当ブログでも番組情報を掲載したのだが、

先週木曜(3日)深夜にスタートした新番組バラエティ

『侃侃諤諤』(かんかんがくがく)の第1回のテーマは、

「ジャンボ鶴田vs長州力」最強レスラーはどっち?


MCは太田光、ゲストはプロレス通のビビる大木。

1985年11月4日、ジャパンプロレス主催の

大阪城ホール大会、メインイベントで対戦した両者の試合は

60分フルタイム闘って時間切れドロー。


それを踏まえ、今なお「どちらが強かったのか?」で

プロレスファンが侃侃諤諤に意見をぶつけ合う

永遠のテーマに関して、番組内で決着をつけようというもの。


VTR収録で意見をぶつけ合うのは、

一般ファン、芸人などプロレスマニアの9人。

その区分けとして、鶴田派=5人、

長州派=4人に分けられていた。


そこに、専門家(?)というジャンルに入るらしい

ワタクシ金沢も参戦して、鶴田派に入った。

なんとなく意見を聞く前から、

この時点で視聴者には違和感バリバリと映ったらしい。


そこで、番組終盤、私が唯一意見(結論)を述べたシーンへ。


「長州力を25年以上取材してきた僕としては

長州力と言いたいところですが、結論は非情です。

(強いのは)ジャンボ鶴田です」


その理由として、レスリング時代の非凡な実績を語っている。


「大学2年からレスリングを始めて、1年半で全日本100㎏超級の

グレコ、フリ―を両方制覇し、しかも2連破して

ミュンヘン・オリンピックに出場している。

これはちょっと普通(の実力)ではないです」


これを受けて、スタジオのビビる大木さんは、

「GKがこう言ったら、もうこれでいいんじゃないですか!」

と言いきってしまう。


「だって、金沢イコール長州力といっていい関係なんですから」(大木さん)


「じゃあ、プロレス界の中では大事件だ」(太田さん)


「もう決定でいいでしょう」(大木さん)


こんな感じのやりとりがあった。

結局、最後に太田さんの出した結論は、

「最強は長州力です」となった。


その理由がなんとも太田さんらしい。

「鶴田派は最初から余裕がある。

でも長州派は分が悪いから最初からギャーギャー言って、

それが好きだね、生き方として」


たしかに番組内では、

強さとは関係のないオモシロ意見も続出して、

これぞバラエティという感もあったが、

プロレスとは?

プロレスラーの強さとは?

など、プロレスというジャンルの魅力にまで迫る話題もあった。


しかも、プロレス通の大木さんだけではなく、

太田さんがそういう真理に迫っていたところに

プロレスファンとしては満足感があり、納得もいったのではないだろうか?


ところで、私が鶴田派として意見を述べたことは、

少しばかりファンの間で波紋を呼んだらしい。


まあ、番組で話したことは事実そのままであり、

事前に「屋外で収録した話を使わせてもらいます」

とスタッフの方からキチンと連絡もいただいた。

番組作りに文句などまったくない。


ただ、若干補足しておく必要もあるかもしれない。

あのインタビューシーンはテレ朝近くのビルの屋上で

最初にいきなり結論を求められ撮影・収録したもの。


その後、テレ朝の会議室に場所を移して、

番組ディレクターの質問に1時間以上も回答している。

番組内で使われたファンや芸人さんの意見をモニターで見ながら、

それに同調したり、反論したり、爆笑したりしている場面も収録している。


やはり私の場合、この仕事に27年以上も関わっているし、

ジャンボさんのことも、長州のこともよく知っているつもり。

2人に関するエピソードなどいくらでも出てくる。


たとえば、温厚なジャンボさんをインタビュー中に

一度だけ本気で怒らせ怒鳴られたエピソードなど。


ディレクター氏は「いやあー、おもしろい!」を連呼して、

私の話を聞きながら大喜びしてくれた。


ただし、その時点でなんとなく察しはついていた。

私の語ったエピソードは実話だから、

それを流してしまうと、せっかくの熱烈ファンの願い、

、妄想などが無に帰してしまうかもしれない。

それではバラエティ番組が成立しないのだ。


実は私の結論に至る最大の理由と証拠も撮影・収録している。

それがこの誌面となる。


金沢克彦オフィシャルブログ「プロレス留年生 ときめいたら不整脈!?」Powered by Ameba

ゴング読者の方なら覚えているかもしれない。

これは2005年1月5日号の誌面で掲載した

『長州力デビュー30周年記念対談』パート2のトビラページ。


2004年12月中旬、サイパンへ飛んだ長州は、

現地で”長州力デビュー30周年記念興行”を開催した。

その際、30周年記念DVD用のインタビュアーとして同行した私が、

ゴングの誌面にも掲載できるという条件のもと、

行なったロングインタビューである。


「たった一度だから心に残る…

鶴田戦は俺の負けですよ」


そう大見出しに打ったように、

あの60分の闘いから19年の歳月を経て、

長州は鶴田戦をこう振り返っている。


GK  鶴田さんと一度だけシングルマッチを闘って、

    60分時間切れのドローに終わったのが、貴重というか…。

長州 あれは俺の負けですよ、うん。俺の負けです。

GK  えっ、負けですか? どういう面でそう思うんですか?

長州 やっぱりジャンボのスタイルを崩せなかった。

    そして自分のスタイルで出来なかったっていうことでしょうね。

    だからやっぱりジャンボの凄いところは、それをさせなかったっていうところでしょう。

    だから自分の場合で言えば、そこに持ち込めなかったっていうのは、

    やっぱり俺の負けですよ。

GK  それは1回きりでよかったんですかね?

    長州さんの中で「もう一丁!」というのはなかった?

長州 いやあ、1回だからそういうのって残るんじゃないの。

    何回もやったら残らないでしょ。

GK  ああ、1回きりだからこそ心に刻まれていると。

長州 うん、刻まれているよね。

    時間切れの引き分けだけど、あれは俺の負けですよ。


鶴田戦は自分の負け。

長州本人が認めたのだから、

結論は「鶴田のほうが強い」となるわけだが、

もちろん、それだけが理由ではない。


このインタビューを行なった時点で、

すでに長州は最盛期を過ぎた自分を自覚していたし、

ジャンボさんは1999年、鬼籍に入っている。

そういう時期、状況だからこそ、意地を張る必要もなく

試合を冷静に受け止められる長州もいたわけだ。


じつは番組の取材を受ける前に、鶴田vs長州戦をもう一度

再検証してみたときに、意外な事実に出くわした。

最後の最後に、脳裏に焼きつくシーンを観たのだ。


時間切れ寸前、鶴田は長州を逆エビ固めに捕えている。

絞り上げている最中に時間切れのゴングがなり、

レフェリーがストップを掛ける。


次の瞬間、鶴田はコーナーに駆け上がり、

拳を突き上げてアピール。

その表情は勝ち誇っていた。


ここで、二通りの解釈ができる。

一つは、鶴田は長州がタップしたものと勘違いした。

二つ目が、時間切れ引き分けだと理解しながら、

あえて自分をアピールしてみせた。


こればかりは亡きジャンボさん本人に聞いてみなければ、

真実のほどは分からない。

だけど、私からすると後者に思えて仕方がないのだ。


1985年当時といえば、長州の全盛期である。

時代の寵児である長州力こそが、

マット界でもっとも輝いていたし、

文句なく馬場・猪木さえも凌ぐスーパースターであった。


そこに、ジャンボ鶴田がジェラシーを覚えたとしても不思議ではない。

鶴田はアメリカン(NWA)スタイルの英才教育を受けて、

プロ入りから瞬く間にスターレスラーの仲間入りをした男。


一方の長州は、芽が出るまでに時間を要した。

彼が学んだものは猪木流のプロレスであって、

そこに独自のハイスパートレスリングをトッピングした。


鶴田プロレスが、サバくプロレスならば、

長州プロレスとは、叩き潰すプロレス。

まさに、水と油だった。


だから、60分間、懐の深さを駆使して長州をサバき切ったとき、

「見たか!俺のプロレスの勝利だろ!!」と普段の余裕をかなぐり捨ててまで

鶴田がアピールしたという考えも浮かんでくる。


もしそうだとしたら、この長州戦こそ初めて鶴田が

本気になって自分の強さを主張しようとした試合ともいえるのだ。


こんな28年も前の試合に関してまで、

今さらながら私は考えさせられた。

今回の取材においても、

自分がそう感じたことを話している。


まあ、こんな話、番組で使えるわけがない。

だから、あの番組はあれで”よし”なのだ。


ただし、そこに改めて補足を付け加えるならば、

あの一戦では間違いなく鶴田の方が強いと感じた。

ただし、プロレスラーとして、闘う競技者として、

長州力のほうが遥かに魅力的な男である。


それが私の中で勝手に侃侃諤諤した末の

結論となるだろう。