お正月進行のため、1月4日(土)に発売となる

DVDマガジン「燃えろ!新日本プロレス」vol.59は

ワタクシ金沢も注目・期待のラインナップとなっている。


タイトルには、

吠えよ若獅子!

ヤングライオン、青の時代!!

と銘打たれている。


1990年代、2000年代、2010年代と、

時代のトップに躍り出て、プロレス界・格闘技界を

牽引してきた(している)男たちの若獅子時代…

しかも、しっかりと目に焼き付いている闘いばかりを網羅した。


全試合ノーカット収録DVD(117分)の

胸がキュンとなるメニューは次の通り。


①“青春のエスペランサ”、海外遠征でTV初登場!!

アソール・フォーリーvs高田伸彦

1983813日、カナダ スタンピート・グランド・ビクトリア・パビリオン〕


②デビュー2年目の天才、美しき月面水爆!!
武藤敬司vsトニー・セントクレアー

1985918日、福岡スポーツセンター〕


③三銃士が雌雄決す『ヤングライオン杯』決勝!!

橋本真也vs蝶野正洋

1987320日、後楽園ホール〕


④若き格闘求道者、異彩放つ骨法マッチ!!

山田恵一vs船木優治

19871227日、両国国技館〕


⑤元小結の“借金王”、感動の門出!!

馳浩vs安田忠夫

1994224日、日本武道館〕


⑥『ヤングライオン杯』初制覇で“剛腕”男泣き!!

小島聡vs中西学

1994324日、京都府立体育館〕


⑦猪木イズム最後の継承者にデビュー戦で洗礼!!

永田裕志vs藤田和之

1996111日、広島グリーンアリーナ〕


⑧21世紀のプロレス界背負う“逸材”現る!!

真壁伸也vs棚橋弘至

1999111日、広島サンプラザ〕




①本来であれば、初代タイガーマスクがカナダ遠征に参加予定であったが、

その2日前にタイガーが電撃引退を表明。

そのため猪木の付人を務めていた21歳、キャリア3年目の高田が

大抜擢を受けて、アソール(アーサー)・フォーリーへ挑んだ。


奇しくもこの試合が高田にとっては、TVデビュー戦でもあった。

猪木信奉者であり、試合もルックスもいい高田に

猪木も新日本も”ポスト・タイガー”の期待を賭けていたものの、

翌84年6月、旧UWFへ移籍。


高田が求めていたものと、野毛道場で鍛えてくれた

藤原喜明、前田日明との絆は新日本が用意したレールよりも

魅力的で重みがあったということになるのだろう。

いずれにしろ、若武者・高田の存在が

初めて世に出た貴重な一戦である。


②84年、選手の大量離脱に伴い、橋本真也、蝶野正洋、武藤敬司と

のちの闘魂三銃士が続々とデビュー。

そのなかでも、ひときわ輝いていた逸材が武藤。

188㎝の長身ながら運動神経は並はずれており、

おまけに柔道のベースがあるから強いし身体もできている。


キャリア1年目にしてテレビマッチに登場し、

オリジナルのムーンサルトプレス、側転エルボーなど

本来、若手選手が使わない…いや使えないダイナミックな大技、

空中戦を披露していた。彼こそ、若手の試合の在り方を変えた先駆者。

しかも、プロレスの天才だった。


デビュー1年未満にして、実力者のトニー・セントクレアーと

シングルマッチを組まれ堂々渡り合っていたわけだから、

武藤のポテンシャルと会社サイド、猪木の期待感が分かろうというもの。


実際、この試合の2カ月後に武藤は米国フロリダ遠征へ。

並みいる先輩たちをゴボウ抜きにしての超飛び級に成功し、

現地でホワイト・ニンジャに変身(?)している。


③あまりにドラマチックで非情なる結末で知られる

第3回ヤングライオン杯の優勝決定戦。

若手の中で頭ひとつ抜けた強さを発揮する橋本は

ダントツ首位でリーグ戦を終了。

なんとか2位に食い込んだ蝶野と

優勝&海外遠征のキップを懸けて激突した。


試合は終始、橋本がリードしているように見えた。

だが、最後の最後で蝶野にクルリと丸めこまれ敗退。

当時の印象でいうなら、格闘技経験がない分、必死に努力していた蝶野と、

己の強さに慢心しそれがリングにも生活態度にも表れていた橋本…

その差が明暗を分けたと表現するしかなかった。


あまりに残酷な結末。

当日のメインでは武藤&越中詩郎が前田&高田を破り、

IWGPタッグ王者となっている。

武藤には遥か先を行かれ、蝶野にも追い越された傷心の橋本。

試合後、私の取材に対し、目に涙をためながら振り絞るように

反省のコメントを口にした橋本の姿が今も忘れられない……。


④1987年の12・27両国大会といえば、

TPG(たけしプロレス軍団)の刺客としてビッグバン・べイタ―が初登場。

それに伴い、猪木が強引なカード変更を行なったことが裏目に出て、

観客による暴動事件が勃発した日として記憶と記録に残っている。


だが、当日、胸のすくような新日本プロレスの若き胎動も見られた。

同年8月に海外修行から凱旋した山田恵一は船木優治(現・誠勝)

の影響を受けて、骨法武術館に通い始める。

両選手が地道に学んだ格闘技術を披露する場、

一騎打ちのときが期せずして訪れたのだ。


前年11月の”前田、長州顔面蹴撃事件”が尾を引く格好で、

新日本内部に渦巻くUWFアレルギーは頂点に達していた。

しかし、若い2人は堂々とレガ―スを着用した

骨法流のコスチュームで入場。


会場が異様な興奮に包まれる中、

2人は新日本のストロングスタイルをベースに

骨法の打撃、さらに空中戦まで繰り出していく。

「俺たちが新日本を変えてみせる」

「UWFに負けてたまるか!」

物言わぬ若者たちの主張がたしかに観客席にまで届いた。


新日本の歴史上、会社や先輩たちからの批判を恐れることなく、

若い選手が初めて自己主張をした瞬間でもあったろう。

結果的に、マット界の歴史に汚点を残すこととなった12・27両国大会。

ただし、山田vs船木の一戦には確かに爽やかで熱い風が吹いた!


⑤大相撲時代、小結まで昇進しながら生来の博打好きが裏目に出て、

廃業を余儀なくされた元・孝乃富士の安田忠夫が一念発起し新日本に入門。

ヤングライオンたちと一緒に合宿所で暮らし、

新弟子として8ヵ月のプロレス特訓を経て、

師匠の馳浩を相手についにデビュー戦を迎えた。


安田のセコンドには一緒に汗を流し寝食を共にしてきた、

のちの第3世代(小島、永田、中西、石澤、大谷、高岩)

が付いて、安田に激を飛ばしまくる。


馳にやられてもやられても、根性で立ち上げっていく安田の姿に

釘付けとなった日本武道館は盛大な”ヤスダコール”に包まれた。

奮闘空しくリングに大の字となった安田にヤングライオンたちが駆け寄った。

永田が泣いている、大谷が泣いている、高岩の目は真っ赤だった。


リングを降りた安田にインタビューのマイクを向ける

テレ朝の真鍋由アナウンサーも泣いていた。


のちのケンド―・カシン、石澤常光が私に近づいてくると一言。


「ヤングライオンも号泣という見出しを付けてください!

ひとこと……感動しました」


”30歳のル―キ―”安田忠夫が見せた最初の人生劇場だった。


⑥第5回ヤングライオン杯を全勝で突っ走ってきた小島聡に対し、

2位でファイナルに駒を進めてきた五輪レスラーの中西学。

パワーと気迫の真っ向激突は、YL杯史上もっとも凄まじい肉弾戦と化す。


この闘いのポイントは序盤に中西の痛烈なエルボーを食らって、

小島の記憶がすべて吹っ飛んでしまったこと。

しかし、そんなことはおくびにも出さず突進し続ける小島。

まさに本能の闘いだった。


じつは、この試合で記憶が完全に飛んでいたことを

初めて小島が私に教えてくれたのは1年前のこと。

つまり、18年以上も彼はその事実をマスコミに漏らしていなかったのだ。


YL杯史上に残る激闘、名勝負を制した小島は涙に暮れる。

リング上で泣き、控室で泣き、共同インタビューでも号泣。


「やっとここまでこれたという感激はもちろん、ありました。

その一方で、果たして優勝戦に相応しい試合ができたのか、

何も覚えていないからその不安から出た涙なのかもしれません…」


18年後に明かされた真実。

YL杯史上最高の名勝負をぜひ見届けてほしい。


⑦全日本学生選手権4連覇、闘魂クラブに入団してから

全日本選手権2連覇という規格外の怪物がアトランタ五輪出場の夢が破れ、

新日本プロレス入門を決意したのは、1996年の5月末。

それからわずか5カ月で、怪物・藤田和之はデビュー戦を迎えた。


対戦相手は、長州力現場監督の命を受け

藤田の教育係を務めていた永田裕志。

同じレスリング出身の先輩に向かって、

持てるものをすべてぶち込んでいく藤田。

まだデビュー前ながら同期である真壁伸也(現・刀義)が

必死の形相で藤田を応援する。


やはり4年のキャリアの差は、

いかに野獣といえども超えることは不可能だった。

それから5年後、2人は最高峰IWGPヘビー級王座をめぐり

ギリギリの闘いを繰り広げることになる。


ただし、藤田のデビュー前から

永田はあることに気が付いていた。


「藤田は俺たちが3ヵ月かかって覚えた後ろ受身を1カ月でマスターした。

こいつはモノが違う。いつか藤田に抜かれる日が来るかもしれないし、

それが藤田であるなら俺も納得がいきますよ」


3年後、新日本を退団した藤田は、『PRIDE』に参戦。

日本人ヘビー級最強の男、猪木イズム最後の継承者と呼称され、

総合格闘技と新日本プロレスのリングをまたにかけて、

阿修羅のごとく暴れまわることになる。


⑧若手時代からつねに好勝負を展開していた

棚橋弘至vs真壁刀義のノーカット収録による最古の映像。

同年10月10日、後楽園ホールでデビューした棚橋の相手は

約3年先輩にあたる真壁だった。

また同日、同期の柴田勝頼と井上亘も

直接対決によるデビュー戦を行なっている。


デビュー戦で初めて棚橋のナマの動き、ナマの肉体を

観た私は少し驚きを覚えた。

まず、身体が筋肉でパンパンに張りつめている。

現在の棚橋よりふた回りは分厚い感じに見えた。


それに普段は物静かな新弟子というイメージしかなかったのに、

いざ試合となると、前へ前へと気持ちを押し出していく。

真壁が上手いこともあったが、デビュー戦としては想像以上。


そういった驚きもあって、当時『週刊ゴング』編集長という立場にありながら、

棚橋のデビュー戦のリポートは私が担当した。

たしか、「こいつは和製ダイナマイト・キッドになる!」というような

大見出しを付けた覚えがある。


その後を考えると、キッドのイメージとはかなりかけ離れてしまったが(笑)、

そんな大胆な見出しを付けたくなるほど、その新人離れして

ビルドアップされた肉体に驚きを感じたのである。


やはり逸材感(※棚橋語です!)が漂っていたし、

陽性のムードの中にスターたるポテンシャルが潜んでいたのだ。


そのデビュー戦から1カ月弱、広島サンプラザで両者は対戦。

雑草魂で這い上がろうとしていた真壁と

天性のプロレスセンスを備えていた棚橋の対決は、

タイプは違ってもなぜか噛み合うし、おもしろいのだ。


2010年代の新日本マットを支えてきた両雄の青の時代、

とくとご覧あれ!


なお、冊子のほうでは全7戦の解説を私が担当している。


また、『実録!新日本プロレス事件簿』第59回では、

「暗黒期の光、”逸材”涙の初戴冠!」のタイトルで、

2006年7・17札幌大会においてブロック・レスナーの来日ドタキャンにより、

苦悩の末にIWGP王座決定トーナメントを制し初戴冠を成し遂げた

棚橋ストーリーの真実を私が記している。


うん、タイムリーだぞ(笑)。

この日、この大会が「愛してま~す!」の発祥の日であり、

発祥の地なのである。


『魂が震えた新日ベストバウト!』39回には、

馳浩衆議院議員が登場。


大学レスリング部時代から直に長州力と接し、

また新日本の名参謀として直に激闘を観てきた人間にしか語れない

視点でベストバウトを選出。

同時に、いま勢いにのる新日本の魅力を分析している。


燃えろ!新日本プロレスvol.59

吠えよ若獅子!ヤングライオン、青の時代!!

発行元=集英社

定価=1680円

今週は、2014年1月4日、土曜日発売!

つまり、1・4東京ドーム大会…プロレスの日に発売!!