4月1日からスタートしたサムライTVの新番組

『俺たちの新日本プロレス』第4回目の収録を

28日午後、スカパー!東京メディアセンターで行なった。


新日本プロレスの現在進行形のリングでは、

20回目の『ベスト・オブ・ザ・スーパーJr.』開催中ということで、

♯4のプログラムは1994年5月~6月に開催された

第1回のスーパーJr.から特選3試合をノーカット放送。


そこで、当時を振り返りつつ、さまざまな思い出や、

ジュニアへの熱い気持ちを語ってくれるゲストには、

ZERO1の大谷晋二郎を招いてトークを行った。


日本のジュニアの歴史…黄金期を大きく区分けするなら、

1970年代後半=藤波辰巳(爾)時代、

1980年代前半=タイガーマスク時代、

1980年代後半=越中vs高田名勝負数え唄時代、

1990年代=ライガー、サムライ、金本、大谷、

ペガサス、ブラック・タイガーら複数実力者時代といえる。


その90年代の黄金期、世界最高峰と称された

新日本ジュニアの一翼を担っていたのが、

大谷晋二郎である。


なんせ20年前、デビューしてまだ2年弱だった当時の話。


「断片的な記憶はあるんですけど、覚えていないことも多くて。

それに僕が新日本のジュニアのことを語っていいんですかね?」


本番前にはそんな不安も口にしていた大谷だったが、

話し始めればやはりニッポンイチ熱いレスラーの血が騒ぐ。

私も大谷と話しながら、当時のどうしようもなく熱くギラギラした

ヤングライオン時代の大谷を久しぶりに感じることができた。


そういえば、23日放送のテレ朝『アメトーーク』の

「サイパン、行ったな!」のシーンでサイパン特訓を敢行する

長州力の後方にまだ線の細い大谷が映っていた。


大谷が長州の付人を務めていた時代だから、

ちょうどその頃にあたるのだ。

もちろん、髪はフサフサだった(※本当にスマン!)。


フサフサはともかくとして(※しつこいか!?)、

今回の試合メニューは次の3試合。


①大谷晋二郎vsワイルド・ペガサス(1994.5.26津市体育館/公式戦)

②スペル・デルフィンvsブラック・タイガー

 (1994.6.1仙台市体育館/公式戦)

③獣神サンダー・ライガーvsスペル・デルフィン

 (1994.6.13大阪府立体育会館/優勝決定戦)


①はライガーと並びジュニア最強と言われたペガサス(クリス・べノワ)

から大谷が大金星の初勝利をあげた試合。

同年4月に開催された第1回『スーパーJカップ』で頂点を極めた

ペガサスをキャリア2年弱の大谷が必死に丸めこみ3カウントを奪取。


「ペガサスのパワーはヘビー級のパワーファイター並みだし、

パワーだけじゃなくレスリングもしっかりしていて飛べる。

もう必死ですよ。

でも、この試合以上に覚えているのは翌年の決勝でペガサスとやって、

雪崩式ツームストン(パイルドライバー)を食って負けたこと。

あれはその後、禁じ手になりましたからね(苦笑)」


ちなみに、94年10月に開催された『スーパーJr.タッグリーグ戦』で

ペガサスとチームを結成した大谷は、優勝決定戦で

ブラック&サスケ組を破り優勝している。

この試合で記憶の飛んだしまった大谷は、

無意識のうちに初めてドラゴン・ス―プレックスを決めてブラックをフォールした。


②は快進撃を見せるデルフィンが天才ブラック(エディ・ゲレロ)を破った試合。

大谷は4月のスーパーJカップ1回戦でデルフィンンに敗退。

正直、当時でいうと、新日本マットにみちプロ勢が上がることを

よしとしないムードも漂っていた。

まだ、メジャーとインディーに格差のあった時代である。


「僕には偏見みたいなものはなかったですね。

それよりも、外から来た選手はみんな『ライガー、ライガー!』って言う。

冗談じやない、ライガーさんに触れさせてたまるか!

という気持ちのほうが強かった。

ライガーさんに辿り着く前に俺がいるよって。

それぐらいライガーさんというのは大きな存在なんですよ」


また、2代目ブラック・タイガーことエディ・ゲレロとは

じつにいい関係を築いていた。


「ジュニア時代、僕はスワンダイブ式の飛び技をやっていたでしょ?

あれをやっていたのは、前年のトップ・オブ(・ザ・スーパーJr.)に

初来日したエディで、僕は唯一エディから1勝をあげたんです。

それで彼のスワンダイブの技がいいなって思って練習して、

『使ってもいいですか?』って聞いたら『どんどん使えよ』って

エディが言ってくれたんです。

そのときスワンダイブって名前を付けてくれたのは金沢さんでしたよね?

それで僕がスワンダイブを使うようになったら、

エディはブラックになって日本では使わなくなったんです。

あれは日本では大谷の技だって言ってくれて…。

だからエディは僕の師匠でもあるんですよ」


③はブラック、大谷、ディーン・マレンコ、デーブ・フィンレーという

実力派を次々と撃破したデルフィンが同点首位でライガーと優勝を争った試合。

この大一番のためにデルフィンはライガーとデルフィンのマスクが

ハーフ&ハーフになったデルライガーのマスクで登場しファンを唖然とさせた。


「なにより優勝戦に相応しい試合を2人とも成立させたという印象が強い。

たぶん当時の僕だったら、もう感情が入りすぎて

そういう試合はできなかったと思うんです。

そういう意味でも、ライガーさん、デルフィンはさすがだったし、

まだまだ僕にはキャリアが足りない、いろんなものが足りないことを

思い知らされましたね」


そうは言っても、大谷は公式戦でペガサス、ブラック、

エル・サムライの3強を倒している。

キャリア2年弱でこの実績…やはり大谷は天才肌で、

プロレスの申し子である。


だが、IWGPジュニア王者、ジュニア7冠王者にも君臨しながら、

結局、スーパーJr.で頂点に立つことはできなかった。


「8回でて一度も優勝できなかった。準優勝が2回ですか?

なぜ勝てないのかって…悔しくてね。

でも、その悔しさがあったから『火祭り』を始められたんでしょうね。

僕はリーグ戦で優勝したのは『火祭り』(2001年)が初めてだから。

でも、20年たって、今もライガーさんがいる。

素晴らしいことですよ。

みんな、ライガーさんとやれることは幸せですよ。

いろんなことを学べると思うから。

あと、僕と同期のTAKA(みちのく)も出てるんですね。

KUSHIDAクンもいる、ケンドリックってウチにいたスパンキーですよね?

デヴィットはウチの天下一ジュニアで準優勝したけど、素晴らしい選手。

こう20回目のメンバーを見ていてね、ここにウチのリングでがんばっている

日高(郁人)や菅原(拓也)が出たらどうなるかな?って

想像するとワクワクしますよね(笑)」


                  金沢克彦オフィシャルブログ「プロレス留年生 ときめいたら不整脈!?」Powered by Ameba


大谷は語りだしたら止まらない。
私も時間を忘れて話し込んでしまう。

おそらく、時間(尺)の都合上、

ト―クの三分の一ほどしか使えないと思うが…。


最後に大谷はいま現在のジュニア戦士たちに向けて

メッセージを送ってくれた。


「僕は最初、ジュニアはヘビー級への通過点だと思っていました。

だけど、実際にジュニアの闘いを経験したら、とんでもないと。

これは凄い世界だ、ここでトップを目指して闘うんだと…

もう毎日が必死、目の前のことでいっぱいでした。

金沢さんが、「90年代の新日本ジュニアは世界最高峰だった」と

言ってくれたけど、当時はそんなことを思いもしない。必死だったから。

でも、今あえて言いますけど、当時のジュニアは世界最高峰だったと思います。

だけど、今やっている日本のジュニアの選手たち、

間違いなくアナタたちの試合は世界最高峰です!

ジュニアの世界をもっともっと盛り上げてください」


いいなあ、熱いなあ。

やっぱり大谷晋二郎だ!


懐かしい試合とともに、

大谷の熱い言葉にもぜひ耳を傾けてほしい。


サムライTV『俺たちの新日本プロレス』♯4 SUPER Jr.特集

6月3日(月)23:00~24:00放送、他