最近、イチバン驚いた出来事といえば、

テレビ朝日『ワ―ルドプロレスリング』でお馴染みの

古澤琢アナウンサーが社内人事によりアナウンス部から異動すること。


つまり、『ワールドプロレスリング』の実況からも卒業となる。

その事実をアメーバブログ『俺達のプロレス』

23日更新分で知ったときはショックだったし、

最初は我が目を疑った。


「嘘だろ!?」という感じ。

こういうのを晴天の霹靂と言うのだろう。


後輩の野上慎平アナにしても、

古澤アナから直接聞いたのは先だって20日のことだと書いている。


そう考えると、超満員札止めで埋まった大阪府立体育会館、

6・16『DOMINION』大会を古澤アナはどんな心境で

乗り切ったのかなあ、と今さらながら思う。


試合終了が22時を回り、PPV放送終了時間が22時10分過ぎ。

その後、ホテルにチェックインして、いつもの焼肉屋さんに集合。

ワープロチームで恒例の打ち上げ&反省会を行なった。


当日、ゲストとして、鈴木みのる、TAKAみちのく、アップルみゆきの

3選手が参加したことも以前ブログで書いた。


実はあの後、二次会として”プロレスリングバ―”へ飲みに行った。

メンバーは、古澤アナ、野上アナ、寺川アナ、鈴木、TAKA、アップル、

そして私というメンツ。


「軽く飲みに行こうか!」という話だったのに、

日付が変わって鈴木が誕生日を迎えたこともあり、

妙にみんなのテンションも上がった。

結局、解散となったのは午前4時頃だったと記憶している。


その間も、古澤アナはいつも通りのテンション。

この人は酔って乱れるとか、口調や態度が変わるとか、

そういうことが一切ない。


飲んでも飲まなくても、物腰は変わらない。

常に、ジェントルマンなのである。


プライベートでも仕事においてもジェントルマン。

だから、あのとき、私などは何の変化も違和感も抱くことなく、

いつもの古澤アナだと思って接していた。


ただ、今だから思い当たる節がなにかあるとすれば、

ここ最近、古澤アナの口から、

「ボクももう40(歳)ですからねえ!」

というセリフを何度か聞いたことぐらいか…。


結果的に、古澤アナと私が最後に放送席で並んだ試合は、

当日、第7試合のタッグマッチ(後藤&内藤vs中邑&田中)だったことになる。


さて、明後日の7・1両国国技館大会で、

古澤アナはトリプルメインの第3試合、

棚橋弘至vs真壁刀義のIWGPヘビー級選手権の実況を行なうという。


トリプルメインといっても、この一戦が実質上のトリであり、

新日本&全日本40周年興行を締める闘いだ。


出来ることなら、古澤アナと一緒に放送席に座りたかったなあ。

記念すべき大会のトリでもあるメモリアル実況……

そこに私も参加して彼の卒業の花道に相応しくなるよう、

少しでも役に立ちたいなあと。


また、棚橋vs真壁という顔合わせにも特別な思い入れがある。

1999年の10・10後楽園ホール。


棚橋のデビュー戦(vs真壁伸也)を現場取材しているし、

当時の『週刊ゴング』誌上において、

新人のデビュー戦としては異例ともいえる扱いで、

カラ―グラビア2ページを割いた。


しかも、その一戦を担当したのは私だった。

普通、若手のデビュー戦を編集長が担当することはあり得ない。

ということは、それほど棚橋という選手に光るものを感じたか、

単に人手不足だったかのどちらかだろう(笑)。


まあ、最後の古澤節は後日、テレビ中継で

しっかり聞かせてもらうことにしよう!


私はオファーをいただく側の人間だから、

自分の意思ではどうこうできない。


それにしても遡ってみると……

過去に何人もの実況アナウンサーの卒業を見送ってきたなあ。


私が初めて『ワールドプロレスリング』の放送席に着かせてもらったのは、

1995年の1・4東京ドーム大会。

担当したのは、天山広吉と金本浩二の凱旋マッチだった。


それ以降、ドーム級のビッグマッチになると、

たびたびゲスト解説で呼んでもらうようになり、

本格的にレギュラー陣へ加わったのが、

2002年8月の『G1クライマックス』から。


95年から振り返ると、放送席でご一緒させてもらった

田畑さん、辻さん、真鍋さん、中丸さん、櫻井さんが卒業していかれた。


不思議なもので、

「ようやく息がピタッと合い始めたな!」

と思った頃にみなさん、卒業してしまう。


それを思うと、10年近くも放送席で一緒だった

古澤アナとの関係は特殊だったのかもしれない。

もともと古澤アナが大のプロレスファンだったこともある。


最初から、ものすごく馴染んでいたというか、

呼吸が合っていたように思う。

それに古澤アナは、雑誌やブログに書いた私の文章は

常にチェックしていたし、私の著書なども読んでくれていた。


たとえば、6年前に出版した鈴木みのると私の対談本

『風になれ』(東邦出版)の内容など、

今でもしっかりと覚えてくれている。

著者である私が忘れてしまっている話まで覚えていて、

それを今の実況に引用したりもしてくれる。


私の主張であるとか、見解であるとか、志向であるとか…

そういうことを頭にインプットしたうえで、話を振ってくれるのだから、

しゃべりやすいに決まっている。


放送席の並びにいながら、

アイコンタクトのできる稀なアナウンサー。

それが古澤琢さんなのである。


もともと知識が豊富で、しゃべりが安定している古澤アナ。

一方、劇的に成長し進化した天才肌の吉野真治アナ。

この2大エースがいたから『ワールドプロレスリング』

実況陣のレベルは上昇したと思う。


伝説の舟橋さん、古舘さん、さらに辻さんと、

なんでもかんでも昔は凄かったと言われがちだが、

それはゴールデンタイムでの放送、しかも1時間番組であったことも大きい。


間違いなく言えることは、今の『ワープロ』アナウンサー陣は、

決して当時のレジェンドたちに劣っていないこと。

むしろ業界事情が複雑になり、

試合のレベルが進化しすぎた状況下にあって、

レジェンドを上回っているところも多々あると思う。


だからこそ、それに比較してみると

解説陣がもっとしっかりしなければいけない。

ちょっと勉強不足だし、知識に乏しい。


無論、私もさらに努力しなくてはいけない。

解説者には、ファン以上の知識と見識があって当たり前…。

そして、何よりプロレスを語る感性が要求されるのだから。


またも大きく話がそれた(苦笑)。

ともかく、古澤アナが卒業してしまうのは残念極まりないことだが、

野上アナ、寺川アナが大きく成長するチャンスと捉えることもできるだろう。


かつて、メイン実況の中丸アナがアナウンス部を離れたとき、

そこで驚異的な成長を見せたのが吉野アナだったように!


それに『ワープロ』班には、ピンチと見れば(?)

直訴しても駆けつけてくる大西アナ、三上アナの2人も控えている。

チームワークは抜群なのである。


ありゃ、気が付いたら、また長くなってしまった。

とにかく琢さん、とても残念だけど…一応卒業おめでとう!

ただし、根っからのプロレスファン(オタク!?)なのだから、

プロレスからは卒業することなく、留年してね!


まあ、そんなことは言わなくて大丈夫だろうけど。

古澤琢は、永遠にプロレスファンのままで……

Forever! ever、ever!!


 追伸:最後に、私が勝手に選ぶ古澤琢アナウンサーの

    ベスト実況を発表しま~す!(※訂正版です、すいませんひらめき電球

   武藤敬司&小橋建太vs矢野通&飯塚高史

   (2011年8月27日、日本武道館/ALL TOGETHER)


この感動の余韻に会場全体が浸っている最中、人知れず吉野アナが

八つ当たりする飯塚に思いっきり尻を蹴とばされた。


しかも、カメラはまったくそれを追っていないし、

目撃したのは私だけだった可能性も大!


「いってえー! しかもオイシクねえー!!」と吉野アナ。

あのベストバウト受賞試合を名実況によって

さらに際立たせていた古澤アナのすぐ横で、

そんなもうひとつのドラマがあったため余計に印象深いのであーる!