年明けで油断しているうちに、新刊が出ていた。

DVDマガジン『燃えろ!新日本プロレス』vol.33が、

1・4プロレスの日に発売。


正月進行ということで、異例の金曜日発売となったが、

今号は『涙は似合わねぇ!哀愁のアンチヒーロー!!』というタイトル。

私見でいくと、無茶苦茶レアな試合がギッシリと詰まっている。


決して世紀の大一番とは言えないが、

記憶にしっかりと刻み込まれた試合、

選手たちがラインナップされている。


これは燃えプロでしか観られない!

そう言いきってもいいだろう。


全試合ノ―カット収録DVD(114分)のメニューは、

次の6試合。


①ランバージャック・デスマッチで因縁を血の清算!!

アントニオ猪木vsラッシャー木村

(1981年11月5日、蔵前国技館)


②タイガ―マスクの後継者、ビミョー?なデビュー

ザ・コブラvsデイビーボーイ・スミス

(1983年11月3日、蔵前国技館)


③マネージャー若松、生涯最高の晴れ舞台!!

アントニオ猪木&上田馬之助vsアンドレ・ザ・ジャイアント&将軍KY若松

(1986年5月1日、両国国技館)


④元横綱の初登場に、ドームはブーイングの嵐!!

北尾光司vsクラッシャー・バンバン・ビガロ

(1990年2月10日、東京ドーム)


⑤孤高の”イス大王”、”闘将”と意地の熱闘!!

アニマル浜口vs栗栖正伸

(1990年8月16日、千葉公園体育館)


⑥選手会に反旗を翻した”ド演歌ファイター”のド根性!!

蝶野正洋vs越中詩郎

(1992年7月31日、札幌中島体育センター)


金沢克彦オフィシャルブログ「プロレス留年生 ときめいたら不整脈!?」Powered by Ameba

①10・8蔵前での初対決は猪木が暴走の反則負け。

1カ月ぶりの再戦では猪木が木村を流血に追い込み、

腕ひしぎ十字固めでTKO勝ち。

猪木ファン、新日ファンが溜飲を下げた試合。


だが、タオル投入のTKO負けに納得のいかない木村は大荒れ。

これ以降、猪木vs国際軍団の図式がエスカレートして、

1年後には1vs3の変則タッグマッチが実現する。

完全決着のはずが、じつは果てしなく続く闘争のプロローグなのである。


②1983年夏に突如引退したタイガ―マスクの穴を埋めるために

大抜擢を受けたのが類まれな身体能力を持つジョージ高野。

マスクマン、ザ・コブラに変身した高野は、

新日本の救世主として大いに期待された。


その対戦相手が、謎のマスクマン、ザ・バンピート(※こうもりの意味)。

ところが、試合前からコブラの歯車は狂ってしまった。

選手コールを受けたバンピートが自らマスクを脱ぎ捨てる。

次の瞬間、会場は”キッドコール”の大合唱。


正体は、カルガリーの天才児ことデイビーボーイ・スミスだった。

まだスミスを知らないファンが風貌が似ていることから、

ダイナマイト・キッドと勘違いしたのである。


このスミスが強かった。

従兄のキッドに勝るとも劣らない過激な攻撃を連発していく。

妥協のない攻めに慌てたコブラは、ノータッチプランチャを自爆。

結果的に青息吐息の勝利を収めたものの、

皮肉にも人気が爆発したのはスミスの方だった。


当時、この試合の録画中継は異例の形式で放送された。

実況を消して、BGMが流れる中、コブラのいいシーンのみを

中心に編集してのオンエア。

こんな放送は前代未聞。

今回、悲劇のマスクマン誕生の映像をノ―カットで収録している。

これはレア中のレアといっていい。


周知の通り、現在IWGPタッグ王者につく

デイビーボーイ・スミスJrは、このスミスの息子。

天才児と呼ばれた父親と、その血をひく息子を

比較してみるのもおもしろい!


ちなみに、私は会場でファンとして観戦していたが、

バンピートの正体がスミスと分かった瞬間、大喜び。

それほどスミスの初来日を待ち望んでいたからだ。


③マシン軍団のマネージャーから、アンドレのマネージャーへ。

じつは超の字が付くほどの真面目人間、若松市政が、

海外修行時のリングネーム、将軍KY若松としてリングへ。


新日本の両国国技館のメイン登場という、

一世一代の晴れ舞台を経験する。

当時、ファンの憎悪を一身に浴びていただけに、

若松がやられるたびに観客は狂喜乱舞。


若松にとっては、まさに一夜限りの

ニュージャパンドリームであったろう。


④24歳で相撲を廃業した第60代横綱・双羽黒こと

北尾光司のプロデビュー戦。

90年の2・10東京ドーム大会といえば、

新日本vs全日本の対抗戦、猪木&坂口vs橋本&蝶野が

実現した歴史的なドーム興行である。


そこへ、ハルク・ホーガンに心酔する北尾が、

ホーガンとUWFを意識したコスチュームで登場したものだから、

大観衆のブーイングはこの日、ピークに達した。


ちなみに、新日本の控室でも、全日本サイドの控室でも、

北尾のデビュー戦を見届けるため、全選手がモニターに釘付けだったとか。

そして、残念ながら控室は笑いに包まれてしまった。


まず形から入ってしまった北尾に、

新日ファンが拒絶反応を示すのは当然だった。

相手が職人ビガロでなければ、もっと目の当てられない事態となったかも。

結局、この5カ月後、長州現場監督と衝突した北尾は、

新日本を解雇されている(※契約解除)。


元横綱というプライドも実績も、プロレス界では通用しない。

それを如実に示す北尾のデビュー戦である。


⑤一度は全日本マットで引退を余儀なくされた栗栖が、

大仁田の好敵手としてFMWでカムバック。

容赦ないイス攻撃と妥協のないラフファイトで

”イス大王”として、ついに大ブレーク。


90年6月、古巣の新日本マットに帰ってくる。

「長く付人を務めた猪木さんに恩返ししたい」

そんな本人の純な思いとは裏腹に、

新日ファンはインディーの成り上がりにして、

出戻りの栗栖に容赦ない罵声とブーイングを浴びせた。


完全に開き直った栗栖は、イスを振り回して大暴れ。

8・2後楽園ホールでは、若き破壊王・橋本真也と

新日マット史に残る喧嘩マッチを展開し、

ヒール人気を不動のものとした。


その栗栖が唯一、師と仰ぐアニマル浜口とも喧嘩別れ。

浜口vs栗栖の一騎打ちが千葉で実現することになる。

この大会は私も取材しているが、

会場全体での大乱闘から、試合後ところ構わず

筋肉ポーズ(※「気合ダー!」ポーズ)を決める浜さんの威勢のよさは健在。


一方、孤立無援、孤軍奮闘の栗栖には、

ヒールの哀愁、遅咲きの不良中年のバラードが流れていた。


⑥これぞ、サムライ越中詩郎・第2章のスタートとなる

メモリアルマッチだろう。

高田伸彦(現・延彦)との名勝負数え唄がひと段落し、

その後、中堅の座に甘んじていた越中。

現場監督の長州とも犬猿の仲で、半ばやる気をなくしかけていた。


ところが、92年の幕開けと同時に青柳政司、齋藤彰俊ら

誠心会館との抗争が勃発。

新日サイドで全面に立ったのは越中と小林邦昭。

その後、越中&小林が誠心会館の興行に出場した一件から

選手会と越中&小林が対立し、2人は選手会から追放処分に。


だが、小林の大病(胃がん)が発覚したために、

越中は独りで選手会に立ち向かう。

独りぼっちの反乱。

新選手会長・蝶野vs前選手会長・越中。

遺恨カードに出陣した越中はスキンヘッドに変身。


この札幌大会での一騎打ちが、

のちの反選手会同盟結成へとつながる。

さらに、反選手会vs選手会、反選手会vsWAR、天龍の新日マット参戦…

壮大なドラマへのプロローグとなった一戦だ。


最大の見せ場は前代未聞の雪崩式ブレーンバスター合戦。

投げた方が自らコーナーに仁王立ちして、

「投げてみろ!」と吠える。

こんな攻防は見たことがないし、

越中だからこそサマになる。


ド演歌ファイター越中、本格ブレイクのスタート。

同時に、G1クライマックスを迎えるたびに名勝負を展開する

越中vs蝶野闘争のスタートでもある。


この33号には、アンチヒーロー、孤独なヒール、

ベビーフェイスを超えた人気ヒールの闘い模様、

人生劇場がグッと胸に迫ってくる貴重な試合が網羅されている。


私個人にとっても、忘れることのできない試合ばかりである!


なお、マガジンの後半3試合の試合解説は私が担当しており、

『実録!新日本プロレス事件簿』第33回にも寄稿している。

テーマは、1987年6月3日、福岡大会での橋本真也vsヒロ斉藤戦の真実。

ヒロ斉藤の左手甲骨折、長州&マサ斎藤による橋本制裁事件である。


事件といえるのかどうかは微妙なところだが、

プロとは何たるかが改めて問われる騒動である。


燃えろ!新日本プロレスvol.33

『涙は似合わねぇ!哀愁のアンチヒーロー!!』

発行元=集英社

定価=1680円

絶賛発売中!