武藤体制・全日本プロレス最後の大会と言われた

6・30両国大会(プロレスLOVE in 両国)を取材してきた。


観客の入りは5~6割ほど。

分裂騒動が公になり紙(誌)面を賑わせ始める前と、

それほど変わらない印象を受けた。


ずっと変わらぬ全日本ファンがいて、

騒動に嫌気がさして離れたファンがいて、

武藤体制最後の全日本を見届けるために来たファンがいて…

という感じで総体的な動員数は変わらなかったようにも思う。


武藤体制最後でありながら、そこに武藤敬司(前会長)はいない。

前社長の内田雅之氏の姿もない。

ただし、残る者、去る者を含めて、

裏方のスタッフたちはみんなしっかり仕事をしていた。


被害者は選手たち。

みんなが、そう言う。

その通りだろう。


自分たちのあずかり知らぬところで、

手の及ばないところで、

全日本プロレスという会社組織が

買収を経て壊れていった。


この壊れていったものが、

フロント幹部たちの信頼関係だったから、

選手にはどうすることもできない。


プロレスラーとは個人商店。

昔、武藤敬司がよく口にした言葉だ。

アメリカ生活の長かった武藤だから言えるセリフ。


能力と器量のある選手はどこのリングでも仕事がある。

そこで年齢、キャリアは問われない。

キャリーバッグ1つで、胸を張って各テリトリーを渡り歩く。

それが本来のプロレスラーの姿。

そんな意味である。


ただし、日本マットではやはり組織・団体は絶対的なもの。

ビジネスライクでは割り切れないものがあるし、

先輩後輩の上下関係、興行のチームワークも必要とされる。


その枠から飛び出すというのは、かなり勇気のいる行為。

特にメジャー団体を離れ、フリ―として生きていくということはシビアな選択である。

過去の例を見ても、藤田和之、高山善廣、鈴木みのる、佐々木健介と、

ごく限られた人間しか成功していないことを見ても分かるだろう。


話を戻す。

これが最後の武藤体制・全日本の興行。

それが分かっていても、実際に会場には

それほどセンチメンタルな空気が流れていたわけではない。


会場のファンからそれらしい野次や声援も飛ばなかったし、

いつもの全日本の両国大会という空気。


選手サイドからも試合に集中しているのが伝わってきた。

おそらくもう自分の進路を決めているから、

湿っぽさを感じさせることもなかったのではないか?


ただ、試合を観ていて、改めて思ったのは、

この選手たちが二分されるとしたら、もったいないなあということ。


特に、ジュニアは層が厚いだけに残念だ。

大和ヒロシ、金本浩二、カズ・ハヤシ、近藤修司、田中稔、

バーニングの金丸義信、鈴木鼓太郎、青木篤志と、

こと日本人ジュニアの層の厚さなら

新日本ジュニアを凌駕しているかもしれない。


全日本ジュニアvsバーニング。

火が点いたと思ったら終焉(?)なのだから、

なんというタイミングの悪さか…。


試合後には、さまざまな選手たちがさまざまな思いで

胸の内を吐露しているが、ハッと思ったのは近藤修司のコメント。

カズとのジュニア最強コンビでアジアタッグに挑んだものの惜敗。


その後、近藤はさっぱりした表情でこう言った。


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「僕らはたぶんマスコミ、ファンよりも中の情報を

1本も2本も3本も分かっている。

それも含めていま言うことは、今まで働かせてくれた全日本に

残る選手、出る選手、スタッフ、ファンのみなさん、マスコミのみなさん、

今までいろいろあったけど、いま思えば感謝しかないというか、

ありがとうございますと。

物理的に全日本を救ってくれた白石(伸生)オーナー、

今となってはこうなってしまったけど、俺は感謝しかない。みんなには。

この先のことはなんにも分からないけど、とりあえずありがとうございました。

この業界に入って十数年になるけど、感謝の気持ちでいっぱいです」


大人のコメントだ。

というより、近藤だから言えることなのかもしれない。

当初、誰よりも早く白石オーナーへの不信感を口にしていた近藤。

だが、立つ鳥跡を濁さず…近藤は古巣となる全日本に感謝の言葉だけ送った。


全日本の現場を引っ張ってきたのは、カズ、近藤、

そして諏訪魔の3選手。

また、近藤は2年前に忘れられない体験をした。


東日本大震災のとき、電車移動をしていたこともあり、

生命の危機にさらされたのだ。

津波に流されていく人を実際に目の当たりにした。

それでも自分が生き残ることだけしか考えられない現実を思い知った。


そういった体験さえも踏まえての感謝の気持ちなのだろう。

私にはそう感じられた。

何かと物議を醸していても、

白石オーナーが現れなければ、

全日本は終わっていたかもしれないのだ。


私自身、この全日本の話題に触れるのは初めてのこと。

実は、今までに何度か書きたいと思ったこともあったが、

その気持ちを抑えてきた。


正直、白石オーナーのフェイスブック(現在は閉鎖)を読むたびに

不快感がこみ上げてきた。

それが頂点に達したのは、週刊ゴングの話に触れていたとき。


「ゴングに触れないでくれ!」


ムッとした。

おそらく過去、真剣にゴングに関わってきた人間は、

みんなそういう思いに駆られたのではないか?


たとえ、廃刊しようとも、ゴングは私の聖域である。

自分の人生のすべてを懸けてきた場所。

簡単に復刊だのなんだのとフェイスブックで軽く語ってほしくない。


ただ、私は白石オーナーのことを10年以上も前から知っている。

彼がまだ20代のころに初めて出会った。

しかも出会ったとき、私は武藤敬司と一緒だったと記憶している。

つまり、武藤前会長と同じ時期に白石オーナーと知り合っているのだ。


2001年頃だったと思うが、

「ゴングと業務提携したいんです!」と

熱心に話してくる白石氏のために、

竹内宏介社長(故人)と会談の場をセッティングしたこともある。


その話はまとまらなかったものの、

若い白石氏からプロレスが大好きで、

ゴングの熱心な愛読者であることも充分に伝わってきた。


今回、白石氏は全日本を救った。

ただし、その後のフェイスブックを利用した主義主張が、

業界関係者、選手、ファンのほぼすべてを敵に回した。


団体のオーナーとなった人間が、

まるで”2ちゃんねる”の書き込みのような内容の主張をすれば、

それは天に唾をするようなもの。

時間が経って、白石氏もその誤りに気付いたからこそ、

フェイスブックを閉鎖したのだろう。


「改革」を唱えるのは大いに結構。

ただし、それはファン、マスコミに向けてではなく、

まず全日本の内部に向け発令し、

それが実際に可能なのかどうか、

選手サイドとじっくり話し合うべきだろう。


そこで、ゴーサインが出て初めて、

マスコミなどを通して訴えるべき。

また、同じ業界の人間が他団体を公に批判するのは、

絶対にやってはいけないことである。


白石氏は頭のいい人だから、

そこの誤りにも気付いたと思う。


ところで、30日当日、両国の支度部屋の横にある

屋外の喫煙所でたまたま白石オーナーに会った。

10数年ぶりの再会となる。


ほんの5分ほどだが雑談をした。

試合が始まったので私は先にその場を離れたが、

離れ際に「これからも、よろしくお願いしますね!」と言って、

白石オーナーと握手をして別れた。


雑談の中身は書かない。

これ、フェイスブックではないから(笑)。

ただ、白石氏に言った「よろしくお願いします!」には

私なりに意味を込めたつもり。


自分をよろしくではなく、

「全日本プロレスをよろしくお願いします!」

という思いで言ったのである。


私の勝手な思い込みかもしれないが、

白石オーナーにはきっと伝わったと思う。


さて、白石オーナーと袂を分けた武藤敬司。

そこに内田前社長も合流するのかもしれないが、

武藤新団体の旗揚げは秋口とも噂されている。


武藤が沈黙を保っていたのも、

今回ばかりは仕方がないだろう。

白石オーナーの言動が、あまりに想定外だったからだ。


ただし、その白石オーナーに金銭的な面で協力を仰いだのは、

他ならぬ全日本のトップなのだから、

分裂の責任は武藤前会長と内田前社長にもある。


もちろん、それを認識しているからこそ、

同調してくれる選手たちのために

諦めることなく資金集めをして、

独立→新団体旗揚げを実行するのだろう。


この厳しい業界において、

武藤派がどう発進してみせるのか?


とにかく武藤敬司が路頭に迷う姿なんて見たくもない。

武藤敬司にはいつまでもスーパースターでいてほしい。

だから、成功してほしい。


白石体制・全日本にも、武藤派新団体にも成功してもらいたい。

そして、出来ることなら武藤が諏訪魔に言ったように、

「こんど会うときは、笑顔で会おう」となってほしい。


いやいや、もう一歩前進して、

「こんど会うときは、リングで睨み合おう!」

となってくれれば言うことなしである。


業界の現実は厳しい。

新日本もユークスに身売りしてから、

今日の独走態勢を作り上げるまで8年もかかった。


だからこそ、今からでも分裂を避けて元鞘となることが、

むしろ自然ではないかと私は思うのだ。

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では、当日撮影した写真を何点か紹介したい。


第4試合終了後、私服姿の征矢学(欠場中)と大森隆男が、

ひさしぶりにGET WILD劇場を展開し、マスコミは大爆笑!

名物コンビは全日本マットに残留する意思を固めている。


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第5試合は左肺気胸で欠場していたKENSOの復帰戦。

相手は次期三冠ヘビー挑戦者に決まった潮崎豪。

とにかく潮崎は体を絞って以来、絶好調だ。


パワーが落ちることなく、スピード、スタミナは増したのだから、

手がつけられないほど強いし、もともとルックスがいいから華を感じる。

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一方、敗れはしたものの、KENSOの覚悟が見えた試合。

KENSO自身のベストマッチではないだろうか?

試合後の咆哮も凄まじかった。


「激しく全日本プロレスを愛す!

激しく愛す! いいですか、聞こえますか!

激しく全日本プロレスを愛していく!

『明るい未来が見えない』…僕はそんなことを言いました。

『新日本プロレスの明るい未来が見えません』と、

そんなガキみたいなこと言ってました。

そうです、あの頃は間違いなく、他の先輩の力を借りて、

何とか会社はよくなると、そう信じていた。

でも今は違う。そんな甘ったるい言葉はないです。

『明るい未来が見えません』なんて関係ねえ!

明るい未来を、力を作る! 以上!」


ある意味、当時の新日本を象徴する

「明るい未来が見えません」の名セリフ(!?)

を引用しつつKENSOが叫んだ。


考えてみると、あれは2002年2月1日の札幌大会。

新日本から武藤らが電撃退団し、大混乱を呈していたとき、

猪木の問いかけに当時の健想が言い放ったセリフだった。


その1年後、KENSOが新日本を去ってWJへ。

新日本の明るい未来を照らすために身を粉にして奮闘したのは、

蝶野であり、永田であり、天山、そして中邑、棚橋だった。


今度こそ、KENSO自身が奮闘しなくてはいけない。

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そして、エースとしての責任を背負い

全日本残留を決意した諏訪魔。


この日の三冠ヘビー級選手権は、

前回に続き挑戦者・秋山準のペースだったと思う。

だが、相手は百戦錬磨の秋山。

それも仕方がないだろう。


それでも、最後の最後にラストライドをズバリと決めて、

強い王者として、試合の幕を引いた。


「全日本プロレスという看板はみんなのものだと思っているしね。

あとはお客様との、ファンとの信頼関係ですね。

そこをもう一回築く。そこからスタートしたいと思います」


まだまだ諏訪魔は発展途上の王者。

まだまだ進化を続け強くなることだろう。


いずれにしろ、暗い話題に今のファンは背を向ける。

なにもお金を払って辛気臭いものを観にいく必要はないからだ。

明るく楽しく激しく、そして新しく…その合言葉は

全日本にも武藤派団体にも共通のものだろう。