今年も残すところ、あと半月となった。

今週の12日には、毎年恒例の東京スポーツ新聞社制定

『2016年度プロレス大賞』選考会が行なわれ、

その結果が翌13日に一斉発表されている。

 

12月13日といえば、ワタクシ金沢の第55回目の誕生日。

それじたい東スポ大賞とはなんの関係もないのだけれど、つ・ま・り・55歳だよ!

四捨五入したら、還暦だぜ! 

赤いちゃんちゃんこだってば(笑)。

 

もう笑うしかないっショ。

ガッハッハッハッハッハッハッハッハッハハハハハハハハハハ…ゲラゲラ

ああ、スッキリした。

 

肝心の東スポ大賞の結果は次の通り。

 

東京スポーツ新聞社制定「2016年度プロレス大賞」
▼最優秀選手賞
内藤哲也(34=新日本プロレス)初
▼年間最高試合賞
新日本プロレス「G1クライマックス」公式戦(7月18日=北海道・北海きたえーる)
丸藤正道(37=ノア)vsオカダ・カズチカ(29=新日本プロレス)
▼最優秀タッグチーム賞
関本大介(35)&岡林裕二(34=ともに大日本プロレス)2度目
▼殊勲賞
3冠ヘビー級王者・宮原健斗(27=全日本プロレス)初
▼敢闘賞
中嶋勝彦(28=ノア)2度目
▼技能賞
ケニー・オメガ(33)初
▼新人賞
橋本千紘(24=センダイガールズプロレスリング)
▼特別功労賞
ハヤブサさん(本名・江崎英治=享年47)
▼女子プロレス大賞
紫雷イオ(26=スターダム)2年連続2度目

 

ざっと見て、順当な結果に落ち着いたなあという感じ。

とくに、疑問をはさむ余地もない。

 

それでは、東京スポーツ『プロレス大賞』の結果を踏まえることなく、

ワタクシ金沢が独断で選出する第6回『ときめきプロレス大賞2016』を発表。

ご存知の通り、現場取材において自分の目で見て、自分の耳で聞いての評価となる。

だから、偏っているかもしれないことは重々承知のうえ。

 

ちなみに、例によって賞金・トロフィ等は用意していないので、

そこのところも了解してね。

 

☆GK金沢選定『ときめきプロレス大賞2016』授賞者

 

■最優秀選手賞(MVP)

内藤哲也(新日本プロレス、ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン)

 

■年間最高試合賞(ベストバウト)

ケニー・オメガvs内藤哲也(G1 CLIMAX Bブロック公式リーグ戦/8・13両国国技館)

※ノミネート試合

中邑真輔vsAJスタイルズ(IWGPインターコンチネンタル選手権/1・4東京ドーム)

カマイタチ(高橋ヒロム)vsドラゴン・リー(CMLL世界ライト級選手権/1・24後楽園ホール)

里村明衣子vsアジャ・コング(センダイガールズワールドチャンピオンシップ/4・8後楽園ホール)

マイケル・エルガンvsケニー・オメガ(IWGPインターコンチネンタル選手権・ラダーマッチ/6・19大阪城ホール)

柴田勝頼vs永田裕志(NEVER無差別級選手権/6・19大阪城ホール)

棚橋弘至vsオカダ・カズチカ(G1 CLIMAX A ブロック公式リーグ戦/8・12両国国技館)

オカダ・カズチカvs丸藤正道(IWGPヘビー級選手権/10・10両国国技館)

 

■最優秀タッグチーム(ユニット)賞

ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン(EVIL&BUSHI&SANADA&内藤哲也)

 

■殊勲賞

ケニー・オメガ(BULLET CLUB)

 

■敢闘賞

柴田勝頼(新日本プロレス)

※次点 YOSHI-HASHI

 

■技能賞

丸藤正道(プロレスリングNOAH)

 

■新人賞

橋本千紘(センダイガールズプロレスリング)

 

■女子プロレス大賞

紫雷イオ(スターダム)

 

■年間最優秀興行

新日本プロレス/7・18札幌・北海きたえーる大会(G1 CLIMAX26開幕戦)

 

■スペシャル・サンクス賞

ハヤブサ(江崎英治さん)

藤田和之

 

以上の結果となった。

もう一度、書いておくけど、自分の守備範囲のなかで

この目で見た選手、試合を独断で選考している。

ただし、率直なところ、いまのプロレス界は新日本一強時代と言っていい。

新日本マット中心の選考となるのは必然かとも思っている。

 

 

MVPの内藤哲也は、当然・必然の授賞だろう。

今年に入って、AJスタイルズ、中邑、アンダーソン、ギャローズと

新日本の主力勢が次々と米国WWEへ移籍。

 

「このままでは新日本プロレスがWWEの牧場になってしまう」という

木谷高明オーナーの言葉に代表されるように、新日本にたれ込めかけた暗雲を

見事に一掃してのけたのが内藤だった。

 

2ヵ月天下ながら、5年間もつづいたIWGPヘビー級王座”3強”独占時代

(棚橋、オカダ、AJ)についに風穴を開けてみせた。

内藤が天下を獲った4・10両国国技館の異様な空気はかつて味わったことのないもの。

 

記録より記憶、ベルトよりインパクト。

1997年~1998年にかけて蝶野正洋が巻き起こした

nwoムーブメントの現代版を見るかのようでもあった。

 

新日本プロレスとはこうでなければならない。

ストロングスタイルとはこういうもの。

なんとなく固まりつつあった新日本への固定観念まで内藤はぶち壊してみせた。

 

その振り切ったパフォーマンスにオールドファンも、

ビギナーファンも強く惹きつけられた感がある。

 

棚橋になら(れ?)なかった男の時代が、

ついにやってきたのだ。

 

 

 

                               ©大川 昇

 

 

年間ベストバウトは、8・13両国大会のメインイベントで行なわれた

G1公式リーグ戦Bブロック最終試合のケニー・オメガvs内藤哲也を選出。

 

現代プロレスの粋、ここに極まれり!

それが率直な感想である。

技の的確さ、破天荒さ。

素晴らしい受け身の技術と、凄まじい受けの覚悟。

 

結果は、28分12秒、片翼の天使でケニーが勝利を奪い、

翌14日の優勝決定戦へコマを進めている。

一方、引分けでもⅤ戦進出となる内藤はギリギリで涙を飲んだ。

 

「はっきり言って、あと2分間逃げれば優勝決定戦に行けましたから。

あの試合は最後の最後まで楽しいなと思いながら闘っていて…

結果的に楽しいほうを選んでしまったというかね」

 

この内藤の言葉にすべてが集約されているかもしれない。

最高の対戦相手と、これ以上ない両国の大歓声が、

内藤に勝負を選ばせたといったところだろうか?

 

                              ©大川 昇

 

最優秀タッグチーム(ユニット)は、大旋風を巻き起こした

ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン。

四者四様の個性が、そのルーツも相まって1本の線でつながった。

 

阿吽の呼吸で爆発する超ハイスピードの連係攻撃は見事で、

「あれをやられると完全にベビーフェース泣かせ」と棚橋も嘆く。

 

ロス・インゴの各種グッズもダントツの売り上げを記録しており、

他団体の会場でもロス・インゴTシャツを着ているファンが目に付くほど。

 

トランキーロ、デスティーノ、オクパード、カブロン、エンセリオ…

スペイン語の普及にも、大いに貢献しているのだ!(笑)。

 

                             ©大川 昇

 

殊勲賞は、準MVPの意味合いも込めてケニー・オメガへ。

今年の1・4東京ドームにはジュニア戦士として出場していたケニーが、

ポテンシャルを全開させてAJ離脱の穴を完全に埋めてみせた。

 

身体を張ったパフォーマンスは他の追随を許さない。

その集大成となったのが、外国人初のG1制覇を達成した今年のG1だろう。

内藤戦で一旦燃え尽きた魂に再点火し、ファイナルの後藤洋央紀戦へ。

 

ブラディサンデー(デヴィト)、スタイルズクラッシュ(AJ)とBULLET CLUB歴代リーダー

のフィニッシャーからオリジナルの片翼の天使で決着。

日本マットを熟知している男は、日本のファンのハートも鷲掴みにしてみせた。

 

なお、本来ならMVP候補であり、三賞候補でもあるオカダに関してだが、

オカダ本人が「自分の場合ハードルが上がっていますから」と認めている通り、

オカダ・カズチカにはMVPとベストバウト以外の賞の授賞は相応しくないと思う。

 

特に、こと三賞に関しては、オカダ、それと同じ意味で棚橋は選考対象外とした。

 

 

敢闘賞は、柴田勝頼。

いやはや凄まじいまでのタイトルマッチラッシュ。

 

1・4東京ドームで石井智宏を破りNEVER無差別級王座を戴冠したのにはじまり、

①石井②石井③小島④天山⑤永田⑥永田⑦本間⑧B・フィッシュ⑨K・オライリー⑩EVIL

⑪EVIL(シンガポールに於いて)とNEVE選手権で年間11試合。

さらに、海外遠征でも、7月、11月にイギリスでブリティッシュヘビー級王座戦3回、

8月、アメリカでROH世界TV選手権と、シングルのタイトルマッチが計15回。

 

これは過去を遡ってみても、新日本のレスラーとしては記録的なものだろう。

しかも、柴田の試合にはハズレがない。

7月に右肩亜脱臼、9月に胸椎負傷と満身創痍のなかで

「プロレスに憑りつかれた男」は魂の闘いを見せてくれた。

 

なにか、困ったときの柴田頼みではないけれど、

柴田がいれば大丈夫という空気が自然に出来上がっていたようにも感じるのだ。

 

 

技能賞は、丸藤正道。

4年ぶり2度目のG1出場で天才ぶりを遺憾なく発揮した。

初戦のメインでオカダと初対決。

ポールシフト式エメラルドフロウジョンで止めを刺したインパクトは満点。

 

その後も、石井戦、真壁戦、SANADA戦、棚橋戦、後藤戦と

記憶に刻まれる好勝負を連発した。

とくに、丸藤オリジナルの胸板を切り裂く逆袈裟斬りチョップ、

後方からも飛んでくるトラースキックの乱れ打ちは圧巻。

 

10・10両国大会でのIWGPヘビー級王座戦も含め、

方舟の天才が抜群の存在感を見せつけた。 

 

 

                            ©大川 昇

 

新人賞は、センダイガールズの橋本千紘。

この選考に関しては、東スポ大賞と完全に一致する。

 

昨年10月11日にデビューしてキャリア1年余ながら、

今年の10・16仙台サンプラザ大会で里村明衣子を破り、

第2代センダイガールズワールド王者となった。

 

師匠であり女子プロ界の横綱である里村から勝利をあげたばかりか、

11月の横浜大会(OZアカデミー)ではタッグマッチながら

アジャ・コングからもピンフォールを奪っている。

 

さすが、リオ五輪金メダリスト・土佐沙羅のライバルだった女。

ただガムシャラにいく強さだけではなく、プラスアルファの魅力も備えてきた。

 

                           ©大川 昇

 

今年の女子プロレス大賞は、満場一致で(※1人だけど)紫雷イオに贈呈。

東スポ大賞では2年連続でイオが選出されているが、

当ブログの昨年度MVPはこれまた満票で(※1人だけど)、里村明衣子。

 

今年は見事に、グーの音も出ないほどにイオが独走したと思う。

昨年から今年にかけて、さまざまな選手が台頭してきたが、

結局、横綱に昇進したイオの牙城はだれも崩せない。

 

スターダム最強の証である赤いベルト(ワールド・オブ・スターダム王座)

8連続防衛に成功しているばかりか、突然ヒール的ポジションに立ち位置を

変えるなど、リング上の図式を一変させ他の選手たちの尻に火を点けまくる。

 

その活動範囲は日本だけにとどまらず、アメリカ、ヨーロッパまで。

とくに、4月のロサンゼルス遠征で出場したAAA

ルチャアンダーグラウンド大会での試合は圧巻だ。

 

激闘の末に、なんとペンタゴン・ジュニアからフォール勝ち。

この試合映像を観たら、米国の某世界№1メジャー団体が

なおさらイオ獲得に本腰を入れてくるのではないか!?

そう思ってしまうほどだ。

 

紫雷イオ、いまが絶頂期。

世界のイオを目指すのみだ。

 

 

 

今年取材した興行のなかで、もっとも面白かった大会を一つあげるなら

G1開幕戦の7・18札幌・北海きたえーる大会。

 

小島から出場権を譲渡された天山が、テンコジとして覚悟のリングイン。

難敵・石井をムーンサルトプレスで沈めた瞬間、会場は大爆発。

小島が泣きじゃくり、G1初戦にして優勝が決まったかのような興奮と感動に包まれた。

 

セミの棚橋vsSANADA戦では、ついにSANADAのポテンシャルが全開。

棚橋のハイフライフローをRKOで切り返すという離れ業から、

ラウンディングボディプレス、SkullEndで完全勝利。

 

ゲスト解説についていたライガーの「すげぇー!」が

何連発飛び出したかわからないほど凄かった。

 

そして、メインではドリームカードであるオカダvs丸藤の初対決。

レインメーカーを虎王で切り返した丸藤が、

切札・ポールシフト式エメラルドフロウジョンで完勝。

このインパクトも凄まじいばかりだった。

 

ちなみに、丸藤が実戦でこの技を繰り出したのは3度目。

最初はポールシフトが崩れた偶然の産物だったから、

厳密に言うなら2度目となる。

 

そのとき解説席にいたワタクシ金沢が、

「ポールシフト式エメラルドフロウジョンですね!」と

すかさず言えたのはちょっとした自慢でもある。

 

私の今年度、最高解説賞の要素も入っているのだ(笑)。

とにかく、プロレスのあらゆる魅力満載の素晴らしい興行だった。

 

                            ©大川 昇

 

スペシャル・サンクス賞には、「ありがとう!」という感謝の意味を込めた。

まずは、今年3月3日にクモ膜下出血により急逝したハヤブサさん(享年47)。

プロレスラーとしての実働期間は、デビューから10年半。

2001年10月から車椅子での生活を余儀なくされたが、

復帰を目指すリハビリとともに、歌手活動をつづけてきた。

 

あの事故から15年が経過した。

それでも、ハヤブサの名前は永遠に残る。

ハヤブサに憧れてプロレスラーになった者は数知れず。

フェニックス・スプラッシュにファルコンアロー。

この技も永遠に受け継がれていくだろう。

 

 

そして、藤田和之。

46歳、キャリア20年。

見事な去り方を見せてくれた。

 

『RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX2016無差別級トーナメント開幕戦』、

9・25さいたまスーパーアリーナでのバルト戦で0-3の判定負け。

 

男泣きしながらも、「スッキリした」と引退を表明した。

その後、藤田の心の内を何度か確かめてみた。

 

「動けない人間が上がっていては、リングを汚すことになります。

猪木会長からキャッチフレーズ(猪木イズム最後の継承者)をいただき、

テーマ曲(炎のファイター~オーケストラバージョン)まで使わせていただいて、

恥ずかしい試合はできないですから」

 

藤田は最後まで、ファイターだった。

プロレスラーでも総合格闘家でもなく、ファイターである。

怪我を負って試合に出場し敗れた時でも、それをいっさい公表しない。

つまり、言い訳を用意していない。

 

新日本マットにカムバックしてきた時代、

新日本と猪木事務所のゴタゴタに巻き込まれ

ドタキャン男の汚名を着せされたこともあった。

 

それでも彼は、言い訳も反論もしなかった。

「俺が悪者になって、それで収まるならそれでいいじゃないですか」

リング外の騒動には背を向けて、見ないようにしてきたのだ。

 

その一方で、闘いへのこだわりは、総合、プロレスを問わず尋常ではなかった。

なぜリングに上がるのか?

なぜ命を懸けて闘うのか?

 

自問自答しながら、

生き(逝き)場所を求めつづけてきた。

 

リアル・ファイター 藤田和之。

二度と出ないであろう真の逸材。

 

生涯ベストマッチは、もちろんこれだろう。

2003年6月8日、『PRIDE.26』横浜アリーナ大会メインイベント。

PRIDEヘビー級王者エメリヤーエンコ・ヒョードルとの初対決。

必殺の右フックで皇帝ヒョードルをフラフラにさせた、あの一戦である。

 

おそらく、藤田がリングに上がることはもう二度とないだろう。

こんな見事な去り際も、二度と見ることはないだろう。