天龍源一郎が、引退・プロレス廃業を発表した。

自身が米国修行中にプロデビューした1976年11月にこだわりを持って、

今年11月に、39年にわたるプロレス人生にピリオドを打つことになる。


今年65歳を迎えた天龍。

現在まで38年余となるプロレスラー人生。

そのうち29年弱、私も取材記者として

天龍に関わらせてもらった。


もちろん、子どものころからプロレスファンだったから、

天龍の試合はデビュー当時からテレビで観ている。

いや、それ以前からずっと観ていた。


なぜなら、私は大相撲時代から天龍ファンだったから。

新進気鋭で甘いマスクの天龍は、ゴツイお相撲さんたちが多い中、

二枚目力士、ハンサム力士と当時から呼ばれていた。


本当に不思議なもので、

私が大相撲のなかでファンだった力士…

天龍、輪島ともにプロレス転向を果たしているし、

一番好きだった長谷川(元・関脇)にしても、

一時プロレス転向説が流れたものだ。


私がファンになる力士にはみんなプロレスラ―としての資質が

あったのかもしれない。


それはともかく、私が感じてきた天龍の凄さは二つ。

試合云々とは別の部分で、彼には絶対に曲げようとしない信念があったこと。


一つには、全日本プロレス出身というプライドを

つねに持ち続けマット界を生き抜いてきたこと。


もう一つが、全日本出身ではないし、

まったくルーツの違うレスラーたちにも

多大な影響を与えてきたことだ。


無論、レスラーだけではない。

私も天龍から大きな影響を受けた。

天龍同盟全盛期に、『週刊ファイト』記者として天龍にインタビューを行なった際、

彼の口から出てきたフレーズがいまも忘れられない。


それはまた後日……というか、12日(木)に更新予定の

~プロレス・格闘技専門デジタルマガジン~『ビッグファイト』の

GK金沢コラムで書いてみたいと思っている。http://the-big-fight.jp/


それにしても、9日に後楽園ホールで行なわれた会見の内容を読んでみると、

いかにも天龍らしいというか、思わずニヤリとしてしまうようなセリフが並んでいる。




日本人として唯一、ジャイアント馬場、アントニオ猪木の両雄から

ピンフォールを奪った男として名高い天龍。


「勝ち逃げさせてもらって、本当に悪いなと思っています」


そう、猪木だって意地っぱりだ。

すべてを達観しているように見えて、

天龍戦の1敗にはのちのちまで相当こだわっていたのだ。

                  


大きく成長した愛弟子、石井智宏とサムライTVで共演。

三沢光晴(故人)、越中詩郎、川田利明(休業中)、小橋建太(引退)、田上明(引退)、

小川良成と、全日本のリングで天龍を慕っていた選手たちはみんな大成した。


そういう意味では、いま現在、最前線で活躍する石井が

最期の天龍イズム継承者かもしれない。


                   


最高のライバルにして、タッグも組んでいたのがハンセン。

2人は米国修行時代、同じアパートに住んでいた間柄。



全日本、新日本の壁を超えた長州とのライバル関係。

団体の垣根を超えシンパシーを発信し合った2人によって、

日本マット界の歴史は大きく動いたのだ。


アニマル浜口さんは、WARを盛り上げるために、

現役復帰して天龍を支え続けた。



        

            


天龍源一郎プロレス35周年記念興行(2011年11月10日、後楽園ホール)では、

三冠王者プレミアムマッチと銘打って、豪華絢爛、壮観ともいうべきカードが実現。


天龍と健介が真っ向からチョップ合戦を展開。

佐々木健介にとって、天龍は心の支えであり、心の師匠でもあった。




自身のブログで長文を記したように、

鈴木みのるにとっても天龍は恩人だった。

藤原喜明、天龍の2人に出会ったから今の鈴木があるといっても過言ではない。


「鈴木選手、生き残るんじゃない。生き抜くんだよ!」


この一言で、鈴木は目からウロコを感じた。

2004年8月の『G1クライマックス』開幕戦(相模原大会)で両雄は初の一騎打ち。

まさに千両役者同士という感じの、果たし合いを披露している。





新日本の第3世代である4選手も年代・世代を超えて、

天龍源一郎の洗礼を「これでもか!」と食らった。

4選手とも、天龍に尊敬の念を抱いている。


とくに、永田は健介、鈴木同様に、天龍を心の師と仰いでいる。

2004年8月、『G1クライマックス』大阪大会の公式戦でシングル初対決。

凄まじい闘いの末、バックドロップホールドで天龍を破っている。


「永田、この野郎! 勝ち逃げしやがって!!」


生涯戦績=1戦1敗に天龍はこだわる。

今でも永田の顔を見るたびにそう毒づく。

なんと大人げない(笑)…いや、猪木同様に勝負師なのだ。






この2点の写真はなにかと言うと、

昨年10月初旬に福井県の芦原温泉に家族旅行で行ったときのもの。


「地元・福井県民へのメッセージは?」と質問を振られ

天龍はこう答えている。


「このトシになると、恐竜大使もやらせてもらっていますし、

食べものでいえば、ボッカケ大使もやらせてもらっていますし、

望郷の念がすごく湧いてきているのは事実です」


これは、その証拠写真となる。

たまたま福井県の芦原温泉に行っただけなのだが、

観光に出向いて、ハッと気がついたのだ。


勝山市は、天龍の生まれ故郷ではないか!

このボッカケのポスターは、勝山駅の掲示板に貼ってあったもので、

その他、恐竜博物館にも貼ってあったし、チラシも大量に置いてあったのだ。


ところで、この福井県恐竜博物館はかなり見モノというか、

一度は行ってみる価値あり!


じつは、勝山は恐竜化石の一大産地であり、

この博物館は日本有数の規模で、

展示会場も充実している。


まさに、リアルなジュラシックパークという感覚。

そう、生きる伝説である天龍が恐竜大使とは、

ピッタリではないか!


引退後、恐竜と並んで、

天龍さんの等身大ロウ人形も飾られたりして…(笑)。


いやいや、天龍源一郎が1日館長とか、

修学旅行でやってきた子どもたちのナビゲ―タ―を務めたりしたら、

もっと観光客が増えること請け合いだろう。