不覚、痛恨、失態だ。
先の新日本プロレス、11・5大阪府立体育会館大会にて
『ワールドプロレスリング』の放送席で解説を務めていたワタクシ金沢だったが、
大切なことをひとつ忘れていたのだ。
石井智宏デビュー20周年。
もう、昨年から石井が20周年を迎えることをずうっと気にしていたにも関わらず、
いざ、本番の放送ではすっかり頭から飛んでしまっていたのである。
正確に言うと、石井のデビューは1996年11月2日。
もちろん、場所はWARのリングで相手はジュニアの超電戦士バトレンジャーZ。
あれから、20年。
WAR →フリー→WJ→リキプロ→新日本と渡り歩いてきた。
現在、新日本プロレス・CHAOSをリードする立場にいる。
WJ時代の石井は、ガウンの背中にこんな文字を入れていた。
師匠・長州力が掲げた「ど真ん中のプロレス」。
それを実践する「ど真ん中の申し子」が石井だった。
ここからの試合写真は、すべて大川昇カメラマン撮影の作品。
ついに、新日本マット初登場。
長州とのリキプロタッグで、中西学&ライガー組と対戦。
2004年12月11日、大阪府立体育会館でのこと。
12年前の同じ大阪……やはり放送で触れたかった。
その後、矢野通と意気投合してタッグ結成。
同じくはぐれ者である真壁&越中組と半年間抗争に突入。
その闘争を経て、初期の「G・B・H」が結成された。
石井人気を決定的なものとしたのが、
2013年2月3日、後楽園ホールで行われたNEVER無差別級選手権。
王者・田中将斗に挑んだ同門対決だった。
ここに、新・後楽園ホール男が誕生!
ゴツゴツ、ガチガチの闘いに、後楽園ホールは大爆発。
インディー育ちの両選手は、まるでメジャーに喧嘩を売っているようにも見えた。
23分27秒のシバキ合い。
この一戦をテレビ観戦していた藤田和之も、
2人の闘いを絶賛している。
また、試合後、初めて石井は自身のプロレス観を主張した。
「デビューしてからこの言葉だけは言うまいと思っていたんだけど、
正直いって、田中さんとの試合はキツイ!」
「俺の一番嫌いな言葉……あれもプロレス、これもプロレス。
そこに闘いがなければ、プロレスじゃないだろ!」
「この試合は、俺と田中さんからの新日本への挑戦状だよ」
武骨で無口な男のセリフは心の奥底まで響いてきた。
2013年の『G1 CLIMAX23』に初出場。
最終戦で6人タッグながら飯伏幸太と初遭遇。
予想通り、両者は弾けた。
飯伏のドロップキックも凄いが、
石井の受けも凄まじいばかり!
翌2014年5月25日、横浜アリーナで行なわれた
NEVER無差別級戦の一騎打ちも名勝負となった。
石井にとって、中邑真輔の存在はいつも心の支えになった。
タッグを組めば、最高のパートナー。
互いに、レスラーとしてリスペクトし合っていた。
2014年の『G1 CLIMAX24』でついにシングル初対決。
8・1後楽園ホールで決戦に臨んだ2人は試合後、抱擁を交わす。
”真ちゃん”が今年早々に、新日本を退団し米国WWE(NXT)へ。
石井は、自分がCHAOSをリードしていくと心に誓った。
時間を戻して、11・5大阪大会。
IWGPタッグ選手権、
タマ・トンガ&タンガ・ロアvs石井智宏&YOSHI-HASHI。
白熱の好勝負だった。
このタッグ戦を大阪大会のベストマッチに推す声も多い。
じつは石井という男、タッグマッチの名手でもある。
次期『WORLD TAG LEAGUE2016』で、
私の推すⅤ大本命は石井&後藤のチームだ。
そうそう、私が石井の20周年に気が付いたのは、
大会2日後の7日、夕方のことだった。
うわっ、大失敗!
そう思いながらも、石井にメールを送ってみた。
「遅ればせながら、デビュー20周年おめでとう!」
1時間ほどして返信があった。
「ありがとうございます!」
なんというか、それで充分という気もする。
彼の20年を見守ってこられたこと。
彼がここまで伸し上がってきたこと。
あきらめないハートの強さ、
武骨という言葉の裏に隠された研究心、
そしてプロレス偏差値の高さ。
石井智宏は、まだまだもっと上を目指せる。
ちなみに、石井と業界同期の男たちがいる。
不思議なことに、彼ら3人とも私は仲がいい。
育った環境も生き方も違うのに、
なぜかこの3選手には特別な思いを抱いてしまう。
藤田和之。
1996年入門、1996年11月1日、永田裕志戦にてデビュー。
デビュー戦は1日違い。
残念ながら、9月25日に引退表明。
藤田vs石井戦、観たかった!
真壁刀義。
1996年入門、1997年2月15日、大谷晋二郎戦にてデビュー。
真壁の師匠も長州力。
真壁vs石井、現在進行形で闘争中!