3日、ハヤブサこと江崎英治さんが亡くなった。

享年47。

死因は、くも膜下出血だという。


突然すぎる。

悲しいというより、悔しいよ。

ハヤブサとは、まだまだ話し足りない。

話したいことがいっぱいあった。



2014年10月11日、両国国技館で開催された

『神取忍、生誕50周年記念大会』終了後、

両国駅近くのちゃんこ料理屋さんで一緒に食事したとき。


ハヤブサの親友である大川昇カメラマンが誘ってくれて、

初めてハヤブサと酒席をともにした。

メチャクチャ楽しくて、気が合った。


「金沢さん、俺のこと嫌いなのかとずっと思っていましたよ」


「違う違う!『週刊ゴング』時代は新日本を中心にメジャー系ばかり取材していたから、

正直、FMWにはほとんど顔を出せなかっただけなんだよね」


「ホラ、やっぱり金沢さんと英治は絶対気が合うと思っていたんですよ(笑)」


そう、なんか気が合う、ウマが合う。

そんな感じで、仕事抜きの友人になれそうな気がしていた。



そのとき話していた企画を早速実現させた。

2015年1月23日発売の記念すべき『ゴング』第1号用に、

ハヤブサ×田中将斗の対談を行なったのだ。


2014年12月20日のこと。

場所は、ハヤブサの自宅マンションにて。

1時間30分余の対談のなかで、

1時間は書けないエピソードのオンパレード(笑)。


終始、爆笑ものだった。


(※以下、写真はすべて大川昇カメラマン提供)




ハヤブサを一躍スターの座へと押し上げた

第1回『スーパーJカップ』1回戦のライガー戦。

1994年4月16日、両国国技館でのこと。

セコンドには、ヤングライオン杯で優勝した直後の小島聡がいる。




この美しいフォームを見てほしい。

いま現在の選手にたとえるなら、飯伏幸太だろう。

紛れもなく、天才レスラーだった。



フェニックス・スプラッシュの元祖でもある。

この一枚は大川カメラマンによる神業!?

なんと、ハヤブサが飛ぶコーナーから後楽園ホールの天井を見上げて

対戦相手を含めフェニックス・スプラッシュを見事に収めている。


ハヤブサといえば、ファルコンアローの創始者でもある。

彼の言葉のなかでとても印象に残っているものがある。


「自分の技がいまも残っているのは嬉しいですよ。

だけど、ひとつお願いしたいことがあるんです。

雑なのが多いんで、できればキレイに決めてほしい。

テレビを見ていて実況の人が『ファルコンアロー!』って言ったとき、

『えっ、いまのファルコンアローなの?』ってたまに思うんですよね」


現役復帰を諦めないプロレスラーのプライドを垣間見た思い。

そして、ハヤブサは伝説となった――


合掌。