昨日、11・15両国国技館(天龍源一郎引退興行)で
藤田和之vs諏訪魔(藤田&火野vs諏訪魔&真霜)戦が
決定したことを興奮気味に書いたのだが、
それを読んだらしい藤田本人からメールがとどいた。
「人間として男として大きい天龍さん。
漢(おとこ)天龍源一郎に、心からの感謝と最大級の敬意を払いたいです」
と、天龍への感謝を述べつつ、
私に若干のクレーム。
「でも金沢さん。第3のリングで…というのは、
東スポの取材で最初から言っていたのは自分ですからね」
あれっ、そうだっけ!?
まあ、対戦が決まったんだからそのへんはいいじゃんか(笑)。
ところで、その闘いの場を提供してくれた天龍と
藤田には過去に接点なしと書いたのだが、
何人かの人に「一回やったみたいですよ」と指摘された。
まったく記憶にない。
そこで藤田にメールで尋ねてみると、
本人からも「やってないはずですけど」という回答。
ところがどっこい、
2人がタッグマッチで対戦している試合が、
11月15日発売の引退記念DVDボックスに収録されているという。
確認してみると、たしかに収録予定メニューのなかに発見。
☆1999年11月1日 広島サンプラザホール(初DVD化)
佐々木健介&藤田和之 vs 天龍源一郎&中西 学
ビックリだ。
こんな豪華な顔合わせが実現していたのだ。
それなのに、なぜ記憶にないのか?
いろいろと過去を調べてみたところ、その理由が判明した。
この広島大会は、テレビ収録もあったビッグマッチなのだが、
月曜日に開催されている。
月曜日といえば、当時の『週刊ゴング』の校了日にあたる。
編集長を務める私が、校了日に出張に出られるわけがない。
だから、私は現場に出向いていないのだ。
だけど、1996年11月1日、広島グリーンアリーナでデビュー戦(vs永田裕志)
を行なった藤田にとってはデビュー3周年の試合にあたる。
ふつう、憶えているだろうと責めたいところなのだが、
当時の『週刊ゴング』を確認すると、これは複雑な試合だった。
この広島大会当日に、天龍のIWGPへビー級王座挑戦が決定。
王者は武藤敬司で、日程は12・10大阪大会。
一方、直前の10・11東京ドームで天龍との一騎打ちに敗れている健介は、
天龍との再戦を執拗にアピールしまくっていた。
こんな状況にあったから、
試合はもう天龍vs健介の意地の張り合い。
その年のG1覇者である中西も、
デビュー3周年の藤田も完全に脇役となってしまった。
当時の試合レポートを読んでも、
天龍vs健介だけに焦点が絞られている。
はい、特別に当時の試合グラビアを大公開!
30分ほどゴソゴソと探して見つけ出した(笑)。
なんと天龍がパワーボムからノーザンライトボムで藤田をフォール。
明らかに、健介に見せつける闘いっぷりである。
ちなみに、証拠としてこの写真を藤田に送ってみた。
「見事なやられっぷりじゃないですか!
だいたい、このメンバーでキャリア3年の若造なんて顔じゃないですよ。
負けた試合はすぐ忘れると(笑)…でも本当によく憶えてないんですよねえ」
藤田から正直な言葉がメールで返ってきた。
ただ、激しい時代の狭間にあって、
天龍vs藤田が肌を合わせていたのは事実だった。
ちなみに、大阪で武藤を破った天龍はIWGPヘビー初戴冠。
ところが、1・4東京ドームで健介に敗れ初防衛に失敗。
そして藤田は、1・4ドームで総合格闘家のキモと対戦。
圧倒的な強さを見せ4分余で戦闘不能にしてしまった(※藤田の反則負け)。
その直後、新日本を退団した藤田は『PRIDE』に参戦。
総合マットで快進撃を披露し、日本人最強ヘビー級戦士と呼ばれることになる。
まあ、とにかくそういう激動の時代であったのだ。
残念ながら、私自身も記憶にない天龍vs藤田のからみ。
ぜひ、DVDで確認してみたいと思っている。