安岡力也さんが、8日早朝、心不全のため亡くなった。

享年65。


2002年に肝臓を患ってから闘病生活を余儀なくされた力也さんは、

2010年に息子である力斗さん(26)の肝臓を移植する

生体肝移植手術を受けている。

この大手術に関しては、メディアでも大きく取り上げられた。


実は力也さんと仕事で一緒になったことがある。

1999年6月のこと。

当時、サムライTVで武藤敬司がホストを務める

『プロレスの砦』という人気対談番組があった。


当日は、2本撮りの予定で、私は1本目の出演。

収録場所はプロレスファンにはお馴染みである

錦糸町の『一鮨(はじめすし)』だった。


1本目のゲストは、当時『週刊ゴング』編集長だった私と、

『週刊プロレス』の佐藤正行編集次長(当時)。

テーマはプロレス・マスコミ論だから、もう武藤のお得意分野。


競合誌の編集者同士が火花を散らすようにと、

楽しげに煽りまくっていたものだ(笑)。


収録が終わったところで、ディレクターのKさんに耳打ちされた。


「この後、少し時間をいただけませんか?」


何かと思えば、2本目の収録にも参加してほしいと言う。

ゲストは、安岡力也さん。


「武藤さんと力也さんは今日が初対面なんですよ。

この番組は台本もないフリ―トークだから少し不安なもので。

会話している中で、お2人の共通の話題になるようなものが出てきたら、

そこで金沢さんが突っ込んで、話を盛り上げてもらいたいんです。

ボクもカンぺとか出しながら、協力しますから」 


Kディレクターとは長い付き合いだし、特に断る理由もない。

それに、強面で鳴らす力也さんがどんな人なのか興味を惹かれた。


マネージャーもお付きの人もいない。

力也さんが1人で店に入ってきた。

やっぱりデカイし、分厚い。


188㎝の武藤も大きいのだが、

あまりに力也さんが分厚いから、

あの武藤敬司が細く見えるほど。


私の年代からいくと、

グループサウンズ『シャープ・ホークス』の力也さんも知らないし、

ヘビー級のキックボクサーだったころの力也さんも知らない。


昔の映画で何度か観た記憶があるのと、

なんといっても『オレたちひょうきん族』の

”ホタテマン”役の印象がイチバン強い。


その他、とにかくケンカっ早くて、ケンカの強い人。

芸能人最強と言われている人……

そういう強面の人物像ばかりが伝わってくる。


ところが、実際に会った力也さんは、

物腰も自然だし、礼儀正しい人だった。


「ウチの息子がプロレス好きで、

武藤選手の大ファンだって言うんですよ。

今日、この収録があるって言ったら、

息子の方が興奮しちゃってねえ」


そう言って、笑顔を見せた。

当時、力也さんは51歳だから、

今の私とほぼ同年代だったわけだ。


対談は、ひょんなことから盛り上がっていった。

アメリカ生活の長かった武藤に、

力也さんが米国社会に関していろいろと聞く。


力也さんは、福祉問題や身障者、身体の不自由な人のための

バリヤフリ―のシステムに関心を持っているという。


力也さん自身も海外に行ったときなど、

日本という国がいかにバリヤフリ―の面で

遅れているかに気付くと言った。


日米を往復している武藤も、それは痛感しているらしい。


「経済大国とは言っても、欧米に比べて肝心なことが遅れている。

日本が先頭に立ってバリヤフリ―を進めていって、

アジア諸国で発展途上といわれる国にも広げていかないと」


「プロレスでいうと、アメリカ、メキシコとかにはもう根付いてしまっていて。

オレ自身、アジア進出というか、アジアが大切な市場じゃないかと

最近、思っているんですよ。

まだ根付いていないところに、プロレスという娯楽を持っていって、

皆さんに楽しんでもらう。

そういうことだって、社会貢献になるんじゃないですかね」


「そう、日本は欧米の真似ばかりしているけど、

いいところを学んでいないような気がする。

アジア進出というのは、大切なことだし、

そこから学ぶものだってあるはずだよね」


「じゃあ力也さん、オレらの共通項はアジアですね?

なにか一緒にできることがあったら、やりましょう」


そんな感じで、話を締めたと記憶している。

意外にも、真面目な話の方が盛り上がったのだ。


力也さんは話し好きで、

話すときは相手の目をしっかりと見て話す。

言葉遣いも丁寧で、テレビで観るイメージとは程遠い感じ。

約1時間半、一緒に話していて新発見があったし楽しかった。


それから、3ヵ月後のこと。

新日本プロレスの日本武道館大会。

アリーナの真ん中あたりの席に、大柄な人物が子ども連れで座っていた。


もう否応なく目立つ。

どこから見ても、安岡力也という感じなのだ。

私が挨拶をしようと近づいていくと、

力也さんの方が気付いたようだった。


「よぉー!」


野太い大きな声が響いた。

顔は強面のままで、少しも笑っていない。


「先だっては、お世話になりました」


そう挨拶して、早々に離れた。

それから気がついた。

そうか、たとえプライベートでの観戦といっても、

周囲の観客はみんな力也さんだと分かっている。


公衆の面前でも、安岡力也は安岡力也。

きっと強面のイメージを保っているのだろう。


横にいる少年は、武藤ファンだという息子さんと思われる。

そこで、私は新刊の『週刊ゴング』を持参して、

また力也さんのところへ向かった。


「これは最新刊のゴングですから、

お子さんに渡してあげてください」


すると力也さんは、本当に小さな声で

「ありがとう」と言うと、表情を崩すことなく

パチっとウインクした(笑)。


やっぱり思った通りだった。

一般人の目に晒されているとき、

力也さんは安岡力也を演じていなければならないのだ。


まあ、これだけ強面オ―ラを発していたなら、

おそらくサインをもらいに行く勇気のある人もいないだろう(笑)。


その後も、会場で何度か力也さんを見かけた。

近づいていくと、やっぱり野太い「よぉー!」の一声。


そのギャップがとても素敵な人だった。

合掌――。

金沢克彦オフィシャルブログ「プロレス留年生 ときめいたら不整脈!?」Powered by Ameba

                 ※1999年6月5日、笑顔の力也さんとLOVEポーズ。