25日、さいたまスーパーアリーナで開催された総合格闘技

『RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX2016

無差別級トーナメント開幕戦』1回戦に出場した藤田和之。

 

大相撲出身の元大関、バルトと対戦したものの、

198cm、170㎏という超巨漢の牙城を崩すことができないまま、

3-0(5分2ラウンド制)の判定負けを喫した。

 

試合後、インタビュースペースに現れた藤田は、

最初は笑顔を見せていたものの、「これで区切りがついた」と

事実上の引退を表明。

 

その後、突然顔を手で覆い、こらえきれずに涙を流した。

 

 

 

報道陣も騒然というか、唖然とするなか、

思いの丈を口にする藤田。

その内容は、各種の媒体をぜひ読んでいただきたい。

 

1996年11月1日、広島グリーンアリーナにて、

永田裕志を相手にプロデューした超大物ルーキーも、

今年でプロ生活20年、もうすぐ46歳になる。

 

今回のトーナメントに参加しているメンバーのなかでは、

ミルコ・クロコップとともにレジェンドファイタ―として括られる。

 

もちろん、ミルコは2001年8月に行われた藤田戦によって世に出た男。

藤田がいなければ、いま現在の自分が存在していないことをわかっているから、

藤田のことを「ブラザー」と呼んで、つねにリスペクトの念を示している。

 

 

 

ただし、時の流れは非情でもある。

総合でもプロレスでもまだまだやれるだけの体力、

肉体を維持しているように見える藤田だが、

「動けなくなったら終わりです」と言うのだ。

 

それが、闘いにこだわり続けてきた男の美学…

というより、藤田が考える、ファイターのあるべき姿なのだろう。

 

 

引退試合とか、引退セレモニーなどは何も必要ないという藤田。

 

「ただ皆さんにご挨拶だけしたくて、今日ここに来ました。

本当にありがとうございました」

 

最後には、そう言って深々と頭を下げた。

このシーンを見て、17年前の後楽園ホールを思い出した。

1999年12月、新日本プロレスの年内最終興行。

 

当時、マスコミ関係者とはほとんど付き合いのない藤田が、

控室前のマスコミの溜まり場までやって来て、

「みなさん、今年も本当にお世話になりました」と頭を下げていたのだ。

 

当時から藤田と親しかった私は、その光景を見てからかった。

 

「なんだよ、藤田くん。引退でもするのか?」

 

「違いますよ。だっていつも金沢さんは言ってるじゃないですか?

レスラーである前に社会人としてちゃんと挨拶ができなきゃダメだって」

 

そう、あのとき藤田はすでに新日本退団を心に決めていたのだ。

そして、年明けの1・4東京ドーム終了後に

フリーとなって『PRIDE』参戦へと動いた。

 

固い決意、決断は、あのときと変わらないようだ。

翌26日発行の東京スポーツ紙ではケンドー・カシンが

「引退はさせない」と引き留める姿勢を示している。

 

ということは、もっとも親しい間柄のカシンにも、

今回の決断を伝えていなかったということ。

 

当日、私はメインイベントの途中でアリーナを出た。

込み合うなか帰るのが嫌で、メインはテレビで観戦しようと思ったのだ。

ちょうど帰宅したときに、藤田から電話がかかってきた。

夫人が運転する車で帰宅途中だと言う。

 

それから、1時間ほど話した。

電話では、いつもの藤田に戻っていた。

 

「今日は午前中、下の娘の保育園が運動会だったんですよ。

それで”でかパン”競走というのに親子で出てビリだったんですけどね((笑)。

でかいパンツのなかに親子二人で入って走るんですよ。

午前中もでかパンで夜もでかパンと試合して、

でかパンに2連敗ですよ、ガッハハハ!」

 

そんなことを言いつつも真面目な言葉も出てくる。

 

「前回のプロハースカ、今回のバルトとこれからRIZINを背負っていく若い連中

と対戦できて感謝してますよ。だから、僕はもうあのリングには上がれない。

動けない人間が上がると、リングを汚すことになりますからね」

 

「試合のなかでもバルトはちゃんと反応しますからね。

もっと練習して経験積んだら、とんでもない存在になるんじゃないですか?

まあ、前回も今回も、負けたのに悔しくないというのが一番大きいのかなあ?

負けて悔しくないというのは、やっぱりファイターとして区切りをつけなきゃいけない」

 

そんなことを延々と話してくれた。

 

「じぁあ、こんどメシでも食おう」

 

そう言って電話を切った。

だけど、夜中の3時すぎに藤田からメールが来た。

眠れないらしい。

私も起きていたし、飲みながら、何度目かの映画『レインマン』を鑑賞していた。

 

それからメールのやりとりは、早朝6時20分までつづいた。

プロレスのこと、格闘技のこと。

この世界で生きてきたこと。

 

でも結論は簡単だ。

 

藤田和之は、めったに試合をしないのだから、

引退してもしなくても、私個人にはあまり関係のない話。

 

そう書くと、藤田は「ひどいなあ」と言うだろうけれど、

仕事ぬきで20年も付き合ってきたのだから、

私と藤田の関係はこれからも何も変わらない。

 

ただ、彼が命を削るような試合、

命がいくつあっても足りないような闘いを

実践してきたことを私は知っている。

 

そんな試合を毎回見せつけられて、

心が張り裂けそうな思いで取材してきた。

 

ご苦労さまでも、お疲れさまでもない。

本当に、ありがとう!

それがいま、藤田に贈りたい言葉である。