今週木曜日(1月30日)発売のDVDマガジン
「燃えろ!新日本プロレス」vol.61は新旧IWGP王者特集となる。
タイトルには、
『覇王の系譜!
我こそはIWGP王者なり!!』
と銘打たれ、1985年の猪木時代から
2006年の棚橋初戴冠まで約20年の系譜を追う格好で
時の強き王者、鮮烈に記憶に刻まれた
代表的なタイトルマッチ6戦を収録している。
全試合ノーカット収録(126分)のメニューは次の通り。
①大巨人を破り“呪われたIWGP”の汚名返上!!
アントニオ猪木vsアンドレ・ザ・ジャイアント
〔1985年6月11日、東京体育館〕
②現場監督、難攻不落の皇帝戦士に激勝!!
ビッグバン・ベイダーvs長州力
〔1990年8月19日、両国国技館〕
③時代は俺のものだ!“破壊王”、魂のリベンジ!!
藤波辰爾vs橋本真也
〔1994年5月1日、福岡ドーム〕
④新旧“ミスター・プロレス”決定戦!!
武藤敬司vs天龍源一郎
〔1999年5月3日、福岡国際センター〕
⑤“ミスターIWGP”誕生、前人未到V10へ!!
永田裕志vs高山善廣
〔2002年5月2日、東京ドーム〕
⑥“100年に1人の逸材”が新日本を救う!!
棚橋弘至vsジャイアント・バーナード
〔2006年7月17日、月寒グリーンドーム〕
①1983年にスタートしたIWGPリーグ戦は、
第1回のvsホーガンで猪木の舌出し失神事件に見舞われ、
第2回大会では謎の長州乱入による暴動騒ぎと、
呪われたIWGPとまで言われる始末。
それをなんとか払拭したのが、この第3回大会。
予選トーナメントで藤波を破ったアンドレが優勝戦へ進出。
前年度覇者の猪木がそれを受けて立つ格好となったが、
最後はアンドレがエプロンカウントアウトで敗退し、
猪木が2連覇を達成した。
結末こそ、スッキリいかなかったものの、
試合自体は白熱の闘いとなった。
この2日後、猪木はWWF王者であるホーガンを相手に
特例的にIWGPの防衛戦を行いリングアウト勝ち。
アンドレ、ホーガンの2大スーパースターを連破したことにより、
猪木時代健在を印象づけることにも成功した。
それから2年後、IWGPはタイトル化され、
猪木が初代王者に君臨している。
②猪木が第一線を退いてから激しいIWGP争いを展開したのが、
藤波、長州、ベイダ―の3強。当時は1年も続いたベイダ―政権。
特に、かつての兄貴分であるハンセンとの2連戦で自信をつけた
皇帝戦士は手のつけられない怪物と化していた。
同時期、藤波は腰の負傷から
再起不能説も流れるほどの長期欠場中。
この危機的状況で1年ぶりにベルト奪還に動いたのが、
現場責任者でもある長州だった。
ゴツゴツの闘いをリキ・ラりアットの連打で制したのは長州。
闘魂三銃士が主役としてトップへと躍り出る直前に、
長州が自らエースとして壁の高さを示したかのような試合である。
③橋本大地が「父の試合の中でもっともインパクトを受けた」と
言うのがこの福岡ドームでのリターンマッチ。
周知のとおり、4・4広島で藤波の妙技の前に
まさかの王座転落を喫した橋本は鬼と化した。
蹴りまくる橋本に、受けまくる藤波。
1ヵ月前のVTRを見ているかのような内容。
だが、このわずか1ヵ月の抗争が橋本を
本物の破壊王に変えたような気がする。
ノックアウトに近い状態で藤波に完勝し、
王座奪回に成功。
ここから橋本時代…当時の最多防衛記録Ⅴ9がスタートする。
橋本の防衛戦がどれも中身の濃い素晴らしい闘いとなったのは、
この藤波との2連戦から学んだものが大きかったからではないだろうか?
④96年10月、グレート・ムタとしてWARのリングで
天龍戦を経験している武藤が、ついにIWGPをかけて天龍と一騎打ち。
戦前、武藤は自ら「ミスター・プロレス対決」と称していた。
当時の天龍は49歳。
その天龍が武藤に雪崩式フランケンシュタイナーを仕掛ける。
まさに、これぞプロレスという内容で、
この一戦は99年度プロレス大賞のベストバウトを獲得。
ただし、もっとも印象に残っているのは試合後の武藤の一言。
「やっぱりあの人はスゴイよ!
試合は俺が勝ったけど、ミスター・プロレスの称号は譲るよ」
この7カ月後、天龍はリベンジに成功し、
史上初の三冠ヘビー、IWGPヘビー制覇を達成している。
⑤武藤、小島、カシン、フロントの主力スタッフが全日本へ移籍し、
時代のなかで「暗黒期」と位置づけされる2002年のスタート。
ここで新日本をリードしたのは永田裕志だった。
同年4月、東京武道館で安田忠夫を破り、3度目の正直となる王座初戴冠。
その晴れの舞台へ突如現れたのが高山善廣だった。
前年、所属するノアからフリーとなりPRIDEへ参戦。
当時、IWGP王者だった藤田とプロレスラー同士による
壮絶な打撃戦を総合マットで展開し、時の人となっていた高山である。
新王者・永田に膝蹴り、エベレスト・ジャーマンを決めた高山は
ついに新日本へ宣戦布告。
永田の初防衛戦と、帝王への道を歩み始めた高山の
新日本カムバック戦の舞台が東京ドーム、
しかも最高峰IWGPを賭けるという最高のシチュエーションで実現した。
高山も業界の括りでいうなら永田と同期の第三世代。
この一戦はポスト三銃士、格闘プロレスの始まりを示唆するような
凄まじい闘いとなり、同年のプロレス大賞ベストバウトを獲得。
この防衛戦から永田の王者ロードが始まり、
ついに橋本を超えるⅤ10を達成している。
のちの「ミスターIWGP」と「プロレス界の帝王」の
プロローグともなった壮絶なメモリアルマッチである。
⑥もう解説は必要ないかもしれない。
当時のIWGP王者はブロック・レスナー。
新日本のオーナーが猪木からユークスへと変わり、
選手の離脱、試合のドタキャンなど負の連鎖に見舞われた
新日本最大のピンチといっていい時期である。
大会2日前に、レスナーの来日不能が明らかとなり、
急遽、橋本メモリアルである2代目IWGPベルトを
賭けて開催された新王者決定トーナメント。
決勝に進出したのは、もともと挑戦が決まっていた棚橋と、
外国人№1であったバーナード。
プレッシャーを一身に背負いながらバーナードを破った棚橋は
ファンの寄せ書きが描かれた新日本のフラッグを背に、
涙のベルト初戴冠。
「今日きてくれたファンの皆さん、愛してます。
そして俺はやっぱり新日本プロレスを愛してます!」
闘魂に背を向けた男、
100年に1人の逸材、
棚橋弘至が走り始めた瞬間を見てほしい。
さて、冊子のほうも充実メニュー。
「俺の趣味!」に登場するのは越中詩郎。
もうおわかりでしょう(笑)…
そう、越中がビートルズを語りまくる!
「詳説・新日イズム番外編」では流智美氏が
カナダのモントリオール地区をクローズアップし、
同地でトップスターとなった”ミツオ・ヨシダ”、
つまり若き日の長州力の活躍ぶりを紹介している。
「魂が震えた新日ベストバウト!」第41回には、
お馴染み山崎一夫さんが登場。
山ちゃんが選出するベスト3は興味津々だが、
やはりその根底にはUWF愛と新日イズムが溢れている。
また、61号から”事件簿”がリニューアルされて、
「新日本プロレス”極私的”事件簿」に変わり、
第1回目をワタクシ金沢が激筆!?
そのタイトルは「『週刊ゴング』取材拒否!?」。
この内容は過去にほとんど語った記憶、
書いた記憶もないのでちょっとした驚きがあるかと思う。
ぜひ、ご一読を!
燃えろ!新日本プロレスvol.61
覇王の系譜!我こそはIWGP王者なり!!
発行元=集英社
定価=1680円
超絶賛発売中なのダー!!