3・21ノア後楽園ホール大会。

メインイベントはGHCナショナル選手権、

拳王vs藤田和之という注目の初一騎打ち。

 

「プロレスラーは最強でなくてはならない!」

 

15年~20年ほど前、マット界に総合格闘技旋風が吹き荒れているころ、

もともとアントニオ猪木がぶち上げたこのフレーズを多くのプロレスラーたちが

蘇らせるべく総合のリングに挑んでいった。

 

時を経て、その台詞をたびたび口に出しているのが拳王。

無論、意味合いはすこしばかり違う。

現代プロレスは徹底してプロレスの進化にはしりはじめている。

 

拳王はそこに一石を投じるというか、

隙のないプロレス、やるかやられるかの一撃必殺の攻防。

そういうプロレスを目指して、かつてプロレスラーの強さの象徴

であった男たちとGHCナショナル王座を賭けて闘ってきた。

 

桜庭和志、村上和成、船木誠勝、ケンドー・カシンと、

プロレスと総合をまたにかけ闘ってきた男たちを相手に防衛戦を重ねてきた。

 

今回は、最強を絵に描いたような男を自ら指名して挑戦者に迎えた。

マーク・ケア時代にトドメを刺して、人類最強ヒョードルをKO寸前まで追い込んだ藤田。

あの船木が、「日本人最強ファイター」と認めた男である。

 

無論、これは総合ルールの試合ではない。

だから、プロレスのなかで如何に強さを表現して、

それを互いにぶつけ合い、観客に見せつけることができるか?

 

なんとなく、簡単なようで難しい。

難しいようで、シンプル。

いや、シンプルに見せることが難しい。

 

そこを考えはじめると、どうしようもない。

ある程度の好勝負は予想できる。

ただし、その展開はまったく予想できない。

 

結果的に、私の予想をはるかに凌駕する好勝負の末、

インパクト満点の結末を迎えた。

 

挑戦者の藤田には、杉浦軍のメンバー全員がセコンドに付いた。

まず、ここが最初の驚き。

王者の拳王には、金剛のメンバーが総出で付く。

これはある程度、予想通り。

 

拳王がリングインしたところで、正面に向かって6人がポーズを決める。

その前に藤田が仁王立ちして、まったく退こうとしない。

なぜかいつもより拳王のテーマ曲が長く鳴り響いている。

 

薄ら笑いを浮かべるように正面に立ち続ける藤田に対し、

ポージングを決めたまま微動だにしない金剛の6人。

 

 

プロレスの場合、相手側の見せ場を邪魔するのは

ある種の掟破りでもある。

 

「ちょっと大人げなかったかなあと(苦笑)。

だけど、邪魔せずにはいられなかった……」

 

後日、藤田はそう言っている。

 

セコンド陣はリング下で待機。

この多人数だから、まるでランバージャック・デスマッチの様相でもある。

 

最初に睨み合いから両者が動く。

しかし、その後またも睨み合い。

約7分の視殺戦…動かない。

 

 

潮崎vs藤田では、31分という前代未聞の睨み合いがあった。

拳王から接近して均衡が破れた。

ローキックから入る拳王に、藤田が高速タックル。

グラウンドに持ち込んで拳王をコントロールしていく。

 

グラウンドから逃れた拳王が蹴りでラッシュする。

コーナーの藤田へ右のミドルキックを連射。

藤田の胸板、左わき腹にヒットしてみるみる藤田の上半身は赤くなる。

 

「来いよ! もっと速くしろ」

 

そう怒声を放った藤田はさらに蹴りを要求してみせる。

拳王が意地になって蹴りを連発すると、さすがの藤田も崩れる。

 

藤田のラリアットで拳王が場外へ転落すると、

その周りを両軍が囲むようにして小競り合い。

カシンが村上和成を前へ押し出す。

 

コワモテの村上が前面に立って威嚇すると、

さすがに金剛のメンバーにも躊躇いが見える。

 

調子に乗ったカシンが桜庭まで前へ出そうとすると、

桜庭はカシンの手を振り払ってそれを拒絶。

カシンの細かいアクションはいちいちおもしろい!

 

そういえば、リング上で藤田の名前がコールされたとき、

エプロンを囲んだ杉浦軍のメンバー6人のなかで、

パチパチパチと素直に拍手を送っていたのもカシンだけだった。

なんか、そんなカシンがカワイイ(笑)。

 

杉浦軍(仮)のセコンドであるカシンのアクションに関しても、

ネット配信やサムライTVなどでぜひ再確認してもらいたい。

 

拳王がリングに戻ってから張り手(掌底)ラッシュへ。

対する藤田の強烈な張り手のお返しが凄まじい。

バチン、バチンと顔面へ打ちこむ音が場内に響くのだ。

 

 

藤田の右の張り手はもはやオープンブローの右フック。

総合のリングで全盛期にあった藤田の十八番が右フックだった。

この一撃でレスリング五輪金メダリスト(カラム・イブラヒム)を失神KOしたこともあるし、

あのエメリヤーエンコ・ヒョードルをダウン寸前まで追い込んだことがある。

 

 

ちなみに、これがヒョードルをダウン寸前に追い込んだシーン。

藤田のカウンター右フックを食らったヒョードルはコメカミ付近からも出血した。

 

これに拳王は耐えるばかりではなく、前へ前へと歩を進める。

そこへもの凄い右の張り手が入って、拳王は前のめりにダウンした。

これが、試合のハイライトシーンだった。

 

それでも蹴暴(PK)、掟破りの顔面蹴り、PFSで反撃に出る拳王。

しかし、2発目の正調PFSを交わした藤田がスピアーへ。

ひさびさに見た藤田のド迫力スピアー。

 

もちろん、元祖はビル・ゴールドバーグだが、

日本人で最初にスピアーを使ったのは藤田である。

 

 

さらに、パワーボム。

高さよりも叩きつけるほうにポイントを置いた1発は痛烈。

藤田自身、征矢戦で一度パワーボムをミスしているだけに仕掛けに関して研究した。

高々と抱えて急角度で落とす…というやり方はやめて、

角度よりも叩きつける方にポイントを置いたのだ。

 

いわゆる、昔のスコット・ノートンの超竜ボム、

クリス・ベノワ(ワイルド・ペガサス)のワイルドボムのような投げ方。

そのほうが、藤田の尋常ではないパワーも生きるからだ。

 

 

これで決まり!と思いきやカバーすることなく、

顔面(頭部?)へのサッカーボールキック一閃。

野獣らしく、危険な一撃で勝負を決めてみせた。

 

圧巻の強さを見せつけて赤いベルトを強奪した藤田。

最強の野獣に正面から挑み玉砕した拳王。

 

こんなプロレスがまだ生きていたのだ。

藤田の問答無用の強さを引き出したのは、

拳王の心意気、冒険心、生き様である。

 

敗れても、アッパレだろう。

 

その強い藤田を目の当たりに、

杉浦貴が挑戦を表明した。

 

「基本は、いつ、何どきだから。なんの問題もない。

遺恨があってもなくても、やりたいと言えばいつでもやる」

 

藤田が受諾して、両者はガッチリと握手。

同い年の50歳。

ともに元レスリング全日本王者。

 

齢50にして‟最強”と称される同門の2人による

初一騎打ちが、ナショナル王座を賭けて実現。

 

試合後、ベルトを肩に共同インタビューに答えた藤田。

 

拳王について訊かれると、「あいつは男、男だよ!」と言いきった。

 

また、いままで縁のなかったノアのベルト初戴冠に関しては、

「どこの団体だって、どんな高い山でも低い山でも、テッペンはテッペンだから。

オレはリスペクトしているし、プライドを持ってこのベルトを持ち続けるよ!」

と澱みなく語った。

 

 

これで、GHCヘビー級王者=武藤敬司、

GHCナショナル王者=藤田和之となった。

 

ふと、20年前を思い出す。

2001年のプロレス界。

IWGPヘビー級王者は猪木事務所所属の藤田で、

三冠ヘビー級王者は新日本所属の武藤だった。

 

究極の一戦として、新日本マットで武藤vs藤田の

ダブルタイトル戦が話題となり、その気運が盛り上がったこともある。

 

あれから20年……場所をノアマットに変えて、

20年越しの一騎打ち、ダブルタイトル戦の可能性は、

まったくのゼロではなくなったのだ。