前回更新分の続きというか、

本来こちらが本題でなくてはいけないのだが、

3・21博多スターレーンの『とんこつ大花火』は

素晴らしい興行だったと思う。


メインカードは、

「ノーロープ有刺鉄線電流爆破&爆破電気イスデスマッチ」

という例によって異常に長い謳い文句のつく電流爆破マッチ。


2年前の8月、『横浜大花火』(大仁田厚vs曙)からスタートした

大花火シリーズ(?)も、その後、大阪、横浜、新潟、水戸と続き、

今回が6戦目となる。


大仁田のパートナーは、今回ついに禁断のリングへ

初めて足を踏み入れる大谷晋二郎。

対するは、因縁の大仁田と3戦連続の激突となる帝王・高山と

藤原喜明のUの遺伝子コンビ。


じつは藤原組長、12年前に電流爆破のリングに入った経験があり、

脇固めでミスター・ポーゴの腕を破壊している。

とはいえ、組長もキャリア42年の64歳。

果たして、どこまでこの異形の試合形式をこなせるのか、

そこに少しばかり不安を感じずにはいられなかった。


戦前、大仁田はこのカードの意義をこう訴えてきた。


「俺は二十何年前、UWFの会場に行って門前払いを食った。

チケットも買えないという理由でな。

その因縁のUの残り火を完全に消し去ってやる」


大仁田のいう因縁というのは、

1988年12月、大阪大会での出来事。

同年5月に旗揚げされた新生UWFは、

一大ムーブメントを巻き起こしていた。


そこへ挑戦状を携えてやって来たのが、

当時、新間寿氏が推し進めていた

格闘技連合の一員だった大仁田。


あとから考えれば、いかにも大仁田らしい行動なのだが、

スポーツライクを掲げるUWFにとっては迷惑行為でしかない。

会場入口で応対した神真慈社長は、

「チケット持っていますか?」とまともな理屈で、

大仁田の入場を拒絶した。


屈辱をなめた大仁田は翌89年10月、

自力でFMWを旗揚げした。


そのコンセプトが、

「格闘技あり、デスマッチあり、女子プロあり、ミゼットあり…

何でもアリのおもちゃ箱を引っ繰り返したようなプロレス」。


つまり、UWFの対極に位置するものを大仁田は打ち出した。

ただし、実際のところ、大仁田の中では大いに計算が働いていたと思う。

UWFは既存のメジャー2団体(新日本、全日本)から

ショーアップされたものを削ぎ落とし、

純粋な格闘技、スポーツライクなプロレスとして、

技術と勝負論にこだわることによりブームを作りだした。


そこへ割って入るために、大仁田が考えたのは、

UWFの対極をいくコテコテのプロレス。

いや、技術面はさておき、異種格闘技戦まで行なうのだから、

プロレスという名のもとに、考えられるすべての試合を網羅した

団体という方向性を目指し、実際に実践していったのだ。


あの門前払いが大仁田の反骨心に火を点けたのは間違いない。

ただし、25年も前の出来事を未だに大仁田が引きずっているとも思えない。

それでも、そこに藤原組長を引っ張り出す上において、

当時の事件を引き合いに出すのは格好のモチベーションとなる。

このあたりのパブリシティの上手さもまた大仁田流といえるだろう。


ただし、実際に異形のリングに4選手が揃い立つと、

もう余計な講釈は必要なし、と感じてしまった。




邪道が考案した異形のリング。

14分21秒の闘い模様。

確かに邪道の空気が漂っていたし、

卓越した技術を競い合う現代プロレスとはかけ離れた世界。


それでも、14分21秒の闘いは壮絶だったし、白熱したし、

試合後には不思議なほど爽やか風が吹き抜けていった。

ワタシ的にはいちばん使いたくない安っぽい表現となるが、

最後に胸に残った感情はやはり”感動”という言葉しかない。


藤原の脇固めから脱出するために、

自ら有刺鉄線を握り、自爆によりエスケープした大仁田。


意地の顔面ウォッシュを高山に見舞い、

その勢いのまま自ら被弾しながら、

有刺鉄線を突き破り場外まで飛んでいった大谷。


大仁田&大谷のダブルタックルを食って、

豪快に被弾し、崩れ落ちた高山。


とにかく、高山の被弾は絵になる。

あの巨体が白煙のなか崩れ去るさまは、

まさに怪獣映画を観ているかのような迫力なのだ。


そして、最後にもっていったのは藤原だった。

今回用意された最強アイテムの爆破電気イスで

胸元を一撃され被弾しながら、

その後、鬼の表情で立ち上がり、

大仁田、大谷へ1本足頭突きを連打する。

その瞬間が、興奮のピークだった。


結局、4選手がもつれあい、

同時に4人が被弾して藤原は力尽き、

大仁田にフォールを許した。


だが、最後に持っていったのは藤原組長。

生放送中、番組宛てに寄せられたツイッターも

組長讃歌に溢れかえっており、さながら”藤原祭り”の様相だった。


「昭和の怪物を見た!」


「組長、おそるべし」


「こんな64歳、あり得ねえ」


じつは、私たちテレビクルーの控室は、

藤原、高山のUコンビと一緒だった。

放送が終了し控室に戻ると、

意外に元気な組長が歩き回っていた。


「いやあ、マイッタなあ。

耳栓をしていったんだけど、

爆破で耳栓が吹っ飛んでいったよ。

あんなもん、意味なかった。

イスでやられた胸もところどころ傷がチクチクして

痛くてたまんねぇーよな」


そう言って苦笑する藤原にツイッターの内容を教えると、

途端に会心の笑顔に変わった。


「そうかい?

じゃあ、俺もあと20年やれるかな」


「いやいや、30年いけますよ!」


「そうか…30年やって70周年興行でもやるか」


充実した表情の組長に、

高山も呼応する。


「今日はぜんぶ藤原さんに持っていかれましたね。

あと30年って…自分も80(歳)近くになってますよ」


一方、別の控室では、すでに試合終了直後から涙ぐんでいた大谷が

また涙ながらにコメントを発していた。


「なんでだろう、涙が出てくる。

なにか人間として男として、

成長できたような気がする」


これもまた大谷の素直な気持ちなのだろう。

やるやらないは大谷の意思で決められたこと。

あんなリング、普通なら恐ろしくて入ってはいけない。


「やったものにしか、あの恐怖はわからない」


田中将斗もそう言ったし、

最近ではNOSAWA論外もそう言っている。


第3試合からメインまで、

ゲスト解説に就いた関本大介も、

「いやあ、自分には無理ですよ。あそこには入れない。

どんなデスマッチよりもイチバン恐怖感があります」

と言っていた。


現在、右膝負傷からのリハビリで欠場中の関本。

その解説ぶりがまた興味深かった。

試合が進むにつれ、だんだんと饒舌になり、

大きな瞳が輝きはじめ満面の笑みを見せるようになった。


「こんな場所からプロレスを観るのは初めてなんで不思議ですね。

なにかファンに戻った気分でプロレスをもの凄く楽しめる。

プロレスって楽しい、おもしろい、凄いなって改めて思いますよ」


爆破のたびに、「ウァー!」と驚きの悲鳴をあげて、

高山が大仁田を捕えて放送席にやってくると、

我々はモニターTVを必死に押さえているのに、

関本はファンのように逃げていた(笑)。


ただ、この気持ちも分かる。

過去、私は実況席で数多くの選手たちと並び、

一緒に解説をしたことがある。


藤波、天龍、武藤、蝶野、高山、小橋、棚橋、鈴木みのる、渕正信、

ライガー、永田、大谷、真壁、タイガーマスク…と数えたらキリがないほど。

そこで大多数の選手が同じことを言っていた。


「いつもと違って、プロレスを楽しく観られる。

ファン気分に戻ることができる」


通常、レスラーは他の試合を控室のモニターで観たり、

会場後方から、またリングサイドでセコンドとして観たりする。

その場所とはまったく違う、放送席という最前列。

やはり、ここは特等席なのであって、

そこに座れる私たちは幸せ者なのかもしれない。




さて、視聴者からのツイ―トでもっとも多かったのは、

藤原組長の大健闘を称えるもの。


次いで多かったのが、ゲスト解説者・関本大介の印象。


「あんな笑顔の関本選手は初めて見た」


「場外乱闘でファンのように逃げる関本さんがよかった」


「関本、GKの挑発に乗るな!

君は電流爆破に入らなくていいんだ」


こんなツイ―トが続々と届いた。

番組終了後、大満足といった感じの関本としばし歓談。


「今日は、いい試合が多くて面白かったですね。

本当にイチファンに戻って見ることができました。

結局その答えは、プロレスって面白い、最高だなって。

そこでメインを観て思ったのは、やっぱり役者が違うなあと。

あの4選手は、みんな自分の世界を持っている。

その空気感だけでお客を納得させる。

特に、藤原さん。

あれは真似できませんよ。

技のキレとかスピードとか、そりゃ今のプロレスの方が凄いかもしれない。

藤原さんは特に何をやらなくても、その身にまとった存在感がある。

もの凄いオ―ラを感じるんですよ。

これといった技を出していなくても、

最後のラッシュでぜんぶ持っていってしまう。

役者が違うとは、こういうことを言うんですよ。

とうてい自分にはまだ真似できません。

今日はいい勉強をさせてもらいました」


いやいや、これだけ的確な分析ができるからこそ、

関本大介は凄いのだ。


4選手の全員が輝いた日。

そこから未来を見据えた関本は、

どう伸し上がってくるのだろうか?