まず、前回更新した長~い文章のことだが、

コメントの書き込み欄に目を通してみると、

みんな本当にプロレスのことをよく考えているなあ、と感心させられる。


同時に、みんな熱いなあ。

プロレスが好きだからそうなるのだろうなと痛感させられる。


プロレスの見方は十人十色。

いろいろな意見が出てくるのは当たり前だと思う。

馳先生のブログを勝手に引用させてもらったのは申しわけないが、

どうしても無視はできなかった。


馳浩という人物の性格は私なりに知っているつもり。

同い年だから、彼の現役時代にはけっこう手が合うほうだった。

この人は、思ったことをしまっておけないタイプ。

批判を浴びたり物議を醸すことなど覚悟のうえで発言する。


感性のおもむくままに、自分の感性を信じて言葉を発するのだ。

2002年初頭に、武藤敬司を始め、小島聡、ケンドー・カシン、

フロントの中枢数名が新日本を離脱し、全日本へ移籍した際に、

馳は新日本のオーナーである猪木(当時)から名指しで批判された。


つまり、「陰でこそこそやるな。馳、お前が黒幕だろ!」ということである。

それに対し、馳は真っ向から反論した。


「私には信念がある。

猪木さんがなにか言いたいのであれば、

いつでも受けて立ちます!」


天下のアントニオ猪木を向こうに回して一歩も引かなかった。

2002年4月18日、ZERO-ONEの旗揚げ第2戦(日本武道館)でも、

興味深い出来事があった。


解説は私が務め、ゲスト解説には馳先生と吉田秀彦という豪華メンバー。

メインはもちろん、奇跡の遭遇と呼ばれた伝説のタッグマッチ。

三沢光晴&力皇猛vs小川直也&村上一成(現・和成)。


試合は、内容的にも結果もノア勢の圧勝に終わった。

三沢のレスリングテクニックが小川を封じ込め、

力皇の突進力とタフネスに小川&村上はタジタジとなった。


試合の総評を求められたとき、解説の3者はこう答えている。


「小川は悔しくて眠れないでしょう!

なにもさせてもらえなかった。

完全に三沢ペースの試合で結果も完敗。

それと、なぜ三沢がパートナーに力皇を選んだのか、

みなさんもよく分かったと思いますよ」(ワタクシ)


「小川先輩のいいところをもう少し見たかったですね」(吉田)


「ハイ、今日はノアの大会でした!」(馳)


これは、スカパー!PPV生中継で流れたのだが、

あとで放送を見た橋本真也は激高した。

馳と橋本は非常に仲がよかったのだが…。


「馳の野郎、なんだよ、あの言い方は!?

アイツとは絶縁だ、もう!」


無論こういう話は時間が解決してくれるし、2人は絶縁などしていない。

破壊王も”瞬間湯沸かし器”っぽい部分があるので、ついカッときたのだ。


つまり、馳先生は自分の感じたことを言葉にするとき、

極論を口にしてしまうから、もの凄く厳しい表現となる。


もうひとつ、注目の対抗戦タッグマッチ

(中邑&オカダvs諏訪魔&近藤)に関して。

この試合も意見、見方が分かれている。


私は最後に涼しい顔で勝ち名乗りを受けるオカダに、

また底知れぬ魅力を感じたクチだ。

棚橋も同意見だった。


先だって、仕事で一緒になったとき、

棚橋はあの試合をこう評した。


「アレはオカダの試合でしょう。

諏訪魔選手がいくら大暴れしても、オカダは退く様子もなかった。

あいつが精神面も強くなったことを証明したと思いますよ」


その一方で、ほぼ業界同期の関係者は、私にこう言った。


「あれじぁあ、諏訪魔のひとり勝ち、ひとり舞台ですよ。

やられたらやり返す…少しぐらい汚い手を使っても。

それが昔からの新日本ですからね」


そう言われたら、それも一理あるのだ。

では、例えば亡くなった星野勘太郎さんならどう言うだろう。


例えばオカダがまだ若手選手だったとしたら…

「お前はやられてばかりで、なぜやり返さない? それでも新日本か!?」

とシャワールームに呼んでぶん殴っていたかもしれない。


血気盛んな星野さんは攻めの新日本の代表格のような人。

根本に受けの美学を持つ棚橋とはプロレス観が違うのだ。


単に勝敗ではなく、どちらが、誰が試合を持っていったかは大事なテーマ。

それが真っ二つに分かれるのもプロレスというジャンルならではのこと。

答えが一つではない世界なのだ。


だから私は小学生のころからプロレスが大好きだったし、

小学生のころから数学が大嫌いだったのだ(関係ないかな?)。


と、まあ、みなさんのコメントを読ませてもらっていたら、

ついつい熱くなってしまった。

本題は、これから。


そう、燃えろ!新日本プロレスvol.20である。

今回の20号は、事件特集となっている。


『暴動!腕折り!新日マット事件史』と題して、

全試合ノ―カット収録DVD(119分)のメニューは以下の通り。


①怒りの闘魂、腕折り事件

アントニオ猪木vsタイガ―・ジェット・シン

(1974年6月26日、大阪府立体育会館)


②雪の札幌テロ事件

藤波辰巳vs長州力

(1984年2月3日、札幌中島体育センター)


③第2回IWGP決勝暴動事件

ハルク・ホーガンvsアントニオ猪木

(1984年6月14日、蔵前国技館)


④TPG乱入!!暴動事件

藤波辰巳&木村健吾vs長州力&マサ斎藤

アントニオ猪木vs長州力

アントニオ猪木vsビッグバン・ベイダー

(1987年12月27日、両国国技館)


                  金沢克彦オフィシャルブログ「プロレス留年生 ときめいたら不整脈!?」Powered by Ameba


①1973年5月、川崎市体育館に疾風のごとく乱入してきたインドの狂虎。

あれから1年、新日マットを席巻するシンと、

NWF王座を賭けて2連戦を行なった猪木。


6・20蔵前ではシンの火炎攻撃という奇策にはまり、

猪木が右目を負傷し、そのリベンジ戦として6日後に再戦した。


シンの凶器攻撃、コブラクロ―に大苦戦を強いられた猪木が

ついに奥の手を公開する。

シンの右腕を捕らえると鉄柱に打ち付け、

さらにアームブリーカーを連発。


右腕骨折に追い込む。

長きにわたる猪木vsシンの抗争だが、

この2連戦が最初のピークであり、

”キラー”猪木が初めて降臨した試合でもある。


②「新日本の札幌ではなにかが起こる!」の最初の事件。

テレビ生中継のWWFインター選手権。

入場の花道に現れた長州の姿が突然消えて、

スパナを打ちおろす藤原喜明が映し出される。


テロ行為である。

立ち上がった長州は血ダルマ状態。

ゴングを待たずして、試合不成立という前代未聞の事態へ。


試合をブチ壊され、やり場のない怒りに震える藤波は、

保持していたベルトをリング内へ投げいれる。

さらに裸のまま雪が降りしきる屋外へ。


「こんな会社やめてやる!」


衝撃発言を残すと、コスチュームのままタクシーに乗り込んだ。

この言葉は、陰の仕掛人とされる猪木に向けられたものと言われているが…。

また、襲撃事件を機に藤原は”テロリスト”として一躍注目を浴びる。


③は第2回IWGP決勝戦で起こった不祥事。

第1回の優勝者はもちろん超人ホーガン。

猪木の舌出し失神事件はあまりに有名だが、

その汚名返上とばかりに決勝へ勝ち上がってくる。


相手は、前年度覇者のホーガン。

ホーガンはディフェンディング・チャンピオンとして、

勝ち上がってきた猪木を優勝決定戦で待つ立場にいた。


実際のところ、当時WWF王者だったホーガンは

日本への長期遠征ができない状況であり、

新日本ーWWFのパイプも揺らぎ始めていた。


というのも、前年に猪木の参謀である新間寿氏が新日本を退社し、

IWGPリーグ戦中にビンス・マクマホンが死去。

日本ビイキだったシニアの跡を引き継いだのが、

今も辣腕を振るうビンス・マクマホン・ジュニアだった。


こういった政治的背景もまたリングに影響を与えたのかもしれない。

2年連続ホーガンに負けるわけにはいかない猪木と、

WWF王者として負けは許されないホーガンの闘いは再延長試合に突入。


ここで、なんと乱入してきたのが、Tシャツ姿の長州力。

長州は場外の2人を急襲した。

まず、猪木へリキ・ラリアットを見舞い、続いてホーガンにも突進。

リキ・ラリアットとアックスボンバーが交錯して両者ダウン。

この間に、猪木がリング内に転がり込んでリングアウト勝ち。


理解不能な長州の行動と結末に、ファンの怒りは爆発。

試合後、一部ファンが暴徒化するなど、大混乱を招く。


④は新日本史上、最悪の暴動事件と化した大会。

火種はTPG(たけしプロレス軍団)の結成から始まった。

人気お笑い芸人のビートたけしが東京スポーツ紙と提携し、

「たけし、プロレスに大挑戦!」と銘打ち、プロレス団体旗揚げへと動き始める。


そこに、オールナイトニッポン(ニッポン放送)も乗って、

新人オーディションを行なう。

当時、オーディションを受けたメンバーの中には

今も現役の有名レスラーが数名含まれている。


結局、TPGがスカウトしてきたという名目でリングに上がったのは、

レオン・ホワイトが変身したビッグバン・ベイダ―。

マサ斎藤を参謀として、たけし率いるTPGがリングに上がり、

猪木にベイダ―戦を迫る。


もともと猪木vs長州の一騎打ちが組まれていたにも関わらず、

これを受諾した猪木に向けて、ファンは大ブーイング。

急遽組まれたタッグマッチ(藤波&木村vs長州&斎藤)の試合中、

終始リングに向かってモノが投げ込まれ、

場内は「やめろ!」コールの大合唱。


そのとき、リングサイドの本部席に座って取材していた私(※弱冠26歳)も

身の危険を感じて通路まで非難している。

これを収めたのが、なんと長州のマイクアピール。


「みんなの気持ちは分かるけど、頼むから試合だけはやらせてくれ!

猪木は必ずオレが引っ張りだすから」


この長州の悲痛な訴えが功を奏し、一旦ファンは収まる。

しかし、その後の猪木vs長州、猪木vsベイダ―はともに不完全燃焼の結末。


観客の怒りが大爆発して、国技館の設備を破損させるなど暴動と化す。

結果的に、新日本は国技館の使用禁止処分を食う破目となる。

サプライズを狙った猪木だったが、もはや全盛期の力は残っていなかった。

それを最悪の形で露呈してしまった歴史的暴動事件である。


新日本プロレスとはなにか?

ストロングスタイルを標榜する一方で、

時代の節目に飛び出す紙一重のスキャンダルプロレス……。


その仕掛人は、ほとんどがアントニオ猪木と言っていいだろう。

スキャンダル、暴動の歴史は、猪木のもうひとつの顔でもある。

その歴史的事実もまた見逃せない!


なお、20号の冊子では、

『実録!新日本プロレス事件簿』第20回として、

「橋本vs小川、運命を変えたセメントマッチ」を私が寄稿している。


他にも、プロレス雑学王コーナーのテーマは、「記憶に残る留学生」。

1987年に19歳で野毛道場に入門してきた

クリス・ベノワの思い出を私が語っている。


ぜひ、冊子のほうも、お楽しみに!


燃えろ!新日本プロレスvol.20

『暴動!腕折り!新日マット事件史』

7月5日(木)発売!

発行=集英社

定価=1680円


さあ、今週の『燃えプロ』はスキャンダラスだぁー!!