A.G.H.C=青山学院大学体育会ハイキング部。

私の母校、私の所属していたクラブの略称。


クラブの創設は、1924年だから何と大正時代。

大変な歴史を持つとともに、膨大な人数のOB、OGを輩出している。


普通、ハイキングといえば、お弁当を持って出かけるというイメージがあるが、

我がクラブはもちろん、体育会であり、山岳部とも連携があった。

一般でいうならワンダーフォーゲル部なのだが、

大正時代にそんな名称はまだ日本に存在しなかった。


だから、ハイキングという伝統ある名称を昭和、平成と時代が移り変わっても、

ずっと守り通してきたのである。


大学4年間、このクラブで過ごしたことは、

自分にとって大きな財産になった。


だいたいからして、北海道の田舎から上京してきた私だから、

入学当初、体育会とサークルの区別さえつかなかった。

新人勧誘のテーブルがキャンパスにドカドカっと並び

新入生の勧誘でごった返すなか、

このクラブがイチバン楽しそうでイキイキしているように見えた。


万座温泉スキー場の側に山小屋を持っている、という話も気にいった。

だから、速攻で入部を決めた。


それが間違いだった(笑)と気付いたのは、入部から2カ月後。

八ヶ岳での『新人錬成合宿』に向けてトレーニングの過激さが増したことから。


とにかく走る。

青山キャンパスから出発して明治神宮外苑銀杏並木公園コース。

同じく、聖徳記念絵画館周回コース。

そして、恐怖の皇居遠征12㎞ランニングコース。


腕立て伏せ、腹筋、背筋などの基礎運動はまだいい。

それ以外に、パートナーを肩車してのダッシュに階段昇降。

肩車したままのスクワットなど、まるでプロレスラーのトレーニングだよ、オイッ!


そして、本番の錬成合宿で飛び交うビンタの雨アラレ。

無論、軍隊など経験したことはないけれど、

「ここは軍隊かよ!」と半端ではない衝撃を受けたものだ。


そういえば、絵画館周回コースのときは、

当時の日本を代表するマラソンのトップランナーである

瀬古利彦さん、増田明美さんにも何度か遭遇した。


「増田明美に負けるなー!!」と先輩の檄も飛んだが、

到底かなうわけがない(笑)。

全力で走っても追いつきゃしない!


この『錬成合宿」の前後に、何名かの新入生が辞めていく。

高校時代、野球部のエースだった人間、

山岳部の主将だった者、

そういった体力抜群の人間でも辞めていく。


精神的にマイってしまうのだ。

ただし、その地獄をくぐり抜けてみると、

いろいろなものが見えてくる。


山に入ると、もう逃げ道はない。

24時間、パーティで行動を共にすることになる。

夏合宿では、それが10日間近くも続くことになる。

逃げ道がない、慢心すれば命の危機にも晒される。


極限状態に置かれると人間の本性が出る。

普段、ムシが好かないと思っていたヤツが、

実はもの凄く頼りになる人間だったり、

いつもは強気のヤツがそっと涙にくれているところを見てしまったり…。


人間の強さ、弱さ、身勝手さ、思い遣り…

隠しようもない本性を互いに知るから、本当の絆が生まれる。

そして一旦、山から下りれば、

鬼のように見えた先輩たちの顔が柔和になる。


山にいるときとトレーニングのとき以外は、ほぼ治外法権という空気。

1年から4年まで、これほど和気あいあいとしているクラブも

他にはなかなか見つからないと思う。


我が青春そのものだったハイキング部。

そこで、私の一個後輩にあたる高橋毅クンが、ようやく家庭を持った。

49歳にして、8つ年下の奥様をもらった。


というわけで、17日、青学会館にて、

仲間内による結婚披露パーティーが催された。

昭和59年度卒部の高橋クンの同期と前後2~3年の先輩・後輩が大集合。

みんな年齢的には、アラフィフ世代。


それぞれに人生経験を積んできた。

大病を患いながらカムバックして、

今では20㎞走れるほどに元気になった杉原先輩。


なぜかシングルファザーとなってしまい、

下の息子のお弁当を毎日作っているという、お父さんのKクン。


悲喜こもごも。

だけど、会った瞬間、みんなあのときに戻る。

半年ぶりに会う仲間、

10年ぶりに合う仲間、

なんと30年ぶりに会う先輩もいた。


わざわざ山口から来てくれた梅田先輩は、

私の顔を見るなり、軽くビンタの3連発(笑)。

そのあと、梅田先輩とは笑顔でハグ。

そう、最初の『錬成合宿』でイチバン最初にビンタをくれたのが梅田先輩だった。


「オレの会社の部下が金沢の大ファンだって言うから、

『エ―ッ!』って、ビックリしたよ、もう」


そう言って、梅田先輩が笑った。

なぜか、乾杯の音頭をとらされたのが私。

これは明らかに人選ミスだ(笑)。


下ネタ連発の私のスピーチに新婦の友人たちは、ドン引き。

現在、大学講師を務めている遠藤先輩が、

新婦側のテーブルに行って謝りまくる(笑)。


「これがハイキング部だと思わないでください!

金沢が特殊なだけですから…」


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高橋毅クン、49歳、最高の笑顔。

新婦の小百合さん、ムッチャ金星!

こんな金星をめとることができたのだから、

49歳まで独身を貫いてきた甲斐があったというものだろう。


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というわけで、最後に新郎新婦を中心に記念撮影。

ちなみに、正面左から最前列のお2人は新婦の友人。

我々、野生児(女)とは育ちが違うので、念のため。


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あれっ、このめでたい席に人気俳優の温水(ぬくみず)洋一さんが!

と、思いきや、私の2年後輩、金子クンだった。

もともと体育会系のイイ男なのだが、頭部の後退が激しく、

10年前に会ったとき、私が付けたあだ名は、『フィル・コリンズ』。


あれから10年、どこから見ても温水さん(笑)。

金子クン、弁当作り頑張れよ!


というわけで、かつてのホームグラウンド・渋谷で、

最高の仲間たちと朝まで飲み明かした。


ハイキング部のみんな、愛してま~す!