DVDマガジン『燃えろ!新日本プロレス』も

シリーズ終幕(vol.67)までカウントダウンに入った。


明日(27日)発売の第65号は2001年~2012年までの名勝負を網羅。

ついに新世代の旗頭、オカダ・カズチカも登場する。


『新たなる覚醒!

次世代プロレスを見よ!!』


今号に収録されている全試合ノ―カット収録DVD

(特増139分)のメニュー、全6戦は次の通り。


①猪木イズムvs新日イズム、覚悟の伝承マッチ!!

藤田和之vs永田裕志  

200166日、日本武道館〕


②ノアの刺客破り“猛牛”悲願のG1初制覇!!

天山広吉vs秋山準  

2003817日、両国国技館〕 


③禁断の外敵対決で“帝王”再起不能の危機!!

佐々木健介vs高山善廣  

200488日、大阪府立体育会館〕 


④“選ばれし神の子”、試練の闘魂祭り!!

中西学&中邑真輔vs藤田和之&ケンドー・カシン  

20041113日、大阪ドーム〕 


⑤“方舟の象徴”最後の新日マットで真輔と初対峙!!

中邑真輔&後藤洋央紀vs三沢光晴&杉浦貴  

200914日、東京ドーム〕


⑥“レインメーカー”の衝撃、新黄金時代到来!!

棚橋弘至vsオカダ・カズチカ   

2012212日、大阪府立体育会館〕



                  


①アントニオ猪木が推進する格闘技路線と

新日本vs全日本の交流・対抗戦が並行して行なわれていた

新日本プロレス混乱の狭間で生まれた名勝負。


2000年からMMAファイターとしてPRIDEに参戦した藤田は、

日本人ヘビー級最強ファイターの称号を得て、

新日本マットに逆上陸。

4月、大阪ドームでスコット・ノートンに完勝し、

IWGPヘビー級王座を奪取、頂点に上り詰めた。


その玉座へ挑んだのが、かつて藤田のコーチ役でもあり、

カシンとともに藤田の最大の理解者である永田だった。


後輩に先を越された永田のもとに寄り添い、

ともに入場の花道を歩いてきたのは秋山準(ノア)。

同年3月、橋本真也率いるZEROーONEの旗揚げ戦、

メインイベント(橋本&永田vs三沢&秋山)で肌を交えて以来、

第3世代の2人の間には確固たる絆が芽生えていたのだ。


ともにオープンフィンガー・グローブを装着した

異形の闘い模様は、時代の要求でもあった。

友情をかなぐり捨てての潰し合い。

藤田の膝蹴り連打に永田の記憶は吹っ飛んだ。

あまりにリアルな格闘プロレス。


この2日後、同じ日本武道館(全日本主催)では、

これぞ純プロレスの集大成ともいうべき

武藤敬司vs天龍源一郎の一騎打ちがメインで行なわれている。


思い出すのは、同年の『プロレス大賞』選考会のベストバウト部門。

藤田vs永田戦と武藤vs天龍戦は、一歩も引かず決戦投票でもまったくの同票。

再び選考委員によるディベートが行なわれた末に、

僅差で藤田vs永田戦が「2001ベストバウト賞」に決定した。

格闘プロレスか純プロレスか――この時代最大のテーマを

マスコミ側も投げかけられた選考会であった。


②2001年10月、東京ドーム大会に秋山準が参戦し、

新日本とノアの扉が開いた。

ノアの革命児となった秋山は03年、

ついに『G1クライマックス』にエントリー。


一方、新日本の主役として期待を一身に集めていたのが

スランプ状態から脱出すべく、原点でもあるカナダ・カルガリー地区へ飛び、

師匠・大剛鉄之助さんのもとで肉体改造に取り組んできた天山。


同地での猛特訓から、天山はアナコンダ・バイス、大剛式バックドロップの

二大新兵器を引っ提げて凱旋した。

ちなみに、このとき天山の実験台としてパートナーを務めたのが、

まだ少年の面影の残るデイビーボーイ・スミスJrだった。


このG1に向けて、結果が出なければ”引退”を賭けて臨んだ天山。

1回戦で同ブロックの秋山に敗れ去ったものの、

準決勝で高山善廣を破り、決勝へ。

秋山は準決勝でライバル・永田を破り決勝進出。


奇しくも、開幕初戦のカードが優勝決定戦となった。

新日本の威信を背負った天山と、

開幕戦で肋骨にヒビが入った状態ながら

それを隠して闘い続けた秋山。


この優勝戦を見届けるために、

三沢光晴、小橋建太らも両国国技館へ集結した。


決戦前、「天山は太陽、俺は月」という名言を吐いた秋山。

その通り、根性とパワーで猛進する天山と、

緻密に冷酷に相手を追いこんでいく秋山。


最後に勝負を制したのは天山、渾身のアナコンダ・バイス。

天然ベビーフェイスでもある天山の初優勝で両国は大爆発。

国技館が万歳三唱に包まれる最高のハッピーエンドとなった。


③2004年の『G1クライマックス』には、佐々木健介、高山善廣、

鈴木みのる、そして天龍源一郎の外敵四天王が一堂にエントリー。

なかでも、8・8大阪大会はG1史上に残る凄まじい

ワンナイトとして記憶に刻まれている。


まず、セミ前に永田と天龍が初シングル。

開幕戦で鈴木を破った天龍の勢いを真っ向から受け止めた永田が、

バックドロップ・ホールドで心の師匠・天龍超えを達成。


セミファイナルでは、健介vs高山の外敵対決が実現。

有無を言わせぬ打撃戦、肉体勝負を高山が制した。


この2試合を受けてメインを務めたのが新世代対決、

中邑真輔vs柴田勝頼だった。

ノンストップの攻防は、我々の想像を超える好勝負となり、

柴田のPKにより決着。

いま、再び同じリングに立っている両雄の戦績は、

1勝1敗1無効試合。


この試合の続きがいつか実現するよう

期待は膨らむばかりである。


さて、問題の高山vs健介。

おそらく小橋vs健介戦(東京ドーム)が実現する以前には、

これ以上の真っ向肉体勝負はあり得ないと思われたほどの

壮絶な闘いとなった。


そこに終止符を打ったのは、帝王のエベレスト・ジャーマン。

完全燃焼の両雄は、お互いを認め手を握り合った。


ところが、試合後にアクシデント発生。

控室に戻った高山がベンチに倒れ込んでしまった。

すぐに救急車が手配され病院へ搬送された高山。

診断の結果は、脳梗塞。

長年に亘る激闘が帝王の身体を蝕んでいたわけである。


大阪府立体育会館の近くには

著名な脳外科医のいる病院があった。

控室で倒れたこと、名医がすぐそばにいたこと、

奇跡的な条件が揃っていたことにより、

今も高山はリングに立ち続けることができるのだ。


④新日本暗黒期の象徴ともいわれたのが、

この11・13大阪ドームで開催された『闘魂祭り』のリング。

当初、メインカードに決まっていたのはファン投票1位に選出された

棚橋弘至vs中邑真輔の初一騎打ちだった。


だが、猪木オーナーの鶴の一声により、

このカードは消滅。

棚橋は天山と組んでハッスル軍(小川直也&川田利明)と対戦。

メインには、中西学&中邑vs藤田&ケンド―・カシンがマッチメイクされた。

4選手が4選手ともレスリング出身で総合格闘技経験者。

いかにも猪木好みのカード編成である。


この強権発動に対し、当然のように中邑が

腹にイチモツ持っていたことは想像に難くない。

試合は藤田の非情な顔面蹴りに中邑が沈んだ。


その直後、右拳にタオルを巻いた猪木がリングインすると、

「遠慮してんじゃねー!!」と叫んで中邑に鉄拳をふるう。

この謎の鉄拳制裁によって、

中邑ー猪木の間に溝が出来上がったのも事実である。


それから2ヵ月、翌年の1・4東京ドームで

棚橋vs中邑の一騎打ちが実現する。

史上最悪の東京ドーム興行といわれた

2005年の1・4で棚橋vs中邑戦が唯一、

希望の灯となったこともまた事実なのである。


⑤今でも記憶に新しい三沢光晴、最後の新日本マット登場マッチ。

中邑&後藤洋央紀vs三沢&杉浦貴という新日本vsノアの対抗戦は

スバリとはまる名勝負となった。


コンディションは決してよくなかったろうが、

三沢は”本家”エルボーで中邑、後藤をなぎ倒し、

時代を築いたカリスマの底力を見せつける。


また、用心棒的にパートナーを務めた杉浦は、

本来の強さを100%発揮して、ドームをどよめかせる。

この年、GHC王者となる杉浦にとっては、

文句なく出世試合に位置付けできるだろう。


ノアの強さをすべて受け止めたうえで、

しっかりと勝利をモノにした中邑&後藤もさすがというしかない。

新日本のセルリアンブルーのマットで披露された

最後の三沢の雄姿…まさに永久保存版である。


⑥現代プロレスの象徴、新日本ブームの旗頭ともいうべき

”レインメーカー”オカダ・カズチカがついに”燃えプロ”登場。

記念すべき試合は、もちろんIWGP初戴冠を達成した

2年前の棚橋戦(大阪府立体育会館)である。


24歳、キャリア7年、しかも凱旋試合の1・4ドームで

棚橋への挑戦をぶち上げ、大ブーイングを浴びた男が、

わずか1カ月で時代を変えてしまった。


レェェェ~ヴェルの違うレインメーカー誕生の瞬間。

のちのちまで、新日本の歴史に刻まれ

語り継がれることになるであろう、

これがプロローグなのである。


燃えろ!新日本プロレスvol.65

新たなる覚醒!次世代プロレスを見よ!!

発行元=集英社

定価=1680円

明日、27日(木曜日)発売!


プロレスの素晴らしさ、怖さ、壮絶さ…

この第65号に集約の自信作!

お早めにお求めください!!