25日(木)発売のDVDマガジン『燃えろ!新日本プロレス』は、
若き日の”ドラゴン”躍動する藤波辰巳(辰爾)特集。
『飛龍の鮮烈!ジュニア黄金時代の夜明け』のタイトル通り、
日本マット界にジュニアヘビー級という新たなジャンルを構築した
藤波の凄み、格好よさがこれでもか!と溢れかえっている。
全試合ノ―カット収録のDVD(112分)の
メニューは次の通り。
①MSG熱狂、ここに飛龍伝説始まる!!
カルロス・ホセ・エストラ―ダvs藤波辰巳
(1978年1月23日、米国・マジソン・スクェア・ガーデン)
②ブーム最高潮で珠玉のライバル抗争!!
藤波辰巳vs剛竜馬
(1978年7月27日、日本武道館)
③因縁の”敵前逃亡事件”に決着!!
藤波辰巳vsエル・カネック
(1979年6月7日、蔵前国技館)
④新日マット初見参”爆弾小僧”と白熱の攻防!!
藤波辰巳vsダイナマイト・キッド
(1980年2月5日、愛知県体育館)
⑤ドラゴン、入魂のストロングスタイル!!
藤波辰巳vs阿修羅・原
(1980年4月3日、蔵前国技館)
①はプロレスの殿堂、ニューヨークのMSGにおいて、
まさに新スター誕生の瞬間である。
2年半の海外武者修行、さらにゴッチ道場で鍛え上げられた
藤波のボディは、いま業界で流行するバキバキボディ、
アスリートボディの草分けでもある。
スピーディーに動き回る切れ味抜群の若者が、
最後に魅せた大技は過去だれも見たことのない
ゴッチ直伝のドラゴン・スープレックス。
この1発にニューヨークのファンも大喝采。
見事にWWWFジュ二アベルトを奪取した藤波に、
舟橋慶一アナウンサーがマイクを向けると、
「I never Give up!!」
の声が返ってきた。
24歳のシンデレラボーイ誕生である。
②は、78年5月に国際プロレスからフリー宣言した
剛竜馬がフロリダのヒロ・マツダのもとで修行し、
藤波の新ライバルとして、WWFジュニア王座に挑戦した試合。
剛はまだ22歳。
実力的にまだ藤波には及ばなかったものの、
必死の闘いぶりで館内を沸かせ、ジャーマンスープレックスで
あわや!というシーンも作りだした。
剛竜馬、生涯のベストバウトと言っていいだろう。
翌79年10月には藤波を破り、2日天下ながら
WWFジュニアベルトを巻いた剛。
ジュニアブーム到来を実感する好勝負である。
③本来であれば、77年の藤波凱旋シリーズで、
挑戦者となるはずだったカネックだが、
タイトルマッチを前に緊急帰国。
敵前逃亡事件として、大騒ぎとなった因縁カード。
実際のところ、カネックはガイジン選手同士のイザコザに巻き込まれ、
新日本側がマスク剥ぎマッチと勝手に発表したことで、
試合をキャンセルしたのが実情だった。
藤波のメキシコ修行時代もライバルだった両雄。
1週間前の大阪でのタイトルマッチは引き分け。
その決着戦となったのが因縁の蔵前国技館。
この後、藤波がヘビー級に転向してからもシノギを削った両雄。
藤波vsカネックの長きにわたるライバルストーリーにおいて、
そのプロローグとなった一戦でもある。
④79年8月、カナダ・カルガリー遠征中に、
英連邦ジュニア王者のダイナマイト・キッドと初遭遇。
ダブルタイトル戦を行ない両者リングアウトで引き分けた両雄。
藤波本人も、同行した新間寿営業部長も
「こいつは本物だ!」
とキッドにゾッコン。
翌80年の新春シリーズで、ついにキッドの新日本マット初登場が実現。
キッド戦の4日前、NWAインターナショナル王者のスティーブ・カーン
とダブルタイトル戦で闘った藤波は2冠王となり、
この試合ではWWFジュニア王座のみが賭けられた。
若干21歳ながら、キッドはまさにカミソリファイター。
キャッチレスリングとラフ攻撃の両方を兼ね備えた男だった。
藤波とのライバル闘争は短期間だったが、
その後、キッドはタイガ―マスク最大のライバルとなる。
若き爆弾小僧の雄姿を目に焼き付けてほしい。
⑤国際プロレスとの対抗戦として行なわれた阿修羅・原戦。
当時、WWU世界ジュニア王者だった原は、
国プロ期待の星であったが、まだキャリア3年。
持てる力をフルにぶつけて善戦したものの、
やはり藤波のキャリアに圧倒されてしまう。
決め技は、三角絞め(※記録では逆片腕固め)。
どんな相手と闘っても対処できる藤波の強さと
自信が垣間見えた試合でもある。
日本マット界にジュニアヘビー級というジャンルを確立し、
時にはアントニオ猪木のメインイベントを食ってしまった藤波。
その草創期を見て、プロレスラーを志した者も数多くいる。
時代の開拓者、ドラゴンの雄姿は眩しいばかりである!
燃えろ!新日本プロレス
『飛龍の鮮烈!ジュニア黄金時代の夜明け』
発行元=集英社
定価=1680円
明日(25日)、木曜日発売!