天龍、長州は長州だと思うので…。

 

まず、インダクターとして藤波辰爾が登場し

殿堂入り第1号としてアントニオ猪木を紹介。

猪木からのビデオメッセージがスクリーンに流された。

 

次はインダクターとして小橋建太が上がり、

殿堂入りした天龍源一郎を呼び込んだ。

 

3人目のインダクターは木村健悟で、

殿堂入りは藤波辰爾。

 

リング上には昭和から平成初期のスター選手たちが一堂に会した。

 

なお、15日の同大会のセレモニーでは、

ジャイアント馬場さん、ジャンボ鶴田、長州力の殿堂入りが決まっている。

 

あ、馬場さんだけは馬場さんと記してみた。

やっぱり、ずうっと未来永劫、馬場さんだけは馬場さんなので。

 

 

これは、大会終了後にバックヤードで行なわれた

大御所2人による共同インタビュー後の記念撮影。

 

天龍が「お疲れさまでした」とグータッチのポーズを見せると、

それに応じながらも藤波が思わず笑顔でポツリ。

 

「グーパンチかと思った(笑)。一瞬、ドキッとしちゃった」

 

いやぁ、じつにおもしろいシーンであり、ひとことだった。

 

藤波と天龍には、グーパンチをめぐる激闘&ドラマがあったから。

 

過去、両雄のシングルマッチ戦績は、

天龍の2勝1敗となる。

 

初対戦は、1993年9月26日、大阪城ホールのメインでの一騎打ち。

藤波がグランドコブラで天龍からピンフォールを奪っている。

 

その対戦に至るまでがまたドラマチックだった。

前年から新日本プロレスの反選手会同盟とWARの闘争が勃発。

93年に入って、ついに新日本プロレス本隊とWARが激突する。

 

まず、1・4東京ドームのメインに乗り込んだ天龍が長州を撃破。

4・6両国大会では長州にリベンジを許したものの、

6・17WAR日本武道館では橋本真也に勝利。

8・8両国大会でも橋本を破り2連勝。

 

さらに、9・12WAR幕張メッセで蝶野正洋を破り、

9・23横浜アリーナでは馳浩からも勝利。

天龍によって新日本の主力勢が次々とマットに沈められた。

 

そこで、満を持して登場したのが藤波で、

9・26大阪城ホールでついにストップ・ザ・天龍を果たしたのだった。

あの時の大歓声、会場の大爆発ぶりはいまでも記憶に残っている。

 

2度目の一騎打ちは、12・15WAR両国大会で、

天龍が意地の雪辱を果たし、1勝1敗とした。

 

それから約2年半の空白期間を経て

3度目のシングル戦が行なわれた。

 

1996年4月29日、東京ドーム大会。

メインは、髙田延彦vs橋本真也のIWGPヘビー級選手権。

藤波vs天龍は、セミファイナルで激突した。

 

これがアクシデント(?)からとんでもない闘いとなった。

序盤から速攻をかけた藤波が場外の天龍を目がけて

ドラゴンロケット(トぺスイシーダ)を仕掛けていく。

なんと天龍はそれをグーパンチで迎撃したのだ。

 

これがカウンターで顔面にクリーンヒット。

次の瞬間、藤波の鼻から大量の血が噴き出した。

もう、半端ない出血量で顔面まで真っ赤に染まる。

あとにもさきにも、これほど凄まじい鼻血を目撃したのは私も初めてだった。

 

ふつうならドクターストップ、レフェリーストップになるところ。

ところが、ここからのカムバックが昭和世代の見せどころ。

というか、藤波の精神力の強さが遺憾なく発揮される。

 

鼻血を噴き上げながらドラゴンスリーパーで天龍を絞め上げる。

絞めれば絞めるほど、出血は激しくなるばかり。

ある意味、凄惨ながらも藤波の魅力が爆発した感もある。

 

最後は、さすがに力尽きて藤波は敗れ去った。

試合後、天龍がその精神力の強さを称えていたのも印象的。

 

この鼻骨骨折により藤波は1ヵ月の欠場を余儀なくされた。

本人によると、骨折した鼻の骨をもとに戻すまでに1週間もかかり、

鼻のカタチも変わってしまったという。

 

まあ、そんな過去も踏まえてのグーパンチ発言なのだろう。

ただし、そこをまったく根に持っていないのが、

昭和気質であり殿堂入りレスラーたる所以なのかもしれない。

 

それから、また時は流れて1999年2月にフリーとなった天龍が、

また違ったシチュエーションで新日本マットに上がることになる。

 

そのときは、同世代、俺たちの時代の盟友として、

藤波とのタッグチームが何度か実現している。

 

当時の週刊ゴングを眺めてみると、

このチームを称して『W(ダブル)龍』と記されている。

 

そうそう、ドラゴン&風雲昇り龍のコンビは『W龍』だった。

私も何度か、W龍と書いた記憶がある。

 

また、じつはダブルリュウと書いて‟ダブリュウ”と読む。

そこがミソなのだ(笑)。

 

懐かしい歴史の1ページ。

 

では、この日、印象に残ったシーン。

 

 

大会のエンディングは、小橋、天龍、藤波、木村が並んで、

藤波の音頭により「1、2、3、ダァー!」で締めた。

私のショッパイ写真ですいません(笑)。

 

第2試合で行なわれたのは、ノア提供マッチ。

試合を観ていて、「アレっ?」と思った。

現GHC王者である丸藤正道の体型が変化している。

 

 

間近で見ると、よくわかった。

減量したのか絞りこんでおり、バッキバキの筋肉体型。

腹筋、背筋のあたりがとくに筋肉が浮き出ている。

本人に確認してみると、「ええ、絞りました」との返答。

 

丸藤もキャリア23年、41歳とベテランの域に入ってきたが、

ここからまた身体を作り直す努力は、さすがというしかない。

 

 

こちらは、第6試合の時間差バトルロイヤルに出場した

レジェンド中のレジェンドであるタイガー戸口(キム・ドク)。

 

昔からデカイなあと思っていたが、

73歳になったいまでもデカイ。

 

タイガー戸口といえば、印象的な出来事が二つある。

まず、日本プロレスの若手時代の彼(戸口正徳)を生で観ていること。

 

小学3年生か4年生のとき、帯広市営球場特設リングで開催された

日本プロレスの興行を父に連れられて観戦に行ったのだが、

そのとき前座に出ていた彼をハッキリ憶えている。

 

なぜ、憶えているかというと、

若手同士の前座試合なのに、

彼がバックドロップを使って勝ったから。

 

バックドロップなんか、当時は大技中の大技であり、

メインクラスの選手でもなかなか使い手はいなかった。

それが第2試合(※たしか!?)で見られたものだからビックリしたのだ。

以降、金沢少年の頭に戸口正徳という名前がインプットされた。

 

だけど、あのバックドロップを使ったことで、

先輩レスラーに怒られなかったのかな?

いつか、タイガー戸口に確認してみたい。

 

もうひとつが、彼の映画出演。

1988年公開のハリウッド映画『レッドブル』に悪役で出演している。

主役のアーノルド・シュワルツェネッガーのパンチを食らって、

サウナの外まで吹っ飛ばされるロシアンマフィアの役を演じた。

 

これは映画の冒頭シーンなのだが、

ニタリと笑う彼の顔がドアップとなり、

あの巨体がパンチで吹っ飛ばされてしまう。

 

正直いって、映画『レッドブル』のなかでイチバンのインパクト。

あの冒頭シーンだけで充分な存在感を示している。

機会があれば、ぜひ映画の方も観てほしい。

 

というわけで、今回のLEGACY初日を見て

いろいろな発見や思い出した出来事があった。

 

〔追伸〕

大谷晋二郎が試合中に左前腕両骨骨折という大怪我を負ってしまった。

明日、手術することになるようだ。

心配なので大谷にメールしてみると、

「また立ち上がります💪」との返答。

 

勤続疲労というか、蓄積ダメージから、

首、肩にも故障を抱えている大谷。

今回は休んで、しっかり治してから復帰してもらいたい。

 

あ、大谷といえば大谷翔平(ロサンゼルス・エンジェルス)が絶不調。

ベンチでもいつもの笑顔が見られなくなってきた。

大谷から笑顔が消えると、こっちまで憂うつになってしまう。

 

ここから再点火、

大復活に期待したいゼア!