明けましておめでとうございます。


1月4日は、プロレスの日。

1・4東京ドームが仕事始めの日。


1989年4月、新日本プロレスが東京ドームに初進出して以来、

大阪、名古屋、福岡、札幌も含めて、すべてのドーム大会を

取材してきたし、UWF、SWS、藤原組、全日本プロレス、PRIDE、K-1の

東京ドーム大会も取材した。


あ、UFO『LEGEND』なんていう大会もあったなあ(笑)。

あれも取材したな、そういえば。


唯一、欠勤してしまったのは2005年の7・18ノア東京ドーム。

同日、新日本の札幌大会のテレビ解説が入っていたので、

やはりそちらが優先となったわけで仕方のないこと。


ちなみに、札幌大会のメインは藤田和之vs天山広吉の

IWGPヘビー級選手権。


王座防衛に成功した藤田が、橋本真也の遺影の前に

2代目IWGPベルトを捧げ引き揚げていった試合。

そう書けば、思い出す人も多いだろう。


藤田といえば、大晦日にはとんだ災難に見舞われた(苦笑)。

プロレスのできない自称プロレスラーの再生に付き合わされて、

予想通り、消化不良の不透明決着。


ハッキリ書いておくが、あの試合はプロレスである。

そこに仕掛けるも仕掛けないもない、

プロレスである。


なぜ、ショッパイ試合と結末になったかを、

今さらムキになって指摘するのもアホらしい。

東スポwebサイトで「オレは初めから仕掛けてやった」だとか、

書いている張本人がショッパイからだ。


本当に仕掛けた人間が「仕掛けた」って自慢するかよ。

それに、仕掛けたのに負けたってことは、

仕掛けられた側が勝ったということ。

これって、ものすごく恥ずかしいことだと思うのだが…(笑)。


しかもレフェリーストップ寸前、藤田に頭をボコンと蹴られ、

そのダメ―ジでしばらく立てなかった人間が言うなって。


キミは宮根さんを恫喝していればいいの。

ついでに、「ハッスル!ハッスル!」とやればよかったのに。

そういう方面にしか、救いと存在感を見いだせないのだから。


まあ、藤田が一生懸命、再生に力を貸してくれたのだから、

それを無にしないためにも、今後はギャラでごねたりしないこと。

常連となったリングを離脱する際には、

無関係な第三者に責任を押し付けるような卑怯な言い訳をしないこと。


また、プロレスラーを名乗るのであれば、

しっかりと体を作ることから始めて、

プロレスを舐めることなく、

イチからプロレスに取り組んでもらいたい。


みなさん、そんなに大騒ぎすることはない。

藤田vs小川戦はプロレスである。

プロレスとは、なんでもあり。

なんでもありだから、おもしろいのだ。


それがおもしろくなかったとすれば、

当然、責任は管理団体と選手にある。


だから藤田にも責任はないとは言わない。

だけど、試合後に天下のアントニオ猪木を「テメー」呼ばわりするほどブチ切れ、

共同インタビューでは悔し涙を流すほど、

IGFに本気で取り組んできた選手を

批判することはできないだろう。


どう見てもどう考えても、

戦犯は、ひょこっとプロレスに帰ってきた人。


すべてにおいて、小川直也は”超”ショッパイ!

これが結論、以上。


しまった。

こんな、つまらない話を書くから長くなってしまう(苦笑)。

1・4東京ドームだった。


試合開始時刻は午後5時だが、

ダークマッチがあったり、

プロレス3D用の撮影があるので、

テレビ朝日『ワールドプロレスリング』解説陣は

午後2時前後に会場入りと決まっていた。


当日、後楽園駅からグルッと回って、

午後2時ちょうどに東京ドーム正面側まで来た。


「エッ!?」


人が並んでいる。

しかも相当な数。

いや、並んでいるどころか、

とぐろを巻いた状態。


その先頭を見ると、

1・4ドームの当日券売り場。

もう少し先へ進むと、

グッズ売り場にも人が群がっている。


驚いた。

こんな光景は何年ぶりに見たろうか?

ここ数年、早めに会場入りする私の目に映るのは、

ドーム前の閑散とした風景ばかりだった。


本当に、これからイベントがあるの?

そんな感じの淋しい人の流れ。

ジャニーズ系のコンサートがある日とは、

まったく別世界という感じの東京ドーム前。


ところが、嬉しい誤算。

いつか見た、あの人だかりが

また帰ってきたのだ。


前売チケットは昨年の2倍売れた。

有料入場者は2004年以来の動員数だという。

確かに、フィールド、1階スタンド、2階スタンド、

さらにジャンボスタンド席まで埋まっている。


テレビ解説の担当ではない第3試合を

ベンチ前から観戦しているとき、

たまたま隣に木谷高明会長の姿を発見。

新年の挨拶を交わしたあと、木谷会長がポツリと言った。


「なんとか2004年の入りまで戻すことができましたよ」


例によって、笑顔はない。

この人の目標は、もっともっと高みにあるのだ。

そのときは、別件の話を少しだけした。


だが、心の中には感謝の二文字しかなかった。

有言実行の木谷高明という人物が現れたからこその復興である。

べつに、ここでヨイショして、ご馳走になろうなんて思っちゃいない(笑)。


現場とフロントの努力、親会社の惜しみないバックアップ。

新日本プロレスは三位一体となって、復興の証を見せてくれた。


大会終了後、菅林直樹社長が、2万9000人という動員数を発表。

なぜ、ここ数年で一番チケットが売れたのに、

そういう数字になるのかを説明した。


あくまで真摯な菅林社長。

新日本プロレス一筋のスガさん。

どうぞ、もっと胸を張ってください!

管林社長にも感謝の二文字を贈りたい。


2万9000人。


初めてといっていい東京ドーム大会での実数発表。

考えてもみてほしい。

日本武道館を2回フルハウスにして、

まだお釣りがくる観客数なのである。


2013年はプロレス復興元年。

2013年1月4日は、プロレス復興記念日。

将来的に、そう位置付けできるメモリアルデーとなるかもしれない。


肝心の試合はどうかって?

それはもう解説不要でしょ?

それでも解説しろって!?


では、またの機会に!