紹介が遅れて申し訳ない。

現在発売中のDVDマガジン「燃えろ!新日本プロレス」vol.62

は歴史に残る、いや歴史に残したい1冊と言っていいだろう。


『夜明けはどっちだ!

平成維震軍の胎動!!』のタイトル通り、

1992年、突如勃発した新日本vs誠心会館の血の抗争から、

反選手会同盟電撃結成、天龍率いるWARとのエンドレス闘争、

新日本のメインをジャックした越中vs天龍の一騎打ち…

さらに時は流れ、平成維震軍の独立旗上げ興行まで、

あの熱い時代を現存する映像の中から厳選しまとめている。


長州力の噛ませ犬発言→維新軍結成が、

若者たちに勇気と革命の志を与えたものだとするなら、

越中詩郎、小林邦昭らが立ち上がった闘いは、

一般社会における窓際族の反乱であり、

より泥臭く現実的な匂いがプンプンと漂っていた。


格好よさとは無縁の男たちが、

本来持ち得る地力と情念でプロレス界の流れを

一気に変えてみせたのだから、快哉を叫ばずにはいられないだろう。


奇跡ともいえる当時の闘い模様を、

いま一度その目に焼き付けていただきたい。


全試合ノーカット(121分)DVDのラインナップは

次の通り。


①殺気と怒号!プロレスvs空手、血の全面戦争!!

小原道由vs斎藤彰俊 

199228日、札幌中島体育センター〕


②誠心会館にリベンジ、新日本の牙城守る!!

越中詩郎&小林邦昭vs青柳政司&斎藤彰俊 

199239日、京都府立体育館〕


③入魂のスープレックスで抗争に完全決着!!

越中詩郎vs青柳政司 

199251日、千葉ポートアリーナ〕


④新日本本隊に決別、「反選手会同盟」への道!!

藤波辰爾&長州力&木戸修vs木村健悟&越中詩郎&青柳政司

1992815日、神戸ワールド記念ホール〕


⑤禁断!敵地WAR興行に殴り込み大乱戦!!

越中詩郎&木村健悟vs天龍源一郎&北原光騎 

19921023日、後楽園ホール〕


⑥“ド演歌ファイター”、一世一代の大勝負!!

越中詩郎vs天龍源一郎 

19921214日、大阪府立体育会館〕


⑦猪木の魔性も後押し!?「平成維震軍」旗揚げ戦!!

タイガー・ジェット・シンvs越中詩郎 

19941113日、東京ベイNKホール〕





①②③新日本に喧嘩を売った誠心会館サイドの黒幕として

公に姿を見せたのが、それまでインディーのリングに上がっていた

斎藤彰俊。空手出身のインディーのレスラーが新日本に喧嘩を売る

というのは過去を遡っても考えられない図式だったが、

この彰俊はインディーに埋もれている存在ではなかった。


水泳ではジュニア五輪強化選手に選抜された実績を持つなど、

並はずれた運動神経の持ち主で、メジャーレスラーと対峙しても

決してビビることのない図太い神経も持ち合わせていた。


1・30大田区体育館で小林を血の海に沈めた彰俊は、

札幌大会で第2戦に登場。

相手は若手ながら元国士舘大学柔道部レギュラー選手で、

アニマル浜口ジム出身第1号レスラーの小原道由。

もちろん、「喧嘩上等!」の小原の強さはお墨付き。


これもまた凄まじい喧嘩マッチとなり、

最終的に小原が血だるまでKO負け。

さらに、その4日後の大阪大会で、越中まで

まさかのKO負けを喫する大波乱。

試合後、両陣営の板挟みに苦しんでいた青柳館長は、

ついに新日本と袂を分けて弟子たちの合体を表明した。


まあ、次から次へと事件が起こる。

1日たりとも新日本の興行から目の離せない時代だった。


しかし、3月から新日本勢の大逆襲が始まる。

3・9京都のタッグ頂上対決では、越中&小林は

左目を負傷した彰俊を戦闘不能へと追い込み、

代役としてリングに上がった来原圭吾も返り討ち。


最終決戦として用意された2番勝負…

4・30両国では小林が彰俊を破り誠心会館の看板を奪取。

5・11千葉大会では越中が青柳を破り、これにて完全決着のはずだった。

ところが、本当のドラマはここからスタートする…。


④6月の誠心会館自主興行に越中&小林は、

会社の反対を押し切って参戦。

闘いの中から彼らと不思議な絆が生まれた結果だった。

しかし、この一件が選手会で問題視され、

選手会長と副選手会長だった2人は選手会から追放処分に。


同時期に、小林が内臓疾患により長期欠場。

孤立無援となった越中を支えたのが中立の立場をとる

木村健悟だった。

越中、木村に青柳&彰俊が合体し、

ついに反選手会同盟が誕生。


8・11両国から始動した新ユニットは、

8・15神戸大会で長州&藤波&木戸の重鎮トリオをも撃破。

その勢いをかって、「標的は天龍だ!WARに乗り込んでやる」

と爆弾声明。ますます状況は混とんとしてくる。


⑤⑥越中の「打倒!天龍」宣言は、7月にWARを旗上げした天龍の

「長州力、アントニオ猪木と闘いたい」というコメントに噛みついたもの。

実際に、越中ら反選手会同盟は強行突破でWARに乗り込む。

抗争の第1弾、第2弾に完勝した反選手会は勢いの違いを見せつける。


この映像は第3弾として行なわれたWARの10・23後楽園ホール大会の模様。

『ワールドプロレスリング』が初めて他団体の会場で収録した画期的な大会だった。

ホールは戦場と化した。

リング上はもちろん、セコンド同士、ファン同士の闘いまで勃発。

怒号とブーイング、悲鳴が飛び交う中、

天龍組が魂の激勝。

それでも収まらない天龍は越中を引きずり起こし、

パワーボムを連発。


それを放送席で目の当たりにしたマサ斎藤が、

「天龍選手、イナフ!(=もう充分!、もうやめろ!)」と叫ぶと

リングに駆けあがり天龍にタックルをかます。


「次は新日本に乗り込んでやるからな!」

「おい天龍、新日本は半端じゃないぞ!」


この天龍とマサの舌戦をキッカケに、

新日本vsWARの本格闘争に火がついた。


天龍率いるWAR軍はついに新日本の11・23両国大会に登場。

反選手会を破ったあとに、1・4東京ドームでの長州vs天龍が電撃決定。

しかし、それを指をくわえて見ている越中ではなかった。

簡単に長州戦など許さない――その心意気のもと天龍との一騎打ちを直訴。


その結果、新日本恒例の年末最大のビッグマッチ、

大阪府立体育会館大会で、反体制(越中)vs外様(天龍)による

異例のメインイベントがマッチメイクされた。


入場してくる越中サイドを観ているだけで、

当時を知る者なら目頭が熱くなってくる。

天龍のパワーボムで脳震盪を起こした木村は療養中。

右膝靭帯損傷の青柳は松葉づえ姿、

同じく左膝靭帯を負傷している彰俊は足を引きずっており、

五体満足なのは新加入のグレート・カブキだけ。


ボロボロに傷ついた男たちの大将が、

難攻不落の天龍へ全身全霊をかけて勝負を挑む。

ド演歌ファイター・越中の魅力が凝縮されたような闘い。

すべてを受け止めて叩き返す全日本時代のよき先輩だった天龍。

新日本のメインで行なわれたことが奇跡とも思える名勝負である。

ここから第二次”越中ブーム”が到来したと言っても過言ではないだろう。


ちなみに、当時の私は「週刊ゴング」の新日本担当であり、

越中番でもあった。

天龍に敗れた越中のそばにずっとついていたが、

あのときの一言がのちに大きな意味を持ってくる。


「金沢クン、1年間一緒に走ってくれてありがとう。

俺たちもそろそろ反選手会を卒業しなきゃいけないな。

新しい名前、考えておいてくれる。

俺らは平成の維新軍になるから」


その言葉をうけて、のちのち私の中で

「平成維震軍」という名称が浮かび、

越中にプレゼントすることができた。

私個人にとっても、忘れられない1年であった。


⑦従来のメンバーに、後藤達俊、小原道由を加えた

平成維震軍は強大な勢力となり、

新日本の枠だけでは収まらない軍団と化していた。


実験的な自主興行を経て、ついに団体内独立の旗上げ戦が決定。

東京ベイNKホールで、越中vsシンをメインに船出する。

しかも円形リングにレフェリーはアントニオ猪木という

豪華なトッピング付き。


その後も、野上彰、さらに宿敵・天龍が合流するという

サプライズを起こしながら、99年まで活動した平成維震軍。

時代の仇花と思われていた男たちの反乱劇が、

7年以上も新日本マットの主役の一端を占めていたのだから、

いま考えると驚きでもある。


仇花どころか、大きな花を咲かせた下剋上軍団の生きざま、

とくとご覧いただきたい!


燃えろ!新日本プロレスvol.62

夜明けはどっちだ!平成維震軍の胎動!!

発行元=集英社

定価=1680円

私的完全保存版!

絶賛発売中!!