1月4日、東京ドームで、まず最初にやらなければならないこと。

バックステージや開場前のフィールド、リングサイドで、

選手、マスコミ、フロント関係者など、

膨大な数の人たちとすれ違うたびに新年の挨拶を交わす。


さて、今年は誰とイチバン最初に出会うのかなと思いつつ、

テレビ朝日の控室へ向かう。

通路の向こうからやってきたのはガイジンさん。


「HAPPY NEW YEAR!」


「OH! アケマシテ オメデトウゴザイマース」


そのガイジンさんは、笑顔で握手を求めてきた。

こっちが英語で、向こうは日本語。

どういうこっちゃ!?


笑顔のガイジンさんの正体はロウ・キ―。

飯伏幸太は「顔も声も怖いから苦手」と言っているが(笑)

リングを降りたロウ・キ―は真面目で礼儀正しいジェントルマンなのだ。


次に会ったのがライガー。

1・4の歴史がスタートしたのは1992年だから、

これまでライガーとはこの東京ドームで20回ほど

新年の挨拶を交わしてきたことになる。


リングを降りたライガー。

ヤンチャでイタズラ好き。

マスクマンはトシをとらない――

そんなプロレス界の常套句を地でいく男。

20年前となにも変わらないライガーがいる。


いやいや、決して成長がないと

言っているわけではないので(笑)。

元気ハツラツ、世界の獣神サンダー・ライガーのことを、

私はちゃんとリスペクトしている。


しまった!

こういう書き出しから始めると、

またとんでもないことになる。

1・4ドームのドキュメントだけで、

単行本が書けてしまうではないか!?


うっし、今回は試合に集中しよう。


前売チケットだけで昨年の2倍売れ、

2004年以来の観客動員数を記録したドーム。

発表は実数の2万9000人。


かつてのように招待券をばら撒いたり、

水増し発表していた時代はとうに終わった。

ここ何年か続いたプロレス冬の時代。


だからこそ、この2万9000人という数字に

実直さと誠意を感じる。

本当にプロレスが観たくて、

東京ドームのビッグショーを観たくて

集まった観客の数だ。


3万人と発表したって誰もとがめはしないのに、

正直な2万9000人。

あと、もう1000人集めよう、

もっともっと努力しようの尊い数字である。


管林直樹社長と木谷高明会長の誠意と

意気込みの表れと言っていいだろう。


だから、本当にプロレスが観たくて集まった

プロレスファンは爆発した。


その導火線に火を点けたのが、

中村あゆみさんのLIVEパフォーマンス。

『風になれ』の生歌だった。


そういえば、鈴木みのる20周年記念興行

(2008年6・18後楽園ホール)でも、

あゆみさんが『風になれ』を熱唱して鈴木を迎え入れた。


しかし、今回は東京ドーム。

テンションは比較にならないだろう。

あゆみさんのハスキーボイスに衰えなし。

ドーム全体が盛り上がる。

鈴木みのるにとっても、

こんなオイシイ入場は初めてなのではないか?


永田裕志vs鈴木みのる。

鉄板カードは、やはり鉄板の内容だった。

永田が勝利を収めて、

シングルでの通算戦績を4勝4敗の五分とした。


この一戦を見て思い出したのは、

やはり最初の永田ー鈴木戦。

20003年、新日本プロレスのリングに

舞い戻ってから5カ月で実現した永田との一騎打ち。


エンドレスの張り手合戦、痛めた左腕を蹴りまくられても

「痛くねーよ!アッハハハ」と笑って舌を出す鈴木。

今のみのるスタイルが出来上がる原点となった試合である。


8度目の一騎打ちは、あの試合に被って見えた。

2人の対戦に理屈やこじつけ、ストーリーはいらない。

もう高校生時代からストーリーが出来上がってしまっているのだから。

今回は特にその原点を強く感じた。


だから試合後、永田は

「なにかオレの中に違った感情が生まれてきた」

という”違和感”を口にしたのかもしれない。


普段は互いのことを名前で呼ぶことさえ拒絶している両選手。

会場ですれ違っても、口をきくどころか、挨拶もしない。

それが、いざリングで対峙すると、すべてがピタッと合う。


いわば、リング上で闘っているときだけ、

殴り合っているときだけ、

2人は最高の親友となるのかもしれない。


IWGPジュニアヘビー3WAYマッチは、

見事にはまった。

デヴィット、飯伏、ロウ・キ―のジュニア3強が、

1試合の中に3試合分を凝縮するかのように見せてくれた。

1試合で3度オイシイという感じ。


終盤、飯伏がトップロープ上のロウ・キ―を捉えた

飛び付き雪崩式フランケンシュタイナーが攻防のハイライト。

これで決まってもおかしくはなかったが、結局、

デヴィットが雪崩式ブラディサンデーで飯伏をフォールした。


ロウ・キ―以外、つまりデヴィットか飯伏の勝利なら

どちらもハッピーエンド。

そう思って観ていたのだが、

ファン心理は少し違っていたようにも感じる。


新日ファンは、飯伏というレスラーをもう外敵としては見ていない。

だから飯伏を迎えるときの拍手や歓声、会場の空気は、

武藤敬司の入場に通じるものがある。

こうなると、デヴィットも田口もウカウカしていられない。


ところで、スーツに二丁拳銃で入場したロウ・キ―は、

スーツ姿のヒットマン・スタイルで最後まで押し通した。

最初は違和感バリバリだったのだが、

観ているうちに慣れていく。


なぜかなあ?と考えていると、

ハタと気が付いた。

アクション映画などの戦闘シーンで、

スーツ姿は珍しくもない。


ヒットマン、刑事、FBI、CIAの捜査官と、

みんなスーツ姿で大立ち回りを演じる。

むしろハダカの方が不自然となる(笑)。

それに、ロウ・キ―の風貌はまさに”殺し屋”ムードたっぷり。

たまには、こういう演出も悪くない。


テンコジ(天山広吉&小島聡)vs元祖BATT(武藤敬司&大谷晋二郎)は、

入場がひとつの大きなポイントだった。

橋本大地のために用意されていた『爆勝宣言』を、

そのまま大谷が引き継いだ。


普段、腰の低い大谷でも、

ことプロレスラー大谷晋二郎はプライドが高い。

本来であれば、自分のテーマ曲での入場を主張してもいいはず。


だが、大谷は100%、新日本サイドの要請を受け入れた。

大地欠場のお詫びの意味もあるし、

もともとの試合の意味合いを考えたときに、

我を通すわけにはいかない。

ZERO1の代表として、大谷はそう決断した。


「たとえ『爆勝宣言』で入場しても、

試合で全部もっていっちゃえばいいじゃない?」

「そんなわけにいかないですよ(苦笑)。

ボクが目立ってどうするんですか…

今回、新日本さんにも武藤さんにも迷惑かけたのに」


「いや、だから普段の大谷晋二郎でいいってこと。

顔面ウォッシュと、チョップや蹴りへの突進攻撃の二つが出たら、

もう大谷晋二郎の世界なんだから」


「ハッハッハッ…そうですかあ(笑)。

まあ、がんばります!」


大会1週間前、大谷の代役参戦が発表された夜、

電話で大谷本人とこんな会話をした。


本番では粋な演出。

入場ゲートに大谷と大地が並び立ち、

大地は自分が巻いていた鉢巻を大谷に託した。


当日、試合を迎えるまでに何度か

バックステージで大地とすれ違った。

いつもの大地の空気ではなかった。

いつもの大地ならケロっとして明るい表情をしているはず。


だが、左腕を吊った大地にまったく笑顔はない。


「やっと選手としてドームまで来たのに、

悔しいし、情けないですね」


大地は、いつでもリングに上がれるような目をしていた。

デビューから1年と10ヵ月、初めて味わった挫折だろう。

いや、挫折ではなく屈辱か?

1年後のドームといわず、もっと早い時期のリベンジに期待したい。


試合では、武藤が見事なアシストぶりを披露した。

格、キャリアを考えたらもっとわがままな武藤敬司でもよかったと思う。

しかし、しっかりと空気を読んでいた。


それは12年前、2人で1・4ドームの花道を歩いたときと

すべてが様変わりしていたことも暗示していた。

スーパースター・武藤に負けない存在感を身に付けた大谷。

武藤&大谷組はじつにシックリと馴染む好チームになっていた。


最後は意地のテンコジ連携の前に、大谷が大の字。

文字通り、大の字。

これほど潔い大の字は大谷にしか似合わない。

負けても絵になる男、

負けて価値の落ちない男、

ある意味、大谷ワールドだったのかもしれない。


真壁vs柴田は真壁の土俵に柴田が乗っかった闘い模様。

殴り合い、しばき合いの正面衝突。

真壁のリズムだった。


本来の柴田であれば、

横の変化でもスピードの緩急でも勝負できたと思う。

「新日本プロレスに喧嘩売りにきました!」


あの第一声のインパクトが真壁を呼び込んだ格好だし、

そう宣言した以上、柴田は真正面から行かざるをえなかった。

体力、パワーに勝る真壁との正面衝突では、

やはり柴田に分が悪い。


その結果、新日ファンが溜飲を下げる真壁渾身の勝利。

ひさびさに、口だけではなく内容の伴った真壁のベストマッチ。

それだけに、今度は柴田の土俵に立った試合を見たい。


ケンカ上等だけではなく、打撃の技術、

グラウンドの技術も駆使した柴田で臨んでほしい。


ダブルメインイベント第1試合。

IWGPインターコンチネンタル選手権。

勝負論においても内容面でも、

もっとも予測不可能なカードである

中邑真輔vs桜庭和志。


もしかしたら、この闘いのために、

真輔は総合格闘技も経験し、

プロレスラーとして腕を磨いてきたのかもしれない。


中邑真輔というアーティストのひとつの節目、

集大成ともいうべき試合。

ある意味、真輔の手のひらのようでもあったし、

桜庭だからこそ手のひらに乗ることができたのかもしれない。

これは、おそらく両方なのだろう。


奇想天外なジャンプしてのパスガ―ドからの踏みつけは、

あのホイス・グレイシーとの90分間の死闘で見せた名シーン。

それが真輔の顔面にヒット。

これがプロレスリング。


あのアレクセイ・イグナショフ戦、高山善廣戦を彷彿させる

カウンターの膝蹴りはどんピシャリのタイミング。

一瞬にして真輔の苦闘の歴史が甦る。


封印していたランドスライドを放ったのは、

桜庭との体格差、パワーの差を誇示するためだろう。

これがプロレスラーのパワー。


桜庭の顔面をぐしゃりと押しつぶした、

スライディング式ボマイェ。

桜庭が相手だからこそ、

変則攻撃が冴えるし、際立つ。


異種格闘技戦でもない、

総合格闘技でもない、

UWFスタイルとも違う。


それならなにか?と問われたら、

これはプロレスなのだろう。

真輔は「ようこそ、プロレスリング・プロレスリングへ」と称した。

言葉にするなら、そうなるのかもしれない。


昨年度のプロレス大賞で、

遅すぎた技能賞を受賞した真輔が、

誰にも真似のできない闘いで、

桜庭をプロレスリングの世界へいざなった。


それに乗っかって見事なポテンシャルを披露した桜庭。

おそらく、桜庭自身は自分でこの試合の評価を下せなかったと思う。

総合の試合であれば、勝負論を踏まえて素直な感情を表現すればいい。

だが、プロレスの評価を下すのは観客・ファンである。

だからこそ、試合後はノ―コメントだったのではないか?


ジャッジははっきりと下された。

予想をはるかに上回るスリリングな名勝負。

プロレスラー・桜庭和志の第二章のスタートに相応しい試合。

過去6戦、やや戸惑いながら試合をしていていた桜庭が、

きっと何かを掴んだ試合。


たぎったぜー!!


真輔との再戦も観たい。

他の選手と桜庭が交わるのも観たい。


金沢克彦オフィシャルブログ「プロレス留年生 ときめいたら不整脈!?」Powered by Ameba


ダブルメインイベント第2試合。

IWGPヘビー級選手権では、金の雨が存分に降り注いだ。

以前のオカダ100ドル札から1万ドル札へと高騰。


政権交代を賭けた大一番。

しかも、外敵絡みではなく、

新日本プロレス同士による一戦。


それだけに、世代交代、政権交代が現実のものとなれば、

そこにはシビアな現実が待っている。

棚橋陥落、オカダ新時代という見出しが躍ることになる。


実際に、その可能性は十二分にあったし、

残酷な怖いもの見たさの感情もファンの中にはあったろう。

結果的に、棚橋はレインメーカーを完封した。

見事なスリングブレイドで切り返すことに成功した。


スリングブレイドは、オカダのような長身の相手のほうがキレイに決まる。

棚橋には跳躍力があるし、それだけ滞空時間も長くなるからだ。


試合後、金の雨がまた降るのか、

エアギターが奏でられるのか、

そこは本当に紙一重だったと思う。


なにが明暗を分けたのかといえば、

棚橋の言葉にあった事実ではないか。


「オレは時代は変えるものじゃなくて、

動かしていくものだと思っています」


試合後のバックステージで棚橋はこうも言ったらしい。


「この数年間、時代を動かしてきたのは

オレと中邑だと思っています」


その通りだろう。

タイプの違う2人が、

プロレス観をぶつけ合いながら、

今日の新日本プロレスを構築してきた。


この日のダブル・メインイベント2試合は、

そんな中邑と棚橋の一つの集大成を見せたものかもしれない。


「時代が変わる瞬間を見てほしい!」


オカダは何度もそう言った。

過去を遡ったときに、棚橋からそういうセリフを聞いた記憶がない。

言っているのかもしれないが、印象には残っていない。


オカダほどに棚橋は自信満々ではなかったし、

いつも、もがき苦しんできたように感じる。

中邑だって同じ。

史上最年少IWGP王者となったことが、

反対にどれほど真輔を苦しめたことか?


相手と闘い、ファンと闘い、マスコミと闘い、

今の棚橋と真輔がある。


史上最悪のドーム興行と言われた、

2005年の1・4東京ドームのメインで対戦して以来、

2人はプロレス界と勝負してきた。

そして気が付いたら、時代を動かしていた。


そんな感覚ではないのか?

オカダ政権もいいが、もっとタメがあってもいい。

結果論になるが、そんな気もしてきた。


2万9000人の興奮の声が、

ダイレクトにリングサイドの放送席まで届いてきたドーム大会。


20013年1月4日は、プロレス復興記念日。

将来的に、そう位置付けされるかもしれない

素晴らしい興行だった。
                                 金沢克彦オフィシャルブログ「プロレス留年生 ときめいたら不整脈!?」Powered by Ameba