新日本プロレス『G1 CLIMAX28』、ただいま絶賛開催中!

作日(30日)高松大会から後半戦に突入した。

2018年度、つまり第28回大会のサブタイトルは、「BE A SURVIVOR!

 

空前絶後の猛暑のなか、

これってマジにサバイバルシリーズ。

 

エントリー選手は当然として、

マスコミ側もそうとうな覚悟をもって取材にあたっている。

 

かくいうワタクシ金沢も、19&20日の後楽園ホール2連戦の解説を経て、

26日の長岡大会から、27日・浜松大会、28日・名古屋大会と3連戦に同行し、

新日本プロレスワールド』の解説を担当してきた。

 

それにしても、この3連戦は濃かった。

想定外のハプニング&アクシデントがテンコ盛り。

まずは、浜松大会の第8試合・Aブロック公式戦(ジェイ・ホワイトvsバッドラック・ファレ)。

いくら30㎏減量したとはいえ、135㎏を超えるファレの圧力・破壊力は凄まじすぎた。

 

場外フェンスにファレが激突した瞬間、放送席の回線が飛んでしまった。

そのせいで、サムライTV生中継新日本プロレスワールド英語版実況

音声と映像がすべて消えてしまった。

 

不幸中の幸いだったのは、我々、新日本プロレスワールドの放送席だけが

対面に設置されていたため、モニター画像が消えてしまったけれど、

動画配信の映像・音声は生きていたこと。

 

次の第9試合からは3放送席ともなんとか復活。

全試合終了後に、この事態を知ったわけだが、

「ファレ、おそるべし!」を改めて実感。

 

 

翌日の名古屋大会は、もう台風との追っかけっこの様相。

まず、会場についてビックリ。

慣れ親しんできた愛知県体育館の看板が、『ドルフィンズアリーナ』に代わっていた。

 

さらに、日本列島を東から西へ向かうという、異例の進路をとった台風12号

当日、東海方面へ急接近中ということで、バックステージはてんやわんや。

 

 

というのも、放送陣とスタッフのほとんどが、

当日帰京の予定でチケットを用意していたため。

午後9時に大会終了。

 

タクシーに飛び乗る。

スマホで台風情報を確認してみると、

静岡ー掛川間で一時運転見合わせという情報が……。

うーむ、ここまでか?

 

いやいや、新幹線がやや遅れながらも動きだした。

21時48分発ののぞみ号に飛び乗る。

到着予定は、23時29分だが、途中静岡近辺で雨脚が強く徐行運転。

結局、東京駅着は、定刻より15分遅れの23時44分

 

私の場合、丸ノ内線のB線電車、池袋行き23時52分発の電車に乗らなければアウト。

走る、走る、ダッシュ!

JRの改札口手前まで来て、気が付いた。

 

「やっちまった!」

 

新幹線改札口でチケットを取らずに突っ走ってきたのだ。

超初歩的なミスに愕然。

だけど、今さら間に合わない。

 

すいません、新幹線の改札で切符取り忘れてしまいまして…」

 

どこから乗ったんですか?」

 

名古屋です。もう終電に間に合わないもので!」

 

「わかりました。どうぞ、行ってください」

 

JR職員さん、あんた、男だ!

JRのなかのJR、男のなかの男だぜ!!

 

BE A SURVIVOR!

無事に、我が家まで到達できたのだ。

 

ただ~し、今回のネタは『G1』そのものではなく、

『G1』開幕日となった7月14日~15日に私が参加した夏合宿に関して。

 

正式名称は、AGHC大人の夏合宿

AGHCとは、私が学生時代に所属していた運動部である

青山学院大学体育会ハイキング部の略称。

 

じつに、今年で創部94年となる同クラブには、

作家の森村誠一さんも所属していたのだ。

 

毎年、正式なOB(OG)総会なども行なわれているようのなのだが、

卒部(卒業)と同時に山から足を洗ってしまった私などは、

そういう類のものには出席したことがないし、

OB有志による山行などにも参加したことがない。

 

つまり、かれこれ35年ほど山というものとは一線をひいてきた。

OBの集いに参加するのは、つねに飲み会のときだけ。

だって、登山って超シンドイんだもん(笑)。

 

ウチらが下級生のときなんて、

合宿となれば40~45㎏ほどもあるザック(リュックサック)

を背負うこともあったからねえ。

 

これって、ややスリムな女の子をおんぶして、

3000メートル級の山を登るようなものだぜ。

ああ、思い出しただけで肩は凝るし、腰痛まで再発してくるぜよ。

 

さて、今回は昭和末期の卒部生たちが、

前後6期にわたるカタチで全国から総勢30名も集合した。

正式なOB総会ではないのに、これだけ大人数が集うイベントはなかなかない。

 

参加者は、1981年卒部生(82年卒業)~1986年卒部生(87年卒業)まで。

私は83年卒部だから、上に2期、下に3期ということで、割と居心地はいい感じかな?

 

というよりも、このへんの世代は本当に絆が深かったように思う。

トレーニングや新人錬成・夏・春合宿が厳しいのは当たり前だけど、

ふだんはハチャメチャに青春を謳歌していたなあ。

 

ところが……!

今回は、伊豆で開催されるOB(OG)親睦会であり、

メインは温泉に浸かり、宴会で大爆発するだけだと思い込んでいた。

 

でも、よくよくスケジュールを確認してみると、

14日、午後1時にJR熱海駅に集合。

その後、十国峠登り口へ移動してケーブルカーで十国峠へ。

そこから尾根沿いを歩き、熱海市内の宿まで歩くというのだ。

 

約3時間の山歩き!

十国峠付近を散策といっていたはずなのに、

これは登山ではないかい?

 

まあ、尾根歩きと、あとは下りだけだから、

正確には登山でなく、山歩き、下山となるのだけれど。

 

ただし、山の神は私の味方だった!

なんと、ケーブルカーが故障して運転中止となっていた。

となれば、十国峠登り口から下るのみ。

 

 

熱海市内の宿まで約2時間の下り道だという。

だけど、笑っていられたのも最初の30分だけだった。

 

照りつける暑い日差しに汗が吹きだし、Tシャツは一部白くなり塩が付着。

両腿とフクラハギ、ヒザがガクガクいいはじめる。

ヒザが笑うって、こういう感覚だったよなあ。

 

懐かしいけど、ムカつくなあ(笑)。

 

 

 

あのねえ、山って登りだけがキツイと思ったら大間違いなのだよ。

たしかに、登りのほうが体力の消耗は激しいけれど、

ヒザやフクラハギにダメージがくるのは下りのほう。

1時間が過ぎたころには、ワタシはほぼ無言状態……。

 

出発から2時間ほど経って、ようやく熱海の民家が並ぶあたりへ。

なんか、天然記念物の樹木の前へ。

あのー、観光はいいから早く宿へ行こうよ。

 

午後4時過ぎに、ようやく市内の山木旅館へ到着。

ほぼ借り切り状態の宿で、温泉に浸かる。

 

宴会は午後7時から。

宴会からの参加組も数名いる。

ああ、こちらを選ぶべきだったよなあ。

いやいや、今回こそ我がクラブ卒業生の根性が試されるときでもあったのだ。

と、勝手に自分を納得させる。

 

とにかく、食べて呑んで、旧交を温めて…

なんと卒業以来、約30年ぶりに会う先輩もいた。

 

 

締めはやっぱり、コレ!

 

天下に冠たる青山学院大学、カレッジソング!」

 

通称、カレソンを熱唱。

このカレッジソングは、体育会運動部では校歌よりもお馴染みの歌で、

世界のシンスケ・ナカムラ(中邑真輔)もレスリング部時代によく歌っていたという。

 

二次会は近所のカラオケスナックを借り切って。

ここで、世にもおそろしいものを見た。

 

 

誰かのなにかの歌に合わせて、

突然、私と同期の由賀子が踊りだしたのだ。

 

戦慄と爆笑。

このあと、A先輩が悪酔いして体調を崩した。

まさに、悪魔のダンス。

ダークネスワールド。

 

あとで、フラダンスであることが判明したのだが、

私には何かが憑依しているようにしか見えなかった。

二次会の締めも、もちろんカレソン。

 

まあ、あれだけ夜中まで飲んだのに、

ちゃんと翌朝8時の朝食にみんな揃っていたのが凄い。

もちろん、朝食からビール付き。

 

 

 

午前9時に記念写真を撮ってから熱海駅へ。

クルマ組は三島駅へ直行し、

バス組は熱海駅から電車で三島へ移動。

 

 

ところが、そうすんなりといかないのがオイラたち。

というより、やっぱりオイラだけ。

山木の女将さんと記念写真を撮って話し込んでいる間に置いてきぼり。

 

結局、ひとりで25分かけて熱海駅まで歩くはめとなった。

炎天下のなか、望んでいない熱海市内観光で汗まみれ。

朝食時のビールは完全に抜けた。

 

 

でも、おもしろいものを発見。

なんかよくわからないけど、お祭りの神輿に遭遇。

 

 

こちら、商店街で発見。

ノーコメント。

 

汗だくでみんなと合流したあと、電車で三島市へ。

三島市在住のF君が観光案内など、すべてを仕切ってくれた。

 

 

駅を出て、いきなりF君が教えてくれたのがここ。

元女子プロレスラーの紅夜叉が女将さんのお店だという。

 

それにしても、「水の都」と呼ばれるだけあって、

三島はキレイな街だった。

市内を流れる川がじつに澄んでいて美しい。

 

 

ほら、住宅街を流れる川でふつうに鴨が泳いでいる。

こちらは、浅い川の流れがメインの公園。

 

 

子どもたちが走り回ったり、

小魚をとったりと楽しそう。

素晴らしい環境だねえ。

 

そして、2日目のメインイベントはこちらでの昼食。

なんと、4月から予約を入れておいたという老舗のうなぎ屋さん。

 

 

創業安政三年 「うなぎ 桜家」。

日本一美味しいとも言われる超有名店。

そのフレーズに偽りなしで、

大きく柔らかく厚いうなぎの美味さといったら、

もう絶品というほか言葉が見つからない。

 

あえて言うなら、私はこれを食すために、

この夏合宿に参加したのであーる。

 

昼食後に、お店の前で解散。

名残り惜しいが、それぞれが日常へと帰っていった。

 

私はといえば、新幹線こだま号に飛び乗った。

品川で京急線に乗り換えて、大田区総合体育館に向かう。

 

筋肉痛のため、とくに下り階段となると、

ヒィーヒィー言いながらも『G1』2戦目を目指して…(笑)。

 

【追伸】

今回の「大人の夏合宿」開催のため、

幹事の3名が各方面に連絡を入れたところ、

1986年卒部(87年卒業)のOGである佐藤朋子さんが、

今年2月、肺がんのため逝去していることがわかりました。

 

私が4年時の1年生です。

私にとって最後の夏合宿となった剣・立山連峰の縦走で同じパーティでした。

明るく元気で、音を上げることのない頑張りや。

とても、いい子でした。

 

卒業以来、会っていなかったので、

彼女に関する印象はそのときのままです。

 

 

この夏合宿の写真が私の卒部パネル。

向かって、私の右下にいる女の子が朋子さんです。

 

今回、朋子さんのご両親から夏合宿の参加費をいただきました。

もちろん、「朋子も一緒に参加させてあげてください」という意味です。

 

ともに汗を流し、涙を流したAGHCの仲間を失ったのは、

今回が初めてのことです。

 

献杯。

そして、合掌。