昨日(23日)発売のDVDマガジン
「燃えろ!新日本プロレス」Vol.43のタイトルは、
『目をそらすな!! 悲鳴も凍る殺気マッチ』。


全試合ノーカット収録(116分)DVDの試合メニューは
バラエティに富んだ全6戦。


①怒りのナックルアロー連発で因縁に血の終止符!!
アントニオ猪木vsラッシャー木村
(1983年9月21日、大阪府立体育会館)


②“金狼”のヒール魂に若き格闘王キレる!!
上田馬之助vs前田日明
(1986年6月6日、札幌中島体育センター)


③闘魂、狂乱のノーロープ手錠マッチ!!

アントニオ猪木vsマサ斎藤

(1987年4月27日、両国国技館)


④看板を懸けた誠心会館との血みどろ抗争!!

小林邦昭vs斎藤彰俊

(1992年4月30日、両国国技館)


⑤”爆殺シューター”が蹴りまくる、戦慄の死闘!!

橋本真也vs藤波辰爾

(1994年4月4日、広島グリーンアリーナ)


⑥フォール無用の喧嘩マッチ、伝説のドラゴンストップ!!

長州力vs橋本真也

(2001年1月4日、東京ドーム)

金沢克彦オフィシャルブログ「プロレス留年生 ときめいたら不整脈!?」Powered by Ameba


①約2年にわたる猪木vs国際軍団の抗争に終止符を打った

猪木vs木村最後のシングルマッチ。

総決算でもある一騎打ちで猪木の狂気が爆発。

木村を血だるまに追い込む。


維新軍の台頭、タイガーマスク引退という時代の狭間にあって、

ヒール、憎まれ役として新日本マットを支えてきた木村は、

翌年4月、旧UWF旗揚げに参加した後、全日本へ移籍する。

ラッシャー木村もまた功労者と言っておきたい。


②新日本に敵対する大ヒールだった上田が、

86年3月から正規軍サイドに加担する。

これは明らかに対UWF、対前田を想定した

ポリスマン(用心棒)的役割だった。


案の定、IWGPリーグ戦で前田と上田は同ブロックに。

45歳と年齢的にはピークを過ぎた上田だったが、

グラウンドの強さとタフネスぶりを発揮して、

全盛期の前田に主導権を渡そうとしない。


結局、前田の顔面蹴りラッシュに流血した上田が、

凶器を持ち出して反則負けを喫している。


③1987年という年はニューリーダーに対抗する格好で

猪木vsマサ斎藤戦が良くも悪くも新日マットのひとつの軸となった。

まず、3月の大阪城ホール決戦では、海賊男の不可解な乱入劇により、

猪木が反則勝ちを拾ったものの、館内は暴動騒ぎに包まれた。


その決着戦として行なわれたのが、4・27両国大会。

斎藤のセコンドには一時帰国した馳浩が付き、

リングサイド席には全日本マットを離脱した長州軍団が陣取る。


異様な空気の中、試合途中に猪木がロープの撤去を要求

したことから、ノーロープマッチ、さらに互いの左手を手錠で結ぶという

”手錠マッチ”に発展し、猪木の鉄拳制裁で斎藤は大流血。

セコンドの馳がタオルを投入という異例の決着となる。


両者は6・12両国でもタイトル化されたIWGPの初代王座をめぐり激突。

そして、10・4巌流島決戦へとなだれ込む。

新日本、UWF、長州軍団が主導権争いを展開するなか、

斎藤というライバル相手に猪木が強引に突っ走った1年でもある。


④1992年に入って突如勃発した誠心会館と

小林邦昭の因縁はリング上へ。

誠心会館代表として新日本のリングに単身

殴り込みをかけたのは、斎藤彰俊だった。


1・30大田区体育館大会での初一騎打ちで、

小林を血だるまでKOした彰俊は、

2月、札幌で小原道由、大阪で越中詩郎を連続撃破。


メジャー団体で初めて開催された日本人同士による異種格闘技戦、

しかも、プロレスvs空手という図式はファンの間で異常な興奮を呼んだ。


その決着戦として、両国の大舞台で小林vs彰俊が再戦。

小林は進退伺を携え、彰俊は誠心会館の看板を懸けた。

「殺せコール」が渦巻く異様な空気のなか、

殺伐とした闘いをアームロックで制したのは小林。


翌5月1日、越中も青柳政司館長を破り、誠心会館を完全制圧。

ところが試合後、長州現場監督が自ら彰俊に看板を返却。

そこから、越中と誠心会館の合体、反選手会同盟結成、

平成維震軍への勢力拡大と、誰も予測のできない

ドラマが生まれ、時代が大きくうねり始める。


決して、メインイベンタ―ではない男たちが、

時代を捉えたわけである。

特に、覚悟を決めて新日本に喧嘩を売った、

若き日の斎藤彰俊の姿をぜひ見てほしい。


⑤今回、私のイチ押し試合…というより、この一戦は

紛れもなく新日本史上に残る戦慄の名勝負だろう。


1993年9月、グレート・ムタを破り第14代IWGP王者となった橋本。

その後、武藤敬司、パワー・ウォリア―、蝶野正洋、スコット・ノートンと

新時代のトップを狙う男たちの挑戦を次々と退け、

破壊王時代の到来と世代交代に邁進していた。


ところが、5度目の防衛戦で挑戦者に決まったのが藤波。

平成世代闘争という意味合いはあったものの、

橋本自身は時計の針を戻すようなマッチメイクに納得がいかない。


実は、橋本vs藤波のシングルマッチはこれが初だったのだが、

入場時から橋本の目は怒り心頭のため吊り上がっていた。

試合はまさになぶり殺しの様相。

橋本は戦闘マシンと化し、藤波は人間サンドバック状態。


ストンピングは踏み抜いているし、エルボーは鋭角に打ち下ろし、

ミドルキックは喉元から滑って顎に何度か食い込んだ。


感情の籠った非情すぎる攻撃、その猛蹴にひたすら耐え抜く藤波。

このままでは藤波が殺されてしまう――

当時、リングサイドで取材していた私は本気でそう心配したほど。


そして、破壊王がトドメに狙ったジャンピングDDTを

絶妙のグラウンドコブラに切り返して大逆転の3カウント。

予想外の結末に怒髪天の橋本は、なおも藤波に殺到していく。


その光景を制止に入るどころか、

茫然とした表情で見守っている蝶野と馳。

セコンドの2人が割って入らない…

いや、割って入れない空気さえ充満していたのだ。


試合後、傷だらけの新王者となった藤波の胸板、

首筋には無数の靴ひもの跡が刻まれていた。

それでいながら、ドキリとするようなコメント。


「甘い! 俺はこうして生きてるんだから。

橋本は詰めが甘い!

どうぞ、殺せるものなら殺してください」


藤波の生きざまを象徴するかのような試合と言葉にも

戦慄が走り、心を揺さぶられる。


この広島大会終了後、ゴングのスタッフ総勢で食事を終え

街中を歩いていると、洗濯を終えた小島聡とバッタリ。

当時、小島は最盛期にあった橋本の付人を務めていた。


「今日の試合を観て改めて思ったんですけどね、

自分はとんでもない世界に入ってきたんだなって。

もうすぐデビュー3年になるのにそう感じました」


あのときの小島の神妙な表情も忘れられない思い出。

破壊王の有無を言わせぬ猛攻の凄み、

ドラゴンの受けの凄み、

その両者の持ち味が極端な形で具現化された

インパクト満点の名勝負である。


⑥新日本解雇から新団体ゼロワンを立ち上げた橋本真也と

前年7月、横浜アリーナの大仁田厚戦で復帰した長州が、

互いの感情をストレートにぶつけ合った遺恨凄惨(清算)マッチ。


この試合に関しては、ドラゴンストップによる

不完全燃焼な結末ばかりがクローズアップされがち。

確かにドームを包んだ大ブーイングは次の試合にまで尾を引いた。


ただし、ここでは試合内容に注目してほしい。

ブランクがあるにも関わらず長州がとにかく退かない。

破壊王を相手に互角に打ち合うのだ。

お互いの意地がそうさせるのだろうが、

やはり長州にとって橋本は最高にやりがいのある敵なのだ。


正直、藤波社長(当時)のストップのタイミングが悪すぎた。

そういった意味でも伝説となりえた試合といえるのだろう。


なお、冊子の企画『魂が震えた新日ベストバウト!』第23回には、

永田裕志が登場し、意外な試合をべストバウト第3位にあげている。

これは、かなりオモシロイ!


「燃えろ!新日本プロレスvol.43」

目をそらすな!!悲鳴も凍る殺気マッチ


発行元=集英社

定価=1680円

絶賛発売中!


※あれっ、アメトーークに、オイラが出てきたぞ(笑)。