8月30日、江東区のスカパー!東京メディアセンターで

サムライTVの人気番組『Versus』の収録が行なわれた。


主役は、9・9東金の20周年記念興行を控えた永田裕志。

このところ、サムライTVもテレ朝『ワールドプロレスリング』も

こぞって永田特集、永田尽くしといった趣きであるが、

今回、永田のリクエストで決まった対談の相手が馳浩衆議院議員。


永田をスカウトして新日本プロレスへと導き、

プロレスラーとしてのイロハから指導した文字通りの師匠である。


当日、私は番組の台本と、収録時の進行役を担当した。

こうなると、どうしてもあの件を聞きたくなってしまう。

そう、例の7・1両国大会(新日本&全日本40周年合同興行)の一件だ。


一応、説明しておくと、当日、ダブルメインイベントとして、

その第1試合が三冠ヘビー級選手権(秋山準vs太陽ケア)で、

第2試合としてファイナルに組まれたのが、

IWGPヘビー級選手権(棚橋弘至vs真壁刀義)だった。


馳先生はPWF会長として、三冠戦の立会人を務めたのだが、

後日、そのときの観戦記をブログ(はせ日記)に綴った。

その内容を簡単に言うと、三冠戦は絶賛、IWGP戦をボロクソ。


これはファン、マスコミの間でも波紋を呼んだし、

批判の対象とされた棚橋もブログで不快感を示し、

真壁にいたってはそうとう固くなっていた。


私自身も、あそこまで書くのはいかがなものか?

もっと愛情のある書き方があるのではないか?

という感じで、当ブログに書かせてもらった。


一応、問題とされた『はせ日記』を引用してみる。

超満員。

プロレス熱再燃か。

それもこれも新日本プロレスが業界のリーダーとして、

若いスター選手を輩出し続けているから。

感謝。

でも、ダブルメインは試合内容が明暗を分けた。


秋山対太陽ケアの三冠戦は、これぞプロレス、の醍醐味。 

腰の入った重々しい打撃戦もいいし、試合展開もスリリング。

とくに、ケアのチョップはいい。

世界の現役プロレスラー、ナンバーワン。

説得力のある技の応酬。

秋山のフィニッシュは納得のエンディング。

大満足。

ただ、二人とも、もうちょっとおなかの肉を絞れよ、くらい


それに比べて、棚橋対真壁のIWGP戦は、薄味。

ストンピングは軽いし、無理やり作る表情は痛々しいし、ちょっと、客受け狙いすぎ。

試合こそまぁまぁ成立しているけれど。

ストーリー性がない。

対戦する二人が背負っている人生の怒りも、悲しみも、苦しみも、喜びの爆発も、無い。
観客の思い入れをすかした試合。
確かにワーワーキャーキャーしているけれど、この試合を音声なしで見たら、どうなることやら。
誰だ、この棚橋と真壁にプロレス教えたのは?と、そう思う。
もうちょっと、プロレスの深みにどっぷりと嵌ってほしい。
もうちょっと、基本技を習得してほしい。
そして、プロレスのタクティクスやアングルやサイコロジーを理解してほしい。
「技を出しゃあ、いい」ってもんじゃないのに。
そう思った。


やっぱり、いま読み返してみても痛烈だ。

これが文章の怖さというか、録画・録音でもしない限り、

記憶だけが残り、時間の経過とともにその記憶も消去されしまう

”しゃべり”との大きな違い。


ただ、相手は馳先生。

こういった文章を単にそのときの感情に任せて書きなぐるわけもない。

だからこそ、その部分の真意を知りたいと思った。


当日、A4紙で2枚ほどになる進行台本を作り、

現場に入った。


『Versus』の場合、本番での緊張感を重視するので、

収録前、対談する選手同士を会わせないで、

打ち合わせも別々に行なうのが恒例となっている。


まず、馳先生の控室に入って打ち合わせ。

例によって、人懐こい笑顔を浮かべて待機していた馳先生。

私が「一応こんな感じで進めたいんですけど」と

進行台本を渡そうとすると、「いりません!」ときっぱり。


これは私の想定内。

これでも馳浩とは長い付き合いだから、

彼の性格は知っているつもりだ。


例えば、アントニオ猪木のような超大物であれ、

天龍源一郎、藤波辰爾であっても、

こういうときは台本を受け取る。


台本通りに話す気なんかなくても、

渡されたら受け取るのが礼儀だと思うから、

形だけでも、目を通す気がなくても受け取る。


そこで、「いらない」と拒絶するのは、

おそらく業界でも長州力か馳ぐらいのものだろう。

無論、受け取らない理由は個々違うと思う。


長州の場合、それを言葉に代えるなら、

「めんどうくさい!なんでオマエの指示に従わなければいけないんだ」

という感じになるだろう(笑)。


馳先生は、

「オレと永田の対談に台本なんか不要だよ」

という率直な思いがあるからだろう。


それでも、一応確認する。


「時系列はちゃんと頭に入っていますか?」


「入ってます」


「1時間番組だから、あまりに話が脱線して進んでいったら、

ボクが軌道修正しますからね」


「うん、わかりました」


そこから、私は本題に入った。


「7・1合同興行のあと『はせ日記』で、IWGP戦をキツク書いたじゃないですか?

ファンがイチバン聞きたいのはその話だと思うんだけど、その話題はOKですか?」


「話すのはいいけど、オレからは触れられないよね」


「了解です。

じゃあ、永田に振ってもらうようにします」


続いて、永田の控室へ。

私の台本に目を通すと、何度か苦笑い。


「しかし、金沢さん、よく覚えているよねえ(笑)。

じゃあ、最後の方で棚橋vs真壁戦の話はオレから振りますから、

金沢さんがタイミングを見て指示してください」


実は、永田自身が聞きたいことも台本には入れておいた。

1992年のデビュー早々、金沢大会の第1試合で

永田は西村とシングルマッチを行なった。


自分なりに満足できる試合だったし、

セコンドについた高岩には「いい試合だったね!」と褒められた。

私もその試合を見ていた。

デビューしたばかりの永田がここまでやれることに驚いた。


永田自身も、私に褒められたことを覚えているという。

ところが、控室に戻った永田は、馳コーチに怒鳴られ、

往復ビンタを食らった。

あのときの理由が今でも分からない。

そこを聞いてみたい、というのが今回の永田の希望でもあった。


対談は、いわゆるぶっちゃけトーク。

馳先生に至っては上機嫌で下ネタ全開。


「ここには衆議院議員の馳浩じゃなく、

元プロレスラーの馳浩個人で来てますからね」


そう言って、話題を盛り上げていく。

饒舌な永田であっても、さすがに馳トークにはかなわない。


「オレは最低の人間だからね。

永田、オマエも最低だろ?

この間、諏訪魔と対談したときも言ったんだよ。

オマエ、もっと最低の人間になれって(笑)。

でも最近思うのは…オレ、もっと最低にならなきゃいけないなあって」


こういう振り切ったところが馳浩の真骨頂なのだ。

馳の言う”最低”とは、周囲の評価などで一喜一憂することなく、

自分勝手に思い切り我がままに人生を生きてみろ!

言葉にするなら、そういうことなのだ。


それにしても驚きなのが、昔のどんな小さな出来事でも、

馳先生はちゃんと覚えていること。

極端な話、10年前に駒澤の居酒屋で

永田や私と会話したときの内容まで覚えている。


そりゃあ、この人に台本がいらないのも納得がいく(笑)。

まず、永田が疑問をぶつけていった。

例の往復ビンタ事件である。


「覚えているよ。

なぜ殴ったかと言ったら、あまりに試合がスイングし過ぎていたから。

試合を見ていて無性に腹が立ってきたんだよ」


「自分では、当時よく分からないんですよね」


「だから道場でさ、スパーリングとは別に、

若手同士で模擬試合とかやらせたことがあるじゃない?

そこであの試合なら100点、120点なんだよね。

それこそ、大谷やヒロキチ(天山)たちに、

オマエたちも永田を見習え!って言うと思うよ。

だけど、お客の前で見せる第1試合がスイングしすぎていたらダメなんだよ。

あれで満足されちゃ、成長がないし。

お客に対しても、どこかアレって思うようなものを残さないと。

それによって、またお客さんは観たいと思うわけだから」


「そうだったんですか。

でもヒロキチって…いま誰も分かりませんよ(笑)」


「だからね、この間の棚橋vs真壁がそうなんだよ。

IWGPは確か両国のメインだったよね?」


「そうですね」


なんと、永田の疑問から始まって、

馳先生が自ら話を膨らませ始めた。

偶然なのだが、話の流れからいけば必然。

いずれにしろ、馳浩はやはりタダモノではないのだ。


「三冠戦は伝統的な全日本プロレスらしい試合だったよね。

そこに秋山のカラ―が少し入って、おもしろかった。

だけど、IWGPは興行を締めくくるメインイベントじゃない。

そこでスイングした試合、予想した範囲内の試合じゃダメだろうって。

棚橋vs真壁なら、もっとスゴイ試合ができると思ったんだよね」


「でも馳先生、オレから言わせると、

あの試合は棚橋vs真壁の精いっぱいというか、

オレはああいう試合になると思っていましたよ。

ストンピングが軽いと言ってましたけど、

あれは2人とも膝が悪いから…」


「ストンピングのことなんて、100あるうちの1つだよ。

棚橋と真壁なら、もっとできなきゃおかしい」


あとは、本番の放送を見て確認してほしい。

少なくとも分かったことは、あの日、

馳浩はしっかりと試合の本質を見極めようとしていたということ。

軽い気持ちで書いたわけではないことは理解できた。


「オカダのドロップキックは素晴らしいね。

あれだけで金の取れる技という感じ」


そんな言葉も出てきた。


「オレの当面の夢はね、文部科学大臣になったら

SPを連れてリングに上がることかな」


「SPがピストル出したらどうすんですか?」


「そうしたら、そのSPを後ろからきた真壁がイスでぶん殴る。

その真壁を後ろから森喜朗さんがイスでぶん殴ると(笑)」


真面目な話から、こういったジョークまで…

もしかしたら馳先生はリングに未練たっぷりなのかも。


「リングに上がるために、自分で納得できるコンディションが

作れなくなったときが引退のとき」


そう、教え子の永田に言葉を贈った馳先生だが、

逆に言うなら、コンディションができたら上がる気十分ということ?

それなら、是非とも馳vs真壁の遺恨シングルマッチが見てみたい。


とにかく、この対談は中身が濃くておもしろかった。


馳先生自身が、新日本引退→全日本入りの真相、

武藤敬司の全日本への引き抜き工作(?)は

かなり前から進んでいたこと、

幻に終わった橋本真也vs川田利明の全日本ドーム決戦など、

自分の関わった過去に関して、思い切りカミングアウトしてくれる。


馳先生の”最低”ぶりは、最高に気持ちいい!


金沢克彦オフィシャルブログ「プロレス留年生 ときめいたら不整脈!?」Powered by Ameba


◎サムライTV『Versus♯68 永田裕志vs馳浩』

 9月4日(火)23:00~24:00、ほか。