前回更新した少々乱暴な(?)ブログの内容に関して、

真っ直ぐで、真摯な、また一歩踏み込んだコメントの

数々をいただき感謝しています。


たとえば、日本のサッカー界がプロ化されてからの歴史は

比較的浅いものです。

また、もともと世界のサッカー界には”サポーター”という

特殊なファンの集合体が存在していました。


だから、ファンの顔色をうかがうといったら大袈裟になるけど、

つねにサポーターたるファンと一体になって闘うというのが、

当たり前の世界になっているし、それが伝染していくから、

『ワールドカップ』はオリンピック並みに

世界中で盛り上がるのだと思います。


ファン(サポーター)あっての、サッカー界であることは

間違いないことです。


近年、プロ野球にも似た空気を感じます。

かつて、プロ野球は国技にも等しい人気を博していました。

ペナントレース中でもジャイアンツ(読売巨人軍)の試合は

はぼ毎試合どこかの地上波放送で流れていたし、

それが当たり前の光景でした。


お茶の間の夕飯時からゴールデンタイムにかけて

チャンネルを回せば、必ず野球が観られるのは当たり前。

そこに野球界があぐらをかいてきたのかどうか、

あるいはサッカーを始め、他のプロスポーツ、

アマチュア・スポーツまでプロとの線引きがないほどに

エンターテインメント化してきたせいなのか、

野球放送も視聴率のとれない時代に入ってひさしいわけです。


そういうものを、なにか端的に表す行為のようで、

私が少しばかり嫌悪感を持って聞いていたのが、

勝利チームの中から活躍した選手が選ばれて

インタビューに応えるヒーローインタビュー。


「放送席!放送席!」から始まる、

恒例のインタビューです。

その答えがなんとなく、嫌だったわけです。


「ファンのみなさんの応援のおかげです」


「ファンのみなさんの声援が後押しとなって打たせてくれました!」


「ファンのみなさんの声が自分の力になりました」


おいおい、ホントかよ?

バッターなら技術と気迫と読みがあって、

打ったんじゃないの?


「ピッチャー有利のカウントになると必ず(ボールを)落としてくると思ったので、

初級からストレート1本に狙いを絞っていたらドンピシャできました」

とか、本当のことを言えばいいのになあ、とか。


なぜ、お立ち台でファンに媚びを売るのかなあ、とか。

だけど、これもよくよく考えてみたら、このヒーローインタビューという場は

数少ないファンサービスの場であり、

その言葉はファンサービスであると同時に本音でもあるのだろうなあ…

最近そう思うようになったわけです。


決して、あぐらをかいていられなくなった野球界。

テレビ放映料が入らなくなれば、

ゲート(入場者数)で勝負しなければいけないわけです。


だからこそ、

「球場に足を運んでくれてありがとうございます。

みなさん、1人1人のおかげでこうやって私たちは

高い年俸をいただき檜舞台で野球をやらせてもらっています」

となるのもまた本音なのでしょう。


とくに、パ・リーグで近鉄とオリックスが合併し、

新球団・東北楽天イーグルスが誕生するまでの

ドタバタ騒動のときには、プロ野球全体の危機を感じたものです。

その当時から、プロ野球関係者、選手の意識も変わってきたようにも感じるわけです。


転じて、プロレス界ですが、

プロレス界は野球、サッカー以上にゲートが勝負であり、

ファンに支えられています。

PPVネット放送の配信などさまざまな分野への進出も目立ってきていますが、

やはり、イチバンはゲート勝負に変わりないのです。


かといって、プロレスラーは媚びを売らない(売らなくていい?)

というひとつの強みをもっているのがありがたい話。

そこで過剰なまでのファンサービスに徹する棚橋弘至の存在は

別格であると同時に、彼自身のオリジナル・パフォーマンスだから、

確立されたものとして完全に認知されているわけです。


もし、中邑真輔や柴田勝頼がリングサイドをハイタッチして一周したら、

それはじつに気持ちの悪い光景となってしまうでしょう(笑)。

真壁刀義が「ファンのみなさん、愛してま~す」と言ったら、

試合後に真壁の熱を測りたくなるでしょう(笑)。


だけど、少なくとも…いや野球界、サッカー界に劣ることがないほどに、

いやいや、冬の時代が長かったわけだから、それらのジャンル以上に、

プロレスラーやプロレス関係者のファンへの感謝の思いは強いと思うのです。


私個人にしても、まさに冬の時代のど真ん中、

2005年11月に、心ならずも『週刊ゴング』と決別したからこそ、

いままでゴングを支えてきてくれた読者のみなさん、

ワタクシ金沢の原稿を読んでくれたファンのみなさん、

本を買ってくれた人たち、テレビ媒体で観てくれた人たち、

すべての人たちがいてこそ、フリ―でも食いっぱぐれることなく

わりと自由に、個性的に、かつ適度に嫌われつつ(笑)、

こうしてやってこれたわけです。


そこには、間違いなく”感謝”があります。

だけど、本来のへそ曲がりというか、

なにも波風が立たない状況というのが我慢ならない部分も出てきます。


「おい、本当にゴングが読みたいのか?

舐めるんじゃねーぞ!」


なにか波風を立ててみたくなるんです、

これはどうしようもない性格的なものですね。


これがたとえになるのかどうか…

”ス―パ―ヒ―ロー”の初代タイガーマスクよりも、

豪快なダイビング・ヘッドバットで勝利を収めながら、

起き上がってきたら自分の額のほうが切れている、

あるいは鼻血を噴きだしているダイナマイト・キッド

のほうが昔から自分は好きなのです。


そうしたら今回、みんなからいいパンチをいっぱいもらいましたね。

ジャブ、ストレート、ボディブロー、フックと、

どれもこれもしっかりと効いたし、とどいてきました。


「逆に、ファンを舐めないでほしい!」


こりゃあ、クロスカウンターかな?

いいなあ、そこまで言ってくれるなんて…

心の底からの思いが響いてきました。


完敗かな!?


ゴングを知る世代にも、知らない世代にも、

とどけなければいけないもの――。


新日本プロレスの大躍進による新日本ブームの最中だからこそ、

ゴング復刊を成し得た今の時代にあって、

新日本だけに頼る、新日本頼みの機関誌とならない専門誌とは?


この、本来であれば矛盾してくるテーマにも

取り組んでいかなくてはいけません。


来年1月まで、もう少しだけ時間があります。

「あれが読みたい」、「これが読みたい」、

「だれとだれの対談をやってほしい」…

どうぞ、また忌憚のない意見をお寄せくださいね。


グラシアス!!