10・31後楽園ホール大会の『大仁田厚ファイナル』で、

約1年ぶりにリングへ帰ってきた藤田和之。

 

復帰第1戦はコテコテのプロレスのリング。

しかも、初体験となるデスマッチ。

また、対戦相手は”闘魂”の対極(?)に位置する”邪道”大仁田。

 

ただし、このミスマッチ感が抜群におもしろかった。

まさに野に放たれた獣の趣きで、

藤田の圧倒的なパワーとタフネスぶりが存分に発揮されたからだ。

 

復帰2戦目は、韓国最大のMMA団体が主催する格闘技イベント

ROAD FC044』(11月11日/中国・河北体育館)のメインイベントに出場。

 

同団体の重量級エースである”カンフーパンダ”ことアオルコロ(中国/22歳、161,6㎏)と対戦した。

年齢差は25歳、体重差が51,4㎏というハンディを気にする素振りもなく、

敵地のケージ(金網)へと乗り込んだ藤田。

 

結果は、1ラウンド・2分01秒でTKO負け

残念ながら、MMA復帰戦を勝利で飾ることはできなかった。

 

もちろん、MMAマッチは勝敗がすべて。

だけど、あの異様な盛り上がりを見せた会場の空気を作り上げたのは藤田。

たとえば入場の際、藤田の後ろに立って、日の丸の旗を掲げていたのはサイモン氏だが、

その旗を挑発的に揺らしながら入場するというアイデアを出したのも藤田。

 

これによって、それまで淡々と進行していたイベントが大爆発。

凄まじいブーイングに包まれるなかリングインした藤田は、

リング上のハンディカメラが迫ってくると、

このバカ野郎ども!」と憎々しい顔で怒鳴ってみせた。

 

もう、完全にプロレスの空間。

しかも、大ヒールである。

いま、プロレス界でこれほどブーイングを浴びせられる存在っているのだろうか?

たとえば、内藤へのブーイングは声援の裏返しだし、

オカダへのブーイングは強さからくる相手への判官びいき。

 

だったら、藤田はなんなのだろう?

もしかしたら、日本マット界における唯一のヒールといえるのかもしれない。

そこは歴史をさかのぼって、新日本プロレスが暗黒期にあった時代、

憎らしいほどの強さでIWGPヘビー級王者に君臨していたことも大きい。

 

しかも、すべてアントニオ猪木の指令のもと、

MMAからプロレスへ逆上陸という見方をされていた。

つまり、MMAのリングを主戦場にしつつ、新日本マットへ乗り込んでくる藤田は、

当時のファンから見れば「(新日本)プロレスの怨敵」だった。

 

そういう空気のなか、MMAとプロレスのリングを行き来してきた藤田。

自然とヒールの佇まいが身についてきたのかもしれない。

 

そんなことも考えさせられた中国でのMMA復帰戦。

一方で、藤田サイドから東スポ紙上で後日談が明かされた。

藤田の控室に試合直前まで敵のセコンドがいたというのだ。

 

謎のアジア人が寝っ転がったり弁当を食べていたりして、

あとから試合VTRをチェックすると、その人物がアオルコロのセコンドに付いていたという。

 

冗談のような話だが、藤田のセコンドに付いたケンドー・カシンに確認してみると、

セコンドとして不覚でした。まさか控室に相手側のセコンドが入り込んでいたなんて」と

事実であることを認め、珍しく殊勝にも反省の意を示していたのだ。

 

 

藤田本人は私にその件を話さなかった。

写真は、試合後にアオルコロのほうから藤田に挨拶にきたシーン。

MMA界のレジェンドである藤田を倒したアオルコロはリング上でも涙ぐんでいたが、

バックステージでも「憧れの人に勝てて嬉しいです」と素直に訴えかけてきたという。

 

まだ22歳でしょう?

大学を卒業したばっかりの年齢なんだから。

ボクが総合(格闘技)を始めたのが29歳ですから、

これからの可能性は無限大じゃないんですか?

まあ、終わったものは終わりでしょうがない。

ただ、やっぱり昔より脳が揺れやすくなってるなあって

 

たしかに、PRIDE参戦初期の藤田は絶対に倒れなかった。

まだ打撃面では未熟だったこともあるが、

相手のパンチを頭や額に何発食らっても突進していった。

そこがまた”プロレスラー魂”と周囲から称賛されていた部分でもある。

 

さて、それからわずか5日後に、

藤田はプロレスのリングに立った。

 

11・16後楽園ホール。

東方英雄伝』の日本旗揚げ大会。

メインイベントのタッグマッチ(藤田&カシンvs船木誠勝&王飛)に出場した。

 

じつは、藤田が船木と試合で絡むのは正真正銘、初めてのこと。

もちろん面識はあるが、過去MMAでもプロレスでもすれ違いだった。

 

この大会を終えて、次なる藤田の試合は1つだけ決まっている。

12月23日、愛知県武道館で開催される『HEAT41』のMMAルールマッチに出場。

対戦相手は、まだ決まっていない。

 

先だって、すこしだけ藤田と話をしてみた。

 

いまになって船木さんとリングで会うなんて、

個人的には感慨深いものはありますよ。

そういえば、金沢さんともずいぶん一緒に飲んでないですよね?

まあ、物事には”起承転結”があると。

人生にも起承転結がありますよね。

あっ、ちゃんと年末年始には金沢さんにご挨拶のメールなりしますからね

 

ひさしぶりに藤田が、謎掛けのようなセリフを口にした。

いままでも、そうだった。

闘いの最前線にいるとき、彼はまるで禅問答のように

自問自答しながら私に話しかけてきたものだ。

 

「起承転結って、12月で結を迎えてまた休養に入るんじゃないだろうね?」

 

人生も物語であって、物語には起承転結があります。

また新しい物語、起承転結が待っているかもしれませんよ(笑)

 

プロレスラーであれ、格闘家であれ、

こんなセリフを口にできるのは藤田和之だけ。

 

詮索はやめておこう。

ファイターには、ファイターの生きかたがあるのだ。

 

◎追伸

新日本プロレス・オフィシャルスマホサイトの

私の不定期連載コラムが昨日更新されました。

 

テーマは、去る4日に逝去した大剛鉄之助さんと

天山広吉をはじめ、新日本プロレス所属選手たちとの師弟関係について。

 

 

 

『号外!“GK”金沢克彦の新日本プロレス通信』

今回は「特別編!11.5大阪に隠されたリアルな物語。

天山広吉の“もう一人の親父”大剛鉄之助さんへの想いとは?」

http://www.njpw.co.jp/123786

 

おそらく、みなさんの知らないエピソード満載だと思うので、

ぜひ読んでみてくださいね。