あ、気がつくと3月に入ってしまった。

もう1週間以上、ブログを更新していない。


おまけに、先月(2月)の更新はわずかに5回。

2011年7月に当ブログをスタートさせて以来、

最低更新数を記録しちまった。


だけどさぁ、2月って28日までしかないんだもん!

アップ子どもか!?)

それはともかく、ほんとのところは『ゴング』3月号の下準備や、

取材でドタドタバタバタしていたせいなのだ。


そんなところに、ビックリ仰天のサプライズ・ニュース。

すでにご存知かと思うのだが、27日放送分のNHK連続テレビ小説『マッサン』

エンディングの「わたしたち国際結婚です!」に、

なんと石澤常光さん一家の写真が登場した。


その写真はこちらを参照のこと。

カクトウログhttp://kakutolog.cocolog-nifty.com/


青森県藤崎町
ジャギー・勇人くん・玲良ちゃん・石澤常光さん・スヴェトラナさん
好きな人が一緒なら掘っ立て小屋も天国


家族紹介とともに、そうメッセージが添えられている。

2メートルはあろうかという特大の3段式雪だるまと一緒に

石澤さん、奥さん、お子さんたち、さらにちゃんとカメラ目線のワンちゃん。


うーん、ほのぼの。

素敵な家族ではないか!

あれ、藤崎町って、2005年に常盤村が市町村合併して、

たしか旧藤崎町から、現藤崎町になったはず。


なぜ、オイラがそこいらあたりに詳しいかというと、

その隣町にあたる板柳町に私の母方の親戚がいて、

小学生のころ遊びに行ったことがあるから。

板柳といえば、人気力士・高見盛(現・振分親方)の出身地でもある。


……と、さんざんもったいぶっておいて、

藤崎町の石澤常光さんと言えば、

写真をよく見ると、よく見なくても、どう見ても、

ケンド―・カシンだよ!


たしか奥様はロシアの人だった。

だけど、お子さんが2人いるとは知らなかった。


だって、カシンはプライベートの話をいっさいしない男。

今でもたまにメールを送ったりするのだが、

彼にとって興味のない内容だと、

返信してくるのは3日後とか4日後。


一方で、彼の琴線に触れるような内容だったり、

おもしろい写真を添付してメールしてやると、

ものの3分以内に返信が来るのだ(笑)。


最近、中西学ネタには興味がないようで、

やはり永田裕志ネタがイチバンのお気に入りらしい。


それを象徴するのが、先だっての2月20日、

IGFの『GENOME32』(東京ドームシティホール)に参戦し、

青木真也のGENOMEルールマッチ、つまりプロレス初挑戦の

対戦相手を務めたときのパフォーマンス。




まず、このド派手なロングタイツは、

明らかに青木がDREAM参戦時代に好んで着用していた

カラフルなロングスパッツを意識したものだろう。


カシンはこういう部分に関してだけは、

お金と労力をまったく惜しまないのだ。


自分が楽しければ、お客さんも楽しい…

いやいやいや、自分が楽しければ「それでよし!」なのだ。


もっと気になったのは両腕、胸とお腹に

なにかタトゥーのようなものが見えたこと。

この通り、遠目から見てもなにか付いている。


試合後、コメントの内容はともかくとして、

私はそちらばかりが気になって凝視していた。



ああ、これはボディシールってやつか!?


左胸には、サイモン・ケリ―猪木取締役。

しかも、新日本プロレス社長時代のサイモン氏が、

蝶野正洋と舌戦・抗争を展開していたときの写真。


左腕とお腹には、大好物の永田裕志。

右腕のシールはよく見えなかったのだが、

小川直也が澤田敦士にスリ―パ―ホールドを

決めている絵柄ではないだろうか?



コメント終了後、とっとと引き揚げようとするカシンを呼び止めて、

「お腹の写真、撮らせてくれる?」とリクエストすると、

柄にもなく(笑)、おとなしく撮影させてくれた。


やっぱり、永田サンのことを世間にもっと広めたいのだろう。

……って、これはマズイっしょ!

股間を桶で隠して、闘魂ハチマキに「ゼア!」だもん(笑)。


じつはこの写真、知る人ぞ知る有名な作品(?)。

遡ること12年ほど前、当時のIWGP防衛レコードである

Ⅴ10という偉業を達成した”ミスター”こと永田。


その王者時代、つまり新日本の屋台骨を背負って驀進している最中、

東京スポーツ(以下、東スポ)に掲載された写真。

もちろん、カラ―ではなくモノクロだった。

ということは、カシンはどこかで手をまわし

カラ―写真を入手したに違いあるまい(笑)。


それにしても、巡業中に温泉に浸かってインタビューに応え、

こんなポーズまで披露してしまった永田サン。

もう一度書いておくが、当時IWGPヘビー級王者であり、

新日本の頂点に立ち、屋台骨を背負っていた時期である。


この東スポを見た瞬間、私は永田の携帯に電話を入れた。


「あれはいくらなんでも…あれはダメでしょ! チャンピオンなんだから。

あの橋本真也でもあそこまではやらないと思うよ!!」


永田からは即時の反応、反省の弁が返ってきた。


「やっぱり、金沢さんからもお叱りの電話でしたか(苦笑)。

いろいろな選手、フロントの方からもお叱りを受けているところでして…」


永田とすれば、オフのネタ探しをしていた東スポに

惜しみなく協力したつもりだったのだろう。

まあ、この”人の良さ”が永田らしさでもあるのだが(笑)。


というわけで、永田にとってはホロ苦い思い出の残る

けっこう恥ずかしい写真なのである。


もちろん、今回、カシンにネタにされたことを永田は知っていて、

「なんか例の露天風呂の写真を貼っていたみたいですね?

よく考え付くよ、まったくあの男は…」と苦笑していた。


その1週間後、NHKの朝ドラに一般人として家族とともに登場した

石澤常光さんに、真っ先に反応してツイ―トしたのが永田サン。


カシンと永田。


いや、石澤さんと永田サンの腐れ縁ともいえる

摩訶不思議な友情(?)は、この先も延々と続く……

と思われる、たぶんねチョキ