元WWWF(現WWE)世界ヘビー級王者で、
ニューヨークの帝王と呼ばれていた名レスラー、
ブルーノ・サンマルチノが亡くなった。
享年82。
物心がついたころ(?)から、
プロレス、プロ野球、大相撲のテレビ中継を夢中で観ていたワタシなのだが、
プロレスに関して言うなら、当時恐ろしく強いガイジンレスラーだと思ったのが、
ジン・キニスキー、フリッツ・フォン・エリック、ボボ・ブラジルの3選手。
「この3人には、馬場も猪木も勝てないかもなあ……?」
小学校低学年のころ、そんなふうに思っていた。
そこで、1人だけ抜け落ちていたのが、
ブルーノ・サンマルチノだった。
来日回数が少なかったこともあるし、
たまたまテレビで見そこなったこともあると思う。
ただし、サンマルチノ幻想だけは膨らむ一方。
小学校高学年になって、同級生の友達の家に遊びに行ったとき、
たまたま大量の古いプロレス雑誌をもらうことができた。
ゴングにプロレス&ボクシング。
その友人の親戚にあたるお兄ちゃんが大のプロレスファンで
毎月買っていたものをくれたのだと言う。
1960年代~70年代初期のプロレス誌を読むことじたい楽しくてたまらなかったのだが、
そこでブルーノ・サンマルチノの存在を知った。
これは、『月刊ゴング』だと記憶しているのだが、
米国のプロレス誌によるレスラーランキングが毎月掲載されていた。
つねに第1位はサンマルチノだった。
私のなかでは、NWA世界ヘビー級王者こそ最強&最高という認識が出来上がっていたのに、
1位はいつもWWWF世界王者のサンマルチノ。
なんといっても、元NWA世界王者のバディ・ロジャースをわずか48秒で破り、
第2代WWWF世界王者となったという事実。
しかも、7年8ヵ月にわたる長期政権を築いていることに驚かされた。
どんな凄いレスラーなんだろう!?
人間発電所への幻想はますます高まっていった。
そして初めて、生でサンマルチノを見たのが、
1973年の秋ごろだったと記憶している。
小学6年生、11歳のときだった。
全日本プロレスが地方巡業で帯広市総合体育館にやってきた。
憶えているのは、凱旋したばかりのジャンボさんが
まだ本名の鶴田友美を名乗っていたこと。
プロデビューを控えたアントン・ヘーシンクが私服姿でシリーズに帯同していたこと。
そして、サンマルチノ、カリプス・ハリケーンが主力として参戦していたことだ。
その日のメインイベントはタッグマッチで馬場さんとサンマルチノが対戦。
会場の子どもたちは、みんな日本人入場口のほうへ殺到していた。
そこで、私はひとりだけ外国人側の入場口へ向かった。
そちら側は警備が手薄なこともあって、
私は会場入り口の扉を開けて無人の入場通路に入ることができた。
恐ろしく分厚い身体をしたサンマルチノが歩いてきた。
咄嗟に、大学ノート(※懐かしいフレーズ)とマジックを渡すと、
一瞬歩を止めたサンマルチノはノートの裏表紙にサッサっとサインを書き入れてくれた。
「やったぜ!」
とはいえ、試合のほうはよく覚えていない。
その大会の印象のすべては、間近で見たサンマルチノの分厚い肉体。
残念ながら家庭の事情により、
そのときもらったサンマルチノのサイン、
貴重な鶴田友美という本名のサイン、
柔道界の英雄であったヘーシンクのサインなどが入った大学ノートは紛失してしまった。
これは、スターダム社長であるロッシー小川さんが所有している
直筆サイン入りのブロマイド。
そうそう、こんなサインだったなあ。
それから随分と年月を経て、生のサンマルチノと再会した。
1989年~1990年、全日本では馬場さんのデビュー30周年に合わせて、
かつてのライバルである大物外国人レスラーたちをゲストに招待していた。
当時は、「レトロ企画」という言われかたをしていたのが懐かしくもある。
まだ、レジェンドなる表現が一般的に普及していない時代であったから。
89年に、ドン・レオ・ジョナサン、キング・カーティス・イヤウケアが来日し、
翌90年にジン・キニスキー、そしてトリとして最大のライバルにして親友でもあった
サンマルチノが馬場さんの30周年を祝うためにやってきた。
そこで、また衝撃を受けた。
90年9月1日の日本武道館大会。
ふたたび間近で見たサンマルチノ。
「エッ!」という感じ。
相変わらずの分厚い肉体はスーツ姿でも充分にわかる。
その一方で、身長に驚いたのだ。
私の身長は、178㎝。
たしかサンマルチノの身長は、公称182㎝だったと思う。
だけど、私目線から見ると、明らかに私よりすこし背が低い。
いまで言うなら、マイケル・エルガン、関本大介、
すこし前なら佐々木健介のような肉体サイズだったわけだ。
このサイズで、馬場さんやスタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディ、
ビリー・グラハムらの超大型レスラーとやり合っていたのだ。
しかも、リング上のサンマルチノは等身大より
はるかに大きく見えた。
これぞ、スーパースターの証なのだろう。
それを痛感したしだい。
マシンガンキック。
ベアハッグ。
カンディアンバックブリーカー。
この3つだけでM.S.G(マジソン・スクェア・ガーデン)を
熱狂の渦に巻き込んだ稀代のパワーファイター。
”人間発電所”ブルーノ・サンマルチノの名前は
永遠にプロレス史に残ることだろう。
合掌。