本日発売のDVDマガジン『燃えろ!新日本プロレス』vol.48のタイトルは、

ジュニアの矜持(きょうじ)、俺たちのライバル闘争!!


世界最高峰と称された新日本ジュニアの

第3期黄金時代、第4期黄金時代の名勝負数え唄を中心に、

ライバル闘争をラインナップしている。


全試合ノーカット収録(126分)DVDの

試合メニュー(全6戦)は次の通り。


①プライドをかけたジュニア版名勝負数え唄!!

高田伸彦vs越中詩郎

(1986年8月5日、両国国技館)


②”ど演歌ファイター”、非情の指折り!!

越中詩郎vs高田伸彦

(1987年2月5日、両国国技館)


③輝ける同期対決、現代ジュニアの原点!!

獣神ライガーvs佐野直喜

(1989年7月13日、両国国技館)


④マスク剥ぎに大流血!THE”怒りの獣神”!!

佐野直喜vs獣神サンダー・ライガー

(1990年1月31日、大阪府立体育会館)


⑤”ジュニア最強外国人”対決、極まれり!!

ワイルド・ペガサスvsブラック・タイガー

(1995年7月13日、札幌中島体育センター)


⑥激闘!新日本vsUインターの遺伝子燃ゆ!!

大谷晋二郎vs桜庭和志

(1996年6月17日、日本武道館)


金沢克彦オフィシャルブログ「プロレス留年生 ときめいたら不整脈!?」Powered by Ameba


①同年2月、ザ・コブラを破り初代IWGPジュニアヘビー級王者

となった越中の前に立ちはだかったのが、UWFの高田伸彦。

全日本出身の越中と、新日本から生まれた先鋭集団UWFの闘い模様は

まるで異種格闘技戦の様相で、越中は人間サンドバッグとまで称された。


同年5・19後楽園ホールで、越中は初挑戦の高田に惨敗を喫して王座陥落。

だが、ここからドラマはスタートする。

8日後の5・27福岡大会のリターンマッチで両者リングアウト。

この一戦は決着戦となる2度目のリターンマッチ。


試合を重ねるごとに、越中の技術が確実に進歩していく。

両国大会ではついに越中コールが大爆発。

3度目の一騎打ちにして、ファンが名勝負数え唄を認めた瞬間でもあった。


②高田を追い続ける越中は、86年9・18福岡大会で

ついに高田から初勝利をあげ、第3代王者に返り咲く。


その後、2人の運命は急転!

86年暮れの『86ジャパンカップ争奪タッグリーグ戦』に

タッグチームを結成して出陣。

同大会の台風の目となる大活躍を見せる。


ところが、リーグ戦終盤、前田&木戸組との対戦中、

前田のキックをさばこうとした際に、高田が右手中指を骨折。

のちのちまで、この怪我に苦しめられることになる。

ちなみに、越中&高田組は86年『プロレス大賞』の

最優秀タッグチーム賞を受賞するほどのインパクトを残した。


翌97年、欠場明けの高田が、立場を代えて越中に挑む。

非情な越中は、高田の右手中指を決めながらの脇固め。

2人のジュニア名勝負数え唄(タイトルマッチ)は

この一戦をもって終止符を打つ。


同年4月、両国大会で前田の蹴りを食った越中がバランスを崩し

右足腓骨骨折の重傷を負い、長期欠場。

長期のブランクを経て、88年2・4大阪大会で1年ぶりの

シングル戦(トップ・オブ・ザ・スーパーJr公式戦)を行ったが、

この試合は両者KOの引き分けに終わっている。


その直後、高田は新生UWFへ移籍。

それから、なんと8年の歳月を経て、

96年3・1日本武道館(Uインター主催)で、

IWGPヘビー級王者・高田に、

平成維震軍・越中が挑戦している。


「高田にだけは今も特別なオーラを感じる。

これは俺だけにしか見えないものだと思う」


今もそう言い切る越中。

宿命の闘いを心して見てほしい。


③84年3月、同日デビューの同期生。

若手時代からスターの要素があったライガーに対し、

佐野はそれほど目立たない存在だった。


89年4月、東京ドーム大会でライガーが正式デビュー。

同年1月、メキシコ遠征から帰国していた佐野は、

若手時代とは打って変わり、その天才的なレスリングセンスを発揮し始める。


同期のライバル同士がついにジュニアの頂点をかけて激突。

ストロングスタイルをベースにしながらも、

スピード&空中戦で一歩も引かない両雄。

いま改めて見ると、これぞ現代ジュニアの礎といった攻防である。

ベルトをかけた初遭遇が両者KOというのも壮絶な闘いを物語る。


④佐野が王者となり、立場を代えての4度目のタイトル戦。

これが感情の先走る意外な攻防へと発展する。

佐野がライガーのマスクを剥いで大流血に追い込むのだ。

薄れゆく意識の中で、必死に立ちあがるライガーが大逆転勝利。


だが、内容に納得のいかないライガーは、

ベルトをマットに叩きつけるなど大荒れ。


バックステージでは、

「どうだ?もう一丁か、ライガー?」

と話し掛ける長州現場監督に対しても、

「うるせー!テメ―も潰してやる!」

と錯乱状態。


この試合には、両者のメンタル面も大きく左右していたのかもしれない。

試合直後、ライガーは

「藤波さんが独立するならついていきます」

と新日本内独立(のちのドラゴンボンバーズ)が囁かれていた

藤波についていくことを表明。


一方の佐野は、4月に退団して新興団体SWSへ動く。

半年間で4度のタイトルマッチ。

戦績はライガーの1勝2敗1分け。

短期間ながら、紛れもなく名勝負数え唄になりうる激闘だった。


⑤藤波時代が第1期、タイガーマスク時代が第2期、

越中vs高田時代が第3期ジュニア黄金時代だとすれば、

第4期の礎を作ったのがライガーvs佐野であり、

それを花開かせたのが、ライガーを軸とした90年代の

複数スター性ジュニア黄金時代だろう。


その中でも特筆すべきは、外国人選手のレベルの高さ。

とくに、ワイルド・ペガサス(クリス・べノワ)とブラック・タイガー(エディ・ゲレロ)

の両雄は抜きに出ており、のちに2人はWWEのヘビー級戦線で世界を制している。

新日本ジュニアが生んだ最高傑作こそ、この両雄と言っていいだろう。


この試合は95年『ベスト・オブ・ザ・スーパーJr』の最終日、

優勝決定トーナメントの1回戦(準決勝)で実現した。

青森で行われた公式戦の同一カード(ノ―TV)では、

ブラックが雪崩式BTボムで死闘を制しているが、

この公式戦もジュニア史上に残る名勝負として絶賛されている。


両者は準決勝でも一歩も引かず。

その最上級の闘いにピリオドを打ったのは、

ペガサスが初公開した雪崩式ツームストン・パイルドライバー。


ペガサスは同じ技で優勝戦(vs大谷)も制しているが、

このデンジャラス過ぎる大技はすぐに禁じ手とされている。

衝撃の瞬間、そこまでやらなければ決着のつかない

究極の攻防を検証してもらいたい。


ちなみに、翌96年の準決勝ではブラックがペガサスにリベンジ。

さらに、優勝戦でライガーを破り、歓喜の初制覇を達成している。


⑥これぞ、偶然が生んだ新日本ジュニアとUの名勝負。

一夜限りの劇的遭遇である。


96年6月に新日本が日本武道館で開催した

『ザ・スカイダイビングJ』は全8試合すべてが

軽量級のタイトルマッチという異例の大会。


ここで前王者・金本浩二が負傷のため返上した

UWA世界ジュニアライトヘビー級タイトルマッチを

大谷晋二郎vs山本健一(現・喧一)が争う予定であったものの、

今度は山本が負傷。


それによって、桜庭和志の緊急出場が決定した。

新日本とUインターの抗争は同年4月でひと段落しており、

さらに、過去の対抗戦で金本、石澤、永田らと好勝負を展開し、

プロレスの土俵における評価も急上昇していた桜庭。


周囲の期待通り、大谷vs桜庭は息を呑むような白熱の闘いとなった。

決して、お互いが歩み寄ったわけではなく、

それぞれが我を通して噛み合った名勝負だからこそ本物。

もちろん、大谷と桜庭の飛びぬけた格闘センスがあったからこそ。


のちに大谷はこの一戦をこう振り返っている。


「闘いながら、自分は思ったんですよ。

桜庭選手、間違いなくプロレスが好きなんだなって」


一期一会の闘いだからこそ、

今も光り輝く奇跡の闘いである。


燃えろ!新日本プロレスvol.48

ジュニアの矜持、俺たちのライバル闘争!!

発行元=集英社

定価=1680円

本日(8月1日)、木曜日発売!


既報の通り、vol.60までの続刊が決定した

『燃えプロ』だが、現在のところ54号までの

ラインナップがほぼ確定した段階。


燃えプロ編集部では、読者の熱烈な要望に応える

『厳選リクエストコレクション』と題した号を随時刊行していく予定。

当ブログでもリクエストを受け付けているので…

というより、燃えプロ編集部がしっかりチェックしているので、

どうぞ、リクエストを寄せてください!


あなたのリクエストが、そのままラインナップとなる

絶好のチャンスでもあります。

ただし、肖像権の問題で映像化できない選手が若干名、

またテレビ放送していても映像が残っていない

試合も稀にある点はご了承のほどを。


まだまだ、行くって、

隔週木曜日は燃えプロの日だって!