G1 CLIMAX27』、日本全国 闘いサマ―真っ最中。

7・26宮城・仙台サンプラザホール大会の取材に行ってきた。

取材といっても、新日本プロレスワールドの解説がメインの仕事。

 

メインイベントは、Aブロック公式戦の棚橋弘至vs後藤洋央紀

優勝戦線を左右する好カードである。

結果は、17分22秒、ハイフライフローで棚橋の勝利。

 

もちろん、激闘だったし、手負いの右腕を攻められた。

後藤の右腕攻撃に何度か顔を歪めながらも、

その腕でエルボー、張り手を打っていく棚橋。

 

試合中、放送席では、棚橋と仙台の深い縁をかなり濃密に語った。

2011年2月20日、場所も同じ仙台サンプラザホール。

同年の1・4東京ドームで小島聡からIWGPヘビー級王座を奪還した棚橋の初防衛戦。

挑戦者は前王者の小島。

 

会場は超満員となった。

かつて、宮城県スポーツセンターをつねに超満員にしてきた新日本プロレスだが、

2000年代後半から、仙台での興行は苦戦を強いられてきた。

 

ひさしぶりにビッシリと埋まった会場を観て、棚橋は感極まった。

初防衛に成功したタナを祝福しようと、リングサイドに観客がどっと押し寄せた。

ファンのひとりひとりとハイタッチしながらリングサイドを一周した棚橋。

あの見慣れた光景は、そこからスタートしたのだ。

 

棚橋が理想として思い描いていたプロレス会場の風景がそこにあった。

一生懸命に走ってきてよかった、全力でプロモーション活動を展開してきてよかった。

棚橋は、泣いた。

その日の初防衛戦を経て、棚橋はIWGPレコードとなるⅤ11を達成したのだ。

 

仙台は、棚橋の”エース伝説”発祥の地でもある。

 

その3週間後、未曾有の大震災が東北地方を襲った。

東日本大震災。

 

2度目の防衛戦となった4・3後楽園ホール大会。

永田裕志の挑戦を退けた棚橋は、仙台、東北のファンを思い、また涙を流した。

 

そのすべてではないけれど、

放送席では、藤沢アナとともにそこを伝えようとした。

 

 

試合後、エアギターの大サービス。

 

「今日、上手く弾けないと思うので、いつもみたいに手拍子お願いします」

 

たしかに、右腕が自由に動かない。

手首から先でしかパフォーマンスができない。

あまりに、リアルな光景。

 

それを観ていて愕然としたし、

棚橋弘至の生きざまそのものを見せられているような気もした。

 

「ちょっと話があるから聞いてくれ。

2011年、初めてIWGPをここで防衛して、6年が経ちました…」

 

そう言ったあと、言葉に詰まり棚橋がまた涙目になった。

自分自身の6年の道のりと

東北のファンひとりひとりにとっての6年、

それがタナのなかで重なったのだ。

 

 

最後は、6年半前と同じく、ハイタッチでリングサイドを一周した。

特別な会場、特別な日に、

棚橋はG1公式戦最多勝記録となる67勝目をあげた。

 

【追伸】

あの6年半前の仙台大会で、私に声をかけ激励してくれた本郷さん一家が

この日もプレゼントをもって放送終了後に来てくれました。

東日本大震災の被災者でもある本郷さん一家。

 

それにも関わらず、いつも明るくずっと私のことを応援してくれています。

あの日、倒壊した自宅で身動きができず恐怖に震えていたという

長男・結士くんも小学5年生。

 

成長した姿が見られた嬉しさとともに時の流れを感じました。

いつも、本当にありがとうございます。

ワイン、美味しくいただきましたよ(^_^)