8日の日曜日は昼・夜と後楽園ホールの興行へ。

まず、正午からZERO1が

『大谷晋二郎デビュー20周年記念 活!喝!勝!』を開催。


多少、寝坊してしまったので会場入りしたのは

試合開始の15分前だった

サムライTVの中継(15日、23:00~25:00放送)があるので、

遅刻したらシャレでは済まない(苦笑)。


「やべえなー」と思いつつ、5階でエレベーターを降りると、

受付、入場口付近がお客さんで溢れんばかり。

「アレッ?」という感覚になる。


こう言ってはなんだが、普段のZERO1興行では

あまり見られない光景なのだ。

ここ4カ月で4回の後楽園ホール大会は、

すべてホールの南側客席をクローズしたパターン。

これは正直寂しい。


しかし、今回は全面開放したうえによく入った。

全体で8割は埋まっているから、ほぼ満員。

やはり熱気が違う。

こうなると、俄然、放送席もいつにも増して気合が入るというもの。


大谷のデビュー20周年興行。

メインカードは炎武連夢(大谷&田中)vsテンコジ(天山&小島)。

セミには橋本大地vs丸藤正道。


これで集客しなかったら嘘だろう。

ZERO1の弱点は、いくら好カードを組んでも試合内容がよくても、

パブリシティ不足が響いて、客足に結び付かないこと。

今回はいつもよりパブリシティが行き届いていたような気がする。


一言でいえば、嬉しい!

2001年の3・2両国大会”旗揚げ戦”から

ZERO1(※当時ZERO-ONE)中継の解説を務めていることもあるし、

大谷との20年は、私の中で大切な時間。

彼に対しては、仕事を超えた特別な意識を抱いている。


注目のセミファイナル。

丸藤が先に入場してきた。

リングインした丸藤は、北西側の通路に目をやった。

そこには車椅子に座った星川尚浩がいて、観戦していた。


丸藤が親指を立てると、

星川も同じアクションで返した。

いい光景だ。

丸藤は試合後も真っ先に星川のところへ挨拶に行っている。


星川vs丸藤。

ZEROーONE旗揚げ戦を飾ったオープニングカード。

まさに、名勝負だった。

あの試合に新団体の未来が詰まっていた。


みちのくプロレス出身の本格派と天才レスラーの初遭遇は、

両国国技館を爆発させたし、放送席も唸った。


すでに丸藤は次代の日本ジュニア界を担う逸材と言われていた。

一方の星川は新日本マット参戦経験もあったし、

ホームのみちプロでライガーと一騎打ちを行なったこともある。

「素晴らしい選手だ!」とライガーもその素材を絶賛していたものだ。


ところが、橋本は星川のことをまったく知らなかった。

そこもまた破壊王らしさか…(笑)。

インディーの選手に関しては、ほとんど知識を持っていないのだ。

だから、この第1試合は星川にとってトライアウトと位置付けされていた。


試合を見て、入団か否かを橋本が決めることになっていた。

無論、橋本は驚いたし、星川にトライアウトを課したことも恥じている。


担当の実況アナウンサーは、あのボンバー森尾さん。

森尾さんから試合の感想を求められた私は、

「100点満点です!」と即答した。

ゲスト解説は武藤敬司と角田信朗さん。


「星川選手の蹴りは腰が入っていていいですねえ。

それに丸藤選手は、信じられない動きをしますね!」


角田さんが驚愕する。


「オレ、この星川っていう選手は初めて見たんだけどいいねえ。

ねえ、金沢さん、彼は誰にプロレスを習ったの?」


武藤も興味津々で、試合後には究極のセリフを吐いている。


「第1試合でこれやられたら、あとの選手はキツイぜえ!」


ともかく、この2人によって、ZERO-ONEのトビラはこじ開けられた。

しかも、最高の試合で…。


昨年、ZERO1は、3・6両国大会で10周年興行を行なった。

実は、そこに丸藤参戦プランもあった。

その話がスタートしたとき、

丸藤は自ら「第1試合に出させてもらいたい」と言ったらしい。

本当に、丸藤らしい言葉。

あの星川戦は、丸藤にとってもレスラー人生に残るメモリアルなのだ。


ただ、残念ながらスケジュール等の諸事情により、

丸藤の参戦は流れてしまった。


話を戻そう。

あとから入場してきた大地。

その表情は鬼気迫るもの。

上目遣いにリングを見据える顔、いや目がオヤジそっくり。


いわゆる黒眼が上マブタにくっついた三白眼になっている。

これは橋本真也が、気合の入ったとき、

怒りを爆発させるときに見せる目だった。


試合中も、丸藤のソバットを食って腹を押さえた場面で、

同じ三白眼になって丸藤を睨みつけた。

本人は意識していなくても、破壊王の遺伝子が

ところどころに顔をのぞかせる。


丸藤が上手いこともあるのだろうが、

大地は成長ぶりを見せつけた。

蹴りも、DDTも、シャイニング・ウイザードも形だけから脱している。

確実に、相手にダメ―ジを与える技になった。

頭で考えるより先に、体が動くようになったのだろう。


そんな大地に対して、丸藤は厳しさと優しさの両方を見せた。

安易に出てくる技は絶対に食わない。

トラ―スキックはズバリと入れる。

強烈なトラ―スキックの連打でほぼ勝負あり。


それなのに丸藤はカバーにいかずに、

大地を強引に引き起こし不知火で決めた。

厳しさは優しさでもある…丸藤がそれを改めて教えてくれた。

この一戦で大地はまた何かを掴んだと思う。


いよいよメインイベント。

リング上が華やかになる。

炎武連夢も負けられない、

テンコジも負けられない。


だが、勝利を奪い取ったのは田中だった。


「大谷晋二郎だけにオイシイところは取らせない!」


その宣言とおり、チームワークを駆使しながら、

一瞬のスライディングDで小島をフォ―ルしてのけた。


ビッグマッチでは負け続けの大谷が勝った。

だが、取ったのは田中。

「あくまで勝利にこだわる」と言った大谷の気持ちは、

こういう結果で出た。


大谷がフォ―ルを奪って有終の美といかないところが、

力量の拮抗したチーム同士の闘いを物語っていた。


ZERO1の大会が盛況で終わった。

次は、午後6時半から新日本の後楽園ホール大会。

新日本のカード編成を眺めていて、ようやく気がついた。


「あれ、また田中がメインじゃないか!?]


そう、メインは7・22山形大会のダブル前哨戦。

棚橋&後藤vs田中&中邑。

IWGPヘビー級選手権とIWGPインターコンチネンタル選手権の

ダブル前哨戦という好カードである。


たまたま控室から出てきた田中に声をかけた。


「新日本でもメインなんだねえ。

こうなったら1日2連勝、

しかも自力フォ―ルだったら凄いことでしょう(笑)」


田中は苦笑する。


「昨日の開幕戦(新日本・高崎大会)もメインだったんですよ。

帰って来たのが夜中だったから、ほとんど寝る間もなくホールに来て。

まあ、眠くてまいりましたよ。

あと1試合…がんばりますよ!」


新日本のホール大会はまたもギッシリと埋まった。

1900人、満員。

本当に昨年11月あたりから、新日本の後楽園ホールは

すべてギッシリと埋まっている。


これだけを見ると、業界は”新日本プロレスブーム”と

言いきってもいいような気がする。

1990年代の黄金期だって、

必ずホールが埋まっていたわけではないからだ。


メインは素晴らしい試合だった。

棚橋vs田中、後藤vs中邑の闘いを軸にスパークする。

そういえば、後藤vs田中も因縁の闘い。

過去、ビッグマッチのたびに、後藤vs田中が定番という時期もあった。

通算8戦して、後藤の4勝3敗1分けだったと記憶している。


他にも、新日本vsZERO1の対抗戦から始まり、

田中が単独で新日本マットに侵攻し始めてから、

因縁の抗争、連戦はいくつも続いた。

田中vs中西、田中vs金本、田中vs永田、田中vs真壁、

そして田中vs後藤…。


特筆すべきは、田中と絡むことによって、選手が生き返ること。

とくに、後藤と真壁は田中戦をキッカケにステップアップしてきた。


真壁が待望のIWGP王座戴冠を果たした王者時代…

2010年の下半期、3度の防衛戦に成功しているが、

潮崎戦、中邑戦と評価がイマイチだった。


というのも、真壁らしさが出なかったから。

真壁という男は向上心は当然として責任感も強い。

だから王者になったことにより、あまりに高見を意識し過ぎた感がある。


ワンクラス上の自分を見せようとした結果、

カラ回りしてしまったようにも見えた。

それらを払拭したのが、やはり田中を相手にした3度目の防衛戦。


動き回って攻めに攻める田中に対し、

どっしりと構えて応戦する真壁。

これが実に王者らしく、

真壁の防衛戦の中ではベストバウトになった。


奇しくも、田中サイドから見ると、あれから2度目の最高峰チャレンジとなる。

棚橋とはシングルで1戦して1敗。

それが、2009年の『G1クライマックス』公式戦。


両国の公式戦最終試合で対戦した棚橋vs田中。

田中が勝てば、単独トップで決勝トーナメント進出となる。

ガッチリと噛み合った。

ハイフライフローvsスーパーフライ。

お互いに一度かわされたものの、意地で2人とも二度飛んで決めた。


結果は、棚橋の勝利で、棚橋、真壁、田中が同点首位。

ただし、田中は棚橋、真壁に敗れているため、脱落。

棚橋と真壁が決勝トーナメントに進み、結局、真壁が初Ⅴを達成している。


「オレの肉体に唯一負けない男がいた」


それが試合後の棚橋のコメント。

棚橋流の最高の賛辞だった。

その時点で棚橋はIWGP王者としてのG1出陣。

王者が田中の実力を認めたのだ。


さて、8日のメインは衝撃のラストシーンを迎えた。

後藤が中邑を捉え必勝の後藤式に丸めこむ。

万事休すかと思った瞬間、田中がダッシュ。


なんと、後藤式が決まったところへスライディングDを叩きこむ。

これでは後藤も逃げようがない。

大ダメ―ジの後藤へ中邑がトドメのボマイェ。


意外性というより仰天のフィニッシュ。

事実上、トドメを刺したのはスライディングDだろう。


「すべてが予想以上で来るな。スタミナ、コンディション、スピード…

ぜんぶオレの上をきた。ただ、オレはあいつよりも進化すればいいだけだから」


こと田中と当たると、棚橋発言はストレートになる。

事実として認めざるを得ないからだろう。


一方、新日本マットではCHAOSの一員にして、

コンプリートプレイヤーズ(田中、邪道、外道、高橋)を結成している田中。

その証として竹刀を携えている。


本来、田中に竹刀など不要である。

しかし、コンプリート時代の象徴として、

また自分をヒールとして位置づけるために、

ギミックとして持参しているのだ。


試合後のコメントでも、初めはヒールキャラを押し出していた。

そこへ、テレ朝の野上慎平アナウンサーが質問をぶつけた。


野上アナは、7・22山形でIWGP戦の実況を務める。

7~8月、吉野真治アナがロンドン五輪の取材に出向くため、

この期間、野上アナが実況班のリーダーを担うのだ。


もう古澤琢さんにも頼れない。

野上アナにとっては大勝負のとき。

彼の頭の中は、棚橋vs田中でいっぱいになっていた。

大会の合間に、私は野上アナから様々な質問を受けた。


橋本のIWGP通算防衛記録(20回)を棚橋が超えた(21回)ことに、

どういう意味があるのか?


橋本真也はどういう王者だったのか?

連続防衛Ⅴ10の永田裕志はどういう王者なのか?

その2選手と比較して、棚橋はどういう王者なのか?


田中将斗は、IWGPベルトをどう評価しているのか?

田中というレスラーは雑草と言っていいのか?

日本人で唯一、ECW世界王者になったことは、

どれぐらいの価値があるのか?


質問攻めに遭った。

私は知る限りの田中将斗を伝えたし、

王者としての橋本、棚橋の比較論(持論だが…)も展開した。


そういえば、新人時代の吉野アナも同じだった。

知らないこと、知りたいことは遠慮なく私に尋ねてきた。


大丈夫。

この姿勢と意欲があれば、

野上アナは”エース”吉野真治不在の穴を埋めることができると思う。


最後に、私は「なによりも田中本人に聞いてみたらいい」とアドバイスした。

だから、野上アナは実に素朴な質問をぶつけた。

素朴な質問に、田中は真っ直ぐすぎる返答を連ねた。


「IWGPというのは、田中選手にとってどういうベルトですか?」


「ぶっちゃけ、今のプロレス界の中でイチバンのベルトちゃう?

なんのベルトが今イチバン欲しい? IWGPのベルトやろ。

そんなもん、リングに上がってる人間すべて分かってるやろ。

いろんなベルト欲しいって人間おるよ。

でも最終的になにが目標かっていったら、IWGPやろ。

それほど価値のあるベルトやろ。歴史も価値もある。

歴史があって、いま価値があるかどうかのベルト、そんなもんはいくらでもあるよ。

歴史があって、いまも輝いているベルト、そんなの日本に数本しかないやろが。

その中でトップにあんのが、IWGPじゃ。

そうやろ?

分かりきったこと聞くな!」


                    金沢克彦オフィシャルブログ「プロレス留年生 ときめいたら不整脈!?」Powered by Ameba


他団体の田中将斗が断言するからスゴイのだ。

他団体所属のレスラーがなかなかここまでは言えない。

あとで野上アナは「あのコメントは嬉しいですね」と笑みを見せた。


田中将斗がなぜ、正直にIWGPの価値をここまで言えるのか?

それには理由がある。

田中にとって、新日本プロレスという団体そのものが特別だからだ。


田中が大仁田率いるFMW育ちなのは周知の通り。

無論、当時からメジャーのトップに位置していた新日本マットは憧れだった。


そこに、もっと特別な感情を抱くようになったのは、

1996年のある出来事から。

6・30横浜アリーナで『第1回メモリアル力道山』が開催された。


FMWからの提供試合は若い選手によるタッグマッチ。

リング上で弾けるような試合は好勝負で、

そこにキャリア3年弱の田中の姿もあった。


しかし、他のインディー提供試合には、

目を覆いたくなるような試合があったのも事実。


メインイベント(長州&北原vs天龍&藤波)終了後、

ついに長州が爆発した。

もともとのインディー嫌いが、さらに嫌悪感へと変わったようだった。


「アレと同じものとは見ないでほしい。

あいつらは、いったい何者なんだ!?」


共同インタビューで飛び出したインディー批判。

これに対して、公に反論したのは田中だけだった。

当時、『週刊ゴング』のインタビューで田中はこう言った。


「オレは何者なんかじゃない!

オレは田中将斗だ!」


天下の長州力に向けて、田中はそう返答した。

この長州発言は、さらに田中のメジャー志向をかき立てた。

いつか新日本のリングに立って、目にもの見せてやりたい――。


そのチャンスが間接的に訪れた。

フリ―となった田中は、2001年7月、

新団体ZERO-ONE(当時)のリングに立った。


いきなり、大谷晋二郎と一騎打ち。

田中は衝撃を受けた。


「ジュニア出身の大谷選手なのに、

ここまで当たりが強いのか!」


同時に、大谷も衝撃を受けていた。


「インディーにこんなスゴイ男がいたのか?」


その後も、ZERO-ONEに上がり続けた田中は、

2002年の3・2両国大会で橋本と初のシングルマッチ。

ボコボコに蹴られて敗れ去った。

その直後、正式にZERO-ONE入団を決めている。


田中がZERO―ONEマットを選んだ理由の一つは、

大谷というライバルに出会ったこと。

もう一つは、ずっと心に秘めてきたもの。

田中が抱き続けてきた野望を実現することだった。


ZERO-ONEがもっとも新日本に近い団体だから、

いずれ新日本に上がるチャンスがあると思ったのだ。


ところが、実際のところ新日本とZERO-ONEは近いどころか、

もっとも遠い団体になってしまった。


6年という歳月を経て、

ようやく田中は新日本と交わるチャンスに恵まれた。

今や新日本マットは準ホームであり、

田中の存在もまた新日本マットには欠かせない。


思いだすのは、昨年の12・23後楽園ホール大会。

メインは田中vs本間朋晃のIWGPインターコンチネンタル選手権。

会場は超満員の観客で埋まり、試合は大爆発した。


試合前、田中は少し照れた表情で私にこう言った。


「新日本のリングでインディー出身同士の人間が、

しかもシングルのタイトルマッチでメインを取ってもいいんですかねえ」


リングを降りたら、あくまで謙虚な男。

一旦、リングに上がれば、暴風雨のように暴れまわる男。

それが田中将斗。


田中はインディー出身であることに、

決してコンプレックスを持っているわけではない。


どんなに成り上がろうと、インディー出身である自分を忘れない。

だから、それが向上心へとつながる。

この脂肪をそぎ落とした、タフな体がそれを物語っている。


ジムのランニングマシンで、

平然と40㎞走っているレスラーが他にいるだろうか?

底なしのスタミナもそこに裏打ちされている。


「おそらくIWGP挑戦は最後のチャンス」


そう田中は思っている。

7月23日が田中のデビュー記念日。

その前日、キャリア19年分の思いをIWGPにぶつけていく。


正直いって、勝算は五分五分だと思っている。

いや、棚橋自身も認めているように、

個別の要素を比較していくと田中が上回っている部分が多い。


スピード=田中。

スタミナ=田中。

パワー=互角。

コンディション=田中。

ラフ攻撃=田中。

インサイドワーク=互角。


では、棚橋がどこで上回っているかといえば、

閃き(アドリブ)とか執念(新日本プロレス愛)とか、

追い込まれたときに彼が見せる信じられない力だと思う。


この一戦は間違いなく、今年のベストバウト候補になるだろう。

その末に、田中がどんでん返しを見せたら、まさに快挙。

日本人で唯一、ECW世界王者になった男の肩書に加え、

インディー出身の外敵で唯一、IWGPヘビーを巻いた男となる。


これぞ、インディーズ・ドリーム。

奇跡の瞬間を目撃できるかどうか、

私も心して放送席につこうと思っている。