2・14仙台サンプラザホール大会。

会場は超満員のファンで埋め尽くされた。


メインイベントは、中邑真輔に永田裕志が挑戦する

IWGPインターコンチネンタル選手権。


実況は、野上慎平アナウンサー…もとい!

野上”ジャスティス”慎平が務めた。


新日ストロングスタイルを象徴する”絶滅危惧種”対決。

「親父の背中を見せたい!」という永田の応援団として、

永田家(智枝子夫人、裕生くん)もリングサイドに駆け付けた。


結果は非情だった。


永田、ボマイェに沈む。


メイン終了後、野上アナは泣いた。



泣くな!野上。


大会終了後、テレ朝『ワールドプロレスリング』チームによる反省会&打ち上げ。

その席で、いろいろな話が出てきた。


私がすっかり忘れていたエピソード。

徐々に思い出してきた。


遡ること3年前、2011年12月4日、愛知県体育館。


IWGP王者・棚橋弘至が、IWGP防衛レコードのタイ記録であるⅤ10を賭けて、

記録保持者の永田を挑戦者に迎えた大一番。


野上アナは、当時の『ワープロ』プロデューサ―である

篠原弘光さん(現在、総合ビジネス局副部長)に直訴した


「メインの実況を自分にやらせてください!」


「野上、おまえはまだ早い。吉野(真治)でいくから」


当日のメイン終了後、インタビュアーとして敗れた永田のもとへ駆け付けた。


「泣くな!野上。

俺は必ず立ち上がるぞ。

それまで力つけて!」


涙に暮れる野上アナを永田が励ました。


放送席も同じだった。


「次に永田がIWGPに挑戦するときは、

野上慎平が堂々と実況すればいいんです!」


私がそう言ったらしい。

そのことを芳野良太ディレクターが教えてくれた。

あ、なんとなく記憶が甦ってきた。


打ち上げの席には、櫻井健介プロデュサ―もいたし、

あのとき野上アナにNGを出した篠原さんもいた。

そして、エースアナウンサーの吉野真治アナもいる。


私の知らない秘話がまた飛びだしてきた。


今回の中邑vs永田戦が事実上の決定をみたとき、

吉野アナがプロデューサーとディレクターにこう告げたという。


「インターコンチが大阪になるのか、仙台になるのかわかりませんけど、

そのときの実況は野上にやらせてやってください!」


櫻井プロデューサーも芳野ディレクターも異存なし。

あれから3年、野上慎平は堂々とメインを務めるまでに成長していた。


そして、野上がまた泣いた。

だけど、3年前のただ悔しいだけの涙ではなかった。


永田が敗れ去ったこと……。

自分の実況が正解だったのかどうか?

ファンに向けて伝えるべきことを伝えられたのか?

スタッフの思いに応えることができたのか?

プロレス実況7年の集大成たりえる内容だったのか?


ワープロ班の反省会終了後、

野上アナ、芳野ディレクター、ワタクシ金沢は

永田の打ち上げ会に合流した。


永田裕志との反省会は朝まで続いた。

熱いプロレス談議が展開されるなか、

なぜかコジゴン(小島)による明るいカラオケの歌声が響いてきた(笑)。



今日は、泣いてよし!

男には、泣いていいときだってある。


だけど、明日を信じて立ち上がろう。

野上”ジャスティス”慎平、明日を信じて突き進め!!