昨年度のベスト興行として、8・27『ALL TOGETHER』(日本武道館)を

選出するファン、関係者は多い。

無論、文句などない。


ただ、私的観点でいくと、すべての始まりは新日本プロレスの

2・20仙台サンプラザホール大会。


これは、実際にあの会場にいて、

あの空気を肌で感じたものにしか分からない感覚なのかもしれない。


いま、改めて、1年前のカード編成を眺めてみると、

決して豪華絢爛なカード編成とまではいかなかったことに気付く。

だが、久しぶりに埋まった仙台大会の盛り上がりは凄まじいものだった。


だいたい大会前のサムライTV(ニュージャパンライン)の収録の際、

すでに棚橋はこう言っていた。


「前回の仙台大会があんまり入らなくて…

だから今回は精いっぱい自分も宣伝活動してきました。

オレ、満員になった会場を見たら泣いちゃうかもしれません」


その言葉通りに、棚橋は泣いた。

ただし、単に満員になった会場で

新IWGP王者として初防衛に成功した故の涙ではなかった。


近年、地方大会では、感じたことのない驚くほどの熱気。

第1試合から出来上がった空気は、まるで後楽園ホールの様相だった。


その空気が途切れることなく迎えたメインイベント。

前王者である小島のリターンマッチを退けた棚橋に降り注ぐ

”タナハシコール”の大合唱。


リングサイドを幾重にも取り囲み帰ろうとしないファンたち。

感謝と感激の涙が、最高の笑顔に変わって、

棚橋はリングサイドをハイタッチしながら1周した。


途中、可愛らしい少女からキスのプレゼントをもらった。

最高のシーン。

過去、プロレスを見てきて、こんな微笑ましい光景を見たのは、

初めてだった。


翌日、敗れた小島からも、こんなメールが届いた。


「試合に負けてこんなことを言うのもなんですけど、

あの素晴らしいお客さん、

あの会場の熱気の中で試合ができて、

本当に自分は幸せ者です。

レスラー冥利につきます!」


そう、あの日、あの瞬間から新日本プロレスの快進撃がスタートしたのだ。

また、新日本快進撃のスタートは棚橋時代の幕開けと完全にダブっていた。


この1年、他団体が苦戦を強いられる中、

首都圏の興行でも、地方興行でも着実に集客し、

業界のトップとしてプロレス界をリードしてこられたのは、

仙台で自信と手応えを掴んだからだと思う。


それから19日後の悲劇…東日本大震災。


あの2・20仙台大会が素晴らしい興行だったからこそ、

より以上に身につまされる。

あのお客さんたちの満面の笑顔を見ただけに、より心が痛い。


昨年の8・27『ALL TOGETHER』に関するブログでも書いた話だが、

個人的にも、たまたまあの会場にいらした親子連れのファンと面識ができた。

その方も被災されていたことを、あとで知った。


被災して壊れた自宅から出ざるを得なかったものの、

そこから立ち直り、

8・14両国大会(G1クライマックス最終戦)を観戦にやってきた。


大会終了後、放送席にいた私のところに見えて、

それを知らせてくれたのだ。

いや、私が尋ねたから被災したことを話してくれただけであって、

本当の目的は、私にお土産の仙台銘菓を渡してくれることだった。


そういったすべての思いが重なっている。

だからこそ、8・27『ALL TOGETHER』のとき、

私がイチバン嬉しく感じたのは、

エンディングの際、棚橋の口から

2・19仙台で『ALL TOGETHER』第2弾の開催が発表されたこと。


仙台のファンからもらった勇気と熱気を、

今度は選手たちが仙台へ持っていく。

チャリティ―興行というより、

これはプロレス界からの恩返しなのである。


2月19日の当日、埼玉県在住の私はJR武蔵野線で大宮駅へ向かい、

そこから東北新幹線”はやて”に乗車した。

自宅を出てから仙台駅まで、わずかに2時間弱。


たった2時間弱で、被災地に到着してしまった。

そこまで要する時間だけでいうなら、

自宅から横浜文化体育館まで向かう時間と変わらない。


改めてその事実を知り少し驚いた。

仙台サンプラザホールは、1年前となにも変わっていないように見えた。

午後1時前に会場入りすると、

すでに体育館の前にはチラチラとファンらしき人の姿が目に付いた。


3500人収容の会場で、4団体+フリーから選りすぐりの選手が集結。

控室もいっぱいいっぱいのようで、

テレビ朝日(ワールドプロレスリング&スカパー!PPV生中継)スタッフの控室には、

正面玄関から入ってすぐのクロ―ク(受付)が割り当てられていた。


少々寒いが文句など言いっこなし。

いや、誰も文句など言わない。

外で待っているファンはもっと寒いのだから。


早速、アリーナに入ってみて、まず放送席を確認してみる。

音響スタッフを挟んで、向かって右側がテレビ朝日の放送席。


金沢克彦オフィシャルブログ「プロレス留年生 ときめいたら不整脈!?」Powered by Ameba

左側が日本テレビ。

日テレの放送席にカメラを向けると、

ゲスト解説についていた鈴木みのるが私に気付いて、

この後、お約束のガンを飛ばしてきた。


金沢克彦オフィシャルブログ「プロレス留年生 ときめいたら不整脈!?」Powered by Ameba


試合前の選手の様子を眺めているだけで、興味津々だ。

例えば日本武道館は広いから、各団体の選手が入り混じっていても、

それほど不思議な光景とは映らない。


しかし、これぐらいの器の会場になると、

思い思いにアップしている選手たちの距離が近いから、おもしろい。

まず、会場の後ろに立っていた棚橋と少し立ち話。


「あっという間に前チャンピオンになっちゃいましたね。

あーあ、オレの時代、もう終わったのかなあ…

ちょっと早過ぎませんかねえ?」


いきなりジョークをかましてくる。

こう言えるところが、自信の証拠。

また、敗れたとはいえ、

オカダ戦の内容に関しては納得している節もうかがえる。


それに、たとえ前チャンピオンになろうとも、

この1年で棚橋が残してきた実績と刻んだ記憶、

その身にまとったトップスターのオ―ラは消えることなどない。


「オレ以外の相手とオカダがどんな試合をやるのか…

これは注目ですね。

あとはゴボウ抜きにされた内藤、後藤なんかがどんな心境なのか?

それはともかく”レインメーカー”っていうキャッチフレーズはカッコよすぎません?

あのフレーズ、オレがもらいたいぐらいですよ(笑)」


笑顔でそう言い残すと、棚橋はウォーミングアップのためリングサイドへ向かった。

会場でよく顔を合わせる新日本勢、全日本勢とは、挨拶程度で済ます。


だが、会場で顔を合わせる機会の少ない選手たちとは、

挨拶だけではなく、なぜか自然と握手を交わしてしまう。


まず、先だって帝王のお店『胃袋掴味-Stomach Hold‐』で、

たまたま一緒になった志賀賢太郎が律義に挨拶にきてくれた。

笑顔で握手。


その後、佐々木健介、秋山準、大森隆男、新崎人生らとしっかり握手。


すると、中嶋勝彦が駆け寄ってきた。


「おつかれさまです!

今日はよろしくお願いします」


この礼儀正しさは、GHCジュニア王者になろうと何も変わらない。


午後2時半になると、FUNKISTの面々もリングに上がり、

進行の確認と簡単なリハーサルを始める。

その間、永田裕志が1人だけリングに残り、

入念にストレッチを繰り返していた。


テレ朝チームの制作打ち合わせまで、

まだ時間の余裕があるので、

正面玄関を出てすぐの喫煙所に足を運ぶ。


すでに、多くのファンが午後3時の開場を待っていた。

1階のアリーナ席だけが売られ、

2階、3階席は被災者のための招待席。

当日券はない。


一服していると、色紙を手に少年ファンが寄ってきた。

以前も書いたように、色紙へのサインというのは

気が引けてしまうから苦手中の苦手。


だけど、この日は特別な日だから、もう気持ちを切り替えて、

私なりに丁寧にサインをする。

名前と日付もきちんと入れさせてもらった。


1人のファンにそうすると、もうあとはひっきりなし。

サイン、記念撮影、握手と、皆さんの要望に応じるまま。

私の著書である『子殺し』を持参してくれたファンもいた。


そのとき、できるだけファンの人たちと会話をしてみた。


「今日はどこから来たの?」


「震災のときは無事でしたか?」


コミュニケーションをとるつもりで語りかけてみたのだが、

その答えは予想以上に厳しく、キツイものだった。


「ウチの家族は無事でしたけど、親戚と友人が何人か亡くなって…」


「家はダメになったんですけど、家族はみんな無事でした」


「たまたま急用の電話があって出かけたから助かりました。

あのとき家にいたら、死んでいたと思います」


これが現実なのだ。

厳しいが、現実に彼らの身に降りかかったこと。


「そうか……そうなんだ」


「大変だったね」


そんな言葉しか、こちらからは出てこない。

ただ少なくと、ここにいる人たちは、

こうしてプロレスを観戦に来られるだけの状況にいるということだ。


「じゃあ、今日は楽しんでいってください!」


もう、最後はその言葉しか返すことができなかった。


午後3時になった。

控室にいると、テレ朝系のDVD制作スタッフがやってきて、

「もの凄い数の人たちが開場を待っていますよ!」

と知らせてくれた。


私もデジカメを手に、正面玄関の前に立った。

各社のカメラマンと並んで、開場を待つ。

開場と同時に、ドッとファンがなだれ込んで来た。


そこで、突然、「金沢さん!」と声を掛けられた。

あの親子連れ、本郷さん一家だった。

親子3人、とても元気そうだった。


「去年の会場ではお忙しいのにありがとうございました。

両国でもお話をさせてもらって…。

それに『ALL TOGETHER』の放送で私たち親子の話をしてくださいましたよね。

ブログにまで書いてもらって、本当に嬉しくて…ありがとうございました」


ご主人の手紙を添えた、

バレンタインデーのチョコレートを奥様からいただいた。


「お礼の手紙を送ろうと思ったんですけど、

どこに送ればいいのか分からなかったものですから。

テレ朝さんとかサムライさん(TV)とかに送ってもいいものか…

ちょっと分からなかったので、今日お会いできて本当によかったです」


実は、私も会えるだろうと思って、簡単なお土産を持参してきた。

ところが、会話をしているうちに「アレッ?」となった。

本郷さん夫妻のお子さんをずっと女の子だと勘違いしていたのだ。


髪が綺麗に伸びていて、可愛らしい顔をしているので、

勝手にそう思い込んでいた。

本当は男の子で結士(ゆうし)クンという。


ああ、困った。

パンダのイラストが入ったハンカチをプレゼントに持ってきていた。


男の子が女の子に間違えられるのは、子供にとっては屈辱である(笑)。

私にも経験がある。

今でこそこんな私だが、小学校3~4年までは、

女の子に間違えられることも何度かあった。


オカッパ頭で、割りと中性的な顔をしていたからだ。

私の実家は昔、帯広で旅館をやっていたので、

地方公演にくる歌手や女優、

あるいは地方巡業のお相撲さんたちがよく泊まっていた。


大女優の長山藍子さん、歌手では、チェリッシュ、ぺギー葉山さん、

ペドロ&カプリシャス、菅原洋一さん…。

お相撲さんでは、高見山、三重ノ海、先代の貴乃花(故人)、

のちに天下の大横綱となる平幕時代の千代の富士など。


そこで、もっとも印象に残っているのが、加藤登紀子さん。

ミリオンセラーとなった『知床旅情』が大ヒットしている最中である。

私は小学4年生で、母と一緒に加藤さんの部屋にサインをもらいに行った。


「あら~、カワイイお嬢さんねえ! 何年生かな?」


そう言って、加藤さんにオカッパ頭を撫でられた。


「ちがわーい! 男だよ!!」


「あら、ゴメンね、ゴメンね」


たとえ、10歳といえども男のプライドがある(笑)。

すっかりイジけてしまった私を見て、

大スターの加藤さんが、懸命に機嫌をとってくれたのを覚えている。


大事なところで、また話が脱線した。

とにかく、元気な本郷さん親子と再会できて、

本当によかった。


そのとき、また意外な事実を知った。

ご主人が、「弟の家族なんです」と紹介してくれた

ご家族のお子さんに見覚えがあったのだ。


そう、1年前、棚橋の頬にキスをした、あの少女だった。

なんという、偶然なのか…。

名前は、大泉真菜(まな)ちゃん。


年の近い妹がいるようで、

2人が順番にサインノ―トを持って、私に差し出した。

真菜ちゃんのノートにサインを入れてから、妹さんの名前を尋ねた。


「マキといいます。真に希望の希と書きます」と大泉さん。


真の希望で真希ちゃん。

これほど、復興に相応しい名前もないだろう。


「真希ちゃんへ」とマジックで名前を入れながら、

なんだか無性に嬉しくなってきた。


偶然から生まれた人と人とのつながり。

すべてプロレスがあってこその出会い。

プロレスに勇気を与えられ、希望を失うことなく生き抜いてきた人たち。

その反対に、被災者の方から、いろいろなことを学んだ私たち。


辛い話もいっぱい聞いた。

だけど、開場と同時に駆けこんできた人たちは、

みんな目が輝いていた。


また地元でプロレスのオールスター戦を観戦できる喜び。

それ以降も、多くのファンの人たちに声を掛けられ、記念撮影をした。

こちらのほうから「ありがとうございます!」と言いたかった。


金沢克彦オフィシャルブログ「プロレス留年生 ときめいたら不整脈!?」Powered by Ameba


写真は、試合開始前、小橋建太のサイン会にどっと押し寄せるファン。

Tシャツの1枚1枚に丁寧にサインを入れる小橋の後ろ姿である。


                   金沢克彦オフィシャルブログ「プロレス留年生 ときめいたら不整脈!?」Powered by Ameba


観衆3500人、超満員。

屋外の寒さをふっ飛ばすほどの熱気に包まれた仙台サンプラザホール。

ここはもう新たなプロレスの聖地と言っていいのかもしれない。


試合開始まで、あと4分19秒。

残り10秒を切ったところで、観客のカウントダウンが始まった。

間もなく、『ALL TOGETHER』スタート!

                             (つづく)