「両国大会のこと、いつ書くんですか?」


この2~3日、周りの仕事仲間から催促をうける。

そう、書かなきゃいけないのに、どうも構えてしまう。

構えてしまうから、他の仕事を優先してしまう。


だから、構えることなく書いてみたい。

もう、間もなく、テレビ朝日『ワールドプロレスリング』で、

IWGPヘビー級選手権(棚橋弘至vs鈴木みのる)が

オンエアされてしまうのだから。


10・8両国大会。

もう一つのメインイベントは第1試合。

中西学復帰戦だった。

カードは、中西&永田&ストロングマンvs矢野&飯塚&石井。


午後3時に会場に着いて、リングサイドへ向かった。

そこで奇しくも一番先に出会った選手が中西だった。


シューズの紐を締め直している中西。


「どう、緊張してる?」


「もう緊張もなにも言葉が出てきません」


「体が反応してくれるか、ですね?」


「それもやってみないと分かりません。

自分にとって、二度目のデビュー戦ですから」


「最初のデビュー戦…全盛期のノートンをジャーマンで投げたじゃない。

エルボーでマシンの記憶を吹っ飛ばしたじゃない。

大丈夫、応援してますから!」


「がんばります!」


なにか気の利いた言葉を引き出そうとしたが、無理だった。

無理に決まっている。

言葉が出てこない――それが本音だろう。


中西とガッチリと握手を交わして分かれた。


テレ朝サイドでも異例の体制をとった。

なんと中西復帰戦だけ、『ワールドプロレスリング』用に、

放送席で顔出しの前振りを収録したのだ。


放送席のメンバーは吉野真治アナウンサーと私の2人。

誰よりも中西学を愛する2人である。


スカパー!PPV中継などはべつとして、

放送時間が30分となった『ワールドプロレスリング』で、

実況陣の顔出しなど、しばらく見たことがない。

私自身も、記憶に残っていない。


それほど、中西復帰戦には力が入っていたし、

ワープロ関係者はみんな中西ファンなのだ。


率直に言うなら、復帰戦の相手がCHAOSトリオで正解だと思っていた。

矢野、飯塚、石井と3人が3人とも仕事人、職人レスラーだから。


しかし実際に試合が始まると、とんでもない光景が展開された。

CHAOSの3選手は、中西の首、背中ばかりを狙って、

思いっきり集中打を浴びせていく。


私は甘いなあ。

プロレスは甘くない。

このリングは甘くない。

このリングに怪我人、病人は上がれないし、

コンディションの悪い人間は消去されてしまう。


実際、それは内藤哲也vs高橋裕二郎でも実践された。

右膝の壊れている内藤は、本来の内藤哲也を見せることができない。

だから、裕二郎はトドメを刺した。


中西は頑張った。

攻めまくられたが、体は動いていた。

なによりも、欠場前より絞り込み、

ビルドアップした肉体は圧巻だった。


手術を受けた首が一段と太くなり、

その周囲の僧帽筋が盛り上がっている。

首をカバーするために、どれだけの時間を費やして

トレーニングに没頭してきたかは一目瞭然だ。


中西を本気で潰しにいった矢野、飯塚、石井。

決して中西を守るのではなく、後押しした永田とストロングマン。

感動なんて陳腐な言葉では表現できない。

6選手はみんな美しかった。


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昨年6月4日、地元の京都大会で負傷し、

緊急入院した中西。

翌日の東京スポーツを読んでそれを知った私は、

中西に連絡を入れてみた。


つながらないだろうなあ、と思っていたのだが、

中西は携帯電話に出てくれた。


「いやあ、そんな大騒ぎになっているんですか?

大丈夫ですよ、痺れも取れてきたし、

こうして携帯を持って、金沢さんとも話せるじゃないですか。

少しベッドで大人しくしてます」


中西の声が暗くはなかったので安心した。

だが、その後、怪我の状態が悪化したことを聞いた。

三澤威トレーナーが、私に状態を逐一教えてくれた。


もちろん、そういう話を私が記事にしないということを、

長い付き合いの中で分かってくれているから教えてくれるのだ。


昨年9月、中西は都内の病院に転院してきた。

永田から、お見舞いに行ったという報告があった。


「金沢さんも見舞いに行って、元気づけてあげてください」


本当に永田は優しい。

それに永田にとって中西という存在は、

いま、新日本プロレスで頑張っている唯一の同期なのである。


9月18日、友人と一緒に見舞いにいった。

中西は転倒防止のため杖をついていたが、

自力でしっかり歩いていた。


「首にメスを入れることになりました。

このことはまだ黙っていてもらえますか?」


笑顔はなかった。

杖をついているのに、談話室のイスを動かして

セッティングしてくれる中西。


いいから、そんなこと俺らがやるから!


そう言う間まなく、中西が動く。

やはり心優しい、気配りの男。

根が繊細なのだ。


試合が終わった。

リング上で、永田、ストロングマンと抱擁を交わす中西。

その姿を見て、この1年4カ月が一瞬にして頭を駆けめぐった。


そういえば、半年ほど前の天山の言葉も忘れられない。

仕事帰りに天山の車に同乗させてもらっているとき、

新日本のスタッフがこう言った。


「中西さんも、もういいトシなんだからアセらなければいいのに!」


すると、温和な天山が多少キツイ口調でこう返した。


「トシがいってるからこそアセるんですよ!」


同じく長期欠場からカムバックしてきた天山の言葉だから重かった。


ニシオくん(※若手時代の中西のあだ名、カシンが命名)、

よく我慢したな、よく戻ってきたね!


カムバックおめでとう!

元気な姿を見せてくれて、ありがとう!



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中西復帰戦と桜庭&柴田の試合は、

この大会でイレギュラーなもの。

無論、イレギュラーな試合も大いに観客を沸かせている。


ただし、私自身が10・8両国大会というイベント全体を通して感じたものは、

過去との闘いだった。


鈴木みのるがブチ上げたテーマが、

メインイベントだけではなく、

飯伏vsロウ・キ―のIWGPジュニアヘビー級選手権にも、

内藤vs裕二郎にも、オカダvsアンダーソンにも、中邑vs後藤にも、

試合に垣間見えたような気がする。


鈴木みのるという外敵が、

9・23神戸大会で言い放った言葉。


プロレスごっこ。


今のプロレスはサーカスだ。


今のプロレスは曲芸だ。


そう言っている昔のやつら、

みんな黙らせてやる。


一連の鈴木発言を中邑真輔はこう分析した。


「あれは棚橋も含めて、みんなレスラーの気持ちを背負った言葉。

鈴木みのるは、自分のプロレスに自信とプライドを持っている」


飯伏は飛んだ。

しかし、あれは曲芸でもサーカスでもない。

命懸けのパフォーマンス。

プライドに溢れたオリジナルのケブラ―ダである。


実際に、飯伏vsロウ・キ―はキックボクシングか、

総合格闘技か、といった間合いから始まった。

なんとなく、格闘スタイルのロウ・キ―が

ヴァンダレイ・シウバに見えてしまったのは私だけだろうか?


飯伏vsロウ・キ―も、間違いなく強さを競うプロレスだった。


試合後、かつてキックのスペシャリストとして鳴らした、

解説の山崎一夫さんがこう言っていた。


「今のプロレス界でイチバンいい蹴りを持っているのは、

飯伏クンと中嶋(勝彦)クンですよ!」


私も同感である。


オカダvsアンダーソンは、

私が今年度のベストバウトだと確信した

『G1クライマックス』優勝戦の試合から、

また一歩進化した攻防を見せた。


中邑vs後藤も凄まじかった。

一回り体を分厚くさせた後藤のパワーは倍増。

中邑の首、肩が何度も悲鳴をあげた。


「後藤と聞いただけで首が痛くなる」と

苦笑いする真輔。

今回は、苦笑いで済まないほどに痛めつけられた。


だが、最後の最後、ここしかないというチャンスに

必殺のボマイェ。


鈴木とはモチベーションが違っても、

3年前に過去との闘いをブチ上げたことのある中邑。

会心の闘い、勝利であったことを示すかのように

珍しく中邑が手を突き上げた。

これも自然に出たパフォーマンスだろう。


メインイベントは、今年3度目の一騎打ち。

棚橋の逆回転ドラゴンスクリューから試合が動き始めた。

鈴木の狙いは左腕、棚橋の狙いは右膝。


プロレスの古典的な技、もっともポピュラ―な決め技である

足4の字固めが決まったシーンがハイライトだった。


「折ってみろー!」


鈴木の叫びが響いた。

おそらくオールドファンなら、

あの名場面がオーバーラップしたはず。


1985年9・19東京体育館。

猪木vs藤波の師弟対決。

レフェリーはル―・テ―ズ。


前年、長州を始めとした維新軍が大量離脱し、

ピンチを迎えた新日本がマッチメイクした純新日本プロレス対決。


藤波の足4の字に苦悶する猪木が、

「折ってみろー!」と絶叫したシーンである。

あれは藤波の覚悟を問う猪木の叫びだった。


右脚の利かない鈴木は、とにかく殴る。

棚橋の顔を張って張って張りまくる。

みるみる棚橋の顔が腫れ始めた。


29分が過ぎて、棚橋のハイフライフローが完璧に決まった。

この試合で初めてのカバー。

初めてのカバーで3カウントが入った。


重い重い試合だった。

鈴木が見せたサプライズは見事なドロップキックだけ。

ただ、ドロップキックもプロレスの基本技だということを忘れてはいけない。


そして、試合後の共同インタビュー。

棚橋がおもしろいことを言った。


「厳しい闘いだったけど、実は試合前に憎しみみたいのは消えていて。

というのも昔から、昔話『泣いた赤鬼』がすごく好きで、

赤鬼のために青鬼が悪役を買って出る、あの気持ち。

すっごい青鬼が好きで…。

その青鬼と鈴木みのるがダブったんだよね。

まあ、性格が悪いことには変わりないけど」


ハッとした。

泣いた赤鬼。

有名な童話で、私たちの時代では、

小学校低学年の国語の教科書にも掲載されている。


棚橋も幼少のころ、それを読んだのだろう。

あるいは、棚橋ソックリのジュニア君に

その絵本を読んであげているのかもしれない。


私にとっても思いで深い。

小学校2年の校内読書感想文コンクールで、

私は『泣いた赤鬼』の感想文を書いた。


それがクラス代表に選ばれて、

学校の文集に掲載された。

運動会以外で初めて一等賞をとった。

自分の文章が多くに人に読まれる。

嬉しくもあり、気恥ずかしくもあった。


『泣いた赤鬼』とは、こんなストーリー。


ある山の崖下に住んでいた赤鬼は、人間と仲好くしたいと願っていた。

だけど、その風貌が恐ろしいので人間たちは近寄ってこない。

そこで、友人の青鬼が考える。


「ボクが里に行って暴れるから、キミはボクをぶつんだ。

ボクを退治したら、きっと人間たちはキミがいい鬼だと分かってくれる」


2匹の鬼はそれは実行した。

人間たちは赤鬼とすっかりうちとけて、

赤鬼の家にも人間が遊びに来るようになった。

赤鬼にとって、楽しい日々が続いた。


そのうち赤鬼は音沙汰のない青鬼のことが気になって、

家に訪ねてみた。

入口のドアを何度、叩いてみても返事がない。

ふとドアに貼ってある貼り紙に気が付いた。

そこにはこう書かれていた。


「赤鬼くんへ。

ボクと仲好くしていると、

キミはまた悪い鬼だと思われてしまいます。

だから、ボクはしばらく旅に出ます。

いつまでも友達の青鬼より」


これを読んで、赤鬼は泣いた。

何度も読み返しては泣いた。

何度も何度も泣いた――。


こんなストーリーである。


棚橋が赤鬼、鈴木が青鬼。

プロレスファンが人間にあたるのか?


もちろん、この場合の赤鬼と青鬼は友達ではない。

友達ではないし、世代も違うが、

同じ時代にプロレス界のトップを競うライバルである。


昔、人間たちに支持された黒鬼や、黄鬼たちが、

鬼仲間のことを批判する。


だから、青鬼は立ち上がったし、

赤鬼はそれを受けて立った。


「俺たちのことを批判できるのは、

人間たち(ファン)だけなんだ!」


青鬼の本音を、赤鬼は理解していた


そこで完全燃焼の名勝負が生まれた。


小学2年生のときの読書感想文。

つたない子どもの文章だけど、

私は最後の締めにこう書いたことだけは覚えている。


「そのはり紙をみて、赤おには泣きました。

なんどもなんども泣きました。

青おにのことを思って泣いたのだと思います。

ぼくは、赤おにも青おにも、おんなじぐらい

いいおにだと思いました」


棚橋も鈴木も、堂々と過去と勝負した。

本当におんなじぐらい、素晴らしい選手だと思う。

ある意味、2人とも勝者だと思う。


10・8両国大会。

勝者は、その日リングに上がった

プロレスラーそのものだった。